ロシアは2025年8月20日、カザフスタンのバイコヌール宇宙基地からSoyuz-2.1bロケットでBion-M No. 2バイオサテライトを打ち上げる。
この30日間のミッションでは75匹のマウス、1,000匹を超えるショウジョウバエ、その他の生体標本を搭載し、高レベルの宇宙放射線に曝露させる。目的は宇宙飛行が生体に与える影響を研究することである。
マウスは3つのグループに分けられ、地球上の通常環境、地球上のシミュレート環境、軌道上での30日間にそれぞれ配置される。各マウス収容ユニットには給餌、照明、換気、廃棄物処理システム、カメラ、センサーが装備される。一部のマウスには生理学的変化を追跡するチップが埋め込まれる。
ミッションには月面の高緯度地域の物質を模倣した月面シミュラントも搭載され、宇宙放射線と真空環境の影響を調査する。この研究はヴェルナドスキー研究所とIMBPが協力して実施する。宇宙船は傾斜角約97度のほぼ円軌道に配置され、Bion-M No. 1と比較して放射線曝露を少なくとも一桁増加させる。
From: Russia Set to Launch “Noah’s Ark” Mission: Mice, Fruit Flies, and Lunar Simulants to Explore Space
【編集部解説】
このBion-M No. 2ミッションは、実は2025年に複数の異なる打ち上げ予定が発表されている興味深い事例です。ロシア科学アカデミーの発表では当初3月の打ち上げが予定されていましたが、現在は8月20日に設定されています。
宇宙生物学分野において、ロシアのBionプログラムは1973年のCosmos-605から続く50年以上の歴史を持つ先駆的なプロジェクトです。前回のBion-M No. 1が2013年に実施されて以来、12年ぶりに再開されるこのミッションは、宇宙放射線研究において画期的な進歩をもたらす可能性があります。
特筆すべきは軌道設計の工夫です。97度の極軌道という配置により、宇宙放射線の曝露量を前回ミッションの10倍以上に増加させることが可能になります。これは火星ミッションなど深宇宙探査で想定される最悪のシナリオを地球軌道上で再現する画期的なアプローチです。
月面シミュラント実験も見逃せません。ヴェルナドスキー地球化学分析化学研究所との協力により、月の高緯度地域の物質を模擬した実験が実施されます。これは将来の月面基地建設における現地資源活用(ISRU:In-Situ Resource Utilization)の実現可能性を探る重要な研究です。
このミッションの真の価値は、複数レベルの生物学的複雑性を同時に研究できる点にあります。マウスは哺乳動物として人間に最も近い遺伝的特徴を持つ一方、ショウジョウバエは短いライフサイクルと完全にマッピングされた遺伝子により、迅速な世代間影響の観察が可能です。
長期的な視点では、このデータは火星有人ミッションの実現可能性を左右する重要な要素となります。宇宙放射線による健康リスクの定量化は、ミッション期間の設定、放射線防護技術の開発、乗組員の選抜基準など、あらゆる側面に影響を与えるからです。
ただし、動物実験に関する倫理的議論は避けて通れません。75匹のマウスという規模は統計的有意性を確保する最小限の数として設定されていますが、宇宙環境での動物の福祉確保は今後の課題として残ります。
【用語解説】
Bion-M No. 2
ロシアのBionプログラムの一環として計画された宇宙生物学ミッション。前回のBion-M No. 1から12年ぶりの再開となる第二世代のバイオサテライト。
Soyuz-2.1b
ロシアの中型打ち上げロケット。信頼性の高いSoyuzファミリーの現代版で、商業衛星や科学ミッションに広く使用されている。
バイコヌール宇宙基地
カザフスタンにあるロシアが運営する世界最大の宇宙射場。ソ連時代から多くの歴史的ミッションが打ち上げられている。
月面シミュラント
月の表面物質(レゴリス)を模擬した人工物質。月面基地建設や現地資源活用(ISRU)の研究に使用される。
微小重力
重力が地球表面の100万分の1程度まで弱くなった環境。宇宙ステーションや軌道上の宇宙船で体験される擬似無重力状態。
宇宙放射線
宇宙空間に存在する高エネルギー粒子線。地球の磁気圏や大気圏に守られていない宇宙環境では、生体に深刻な影響を与える可能性がある。
【参考リンク】
ヴェルナドスキー地球化学分析化学研究所(外部)
ロシア科学アカデミーの主要研究機関。地球化学、宇宙化学、放射化学の分野で世界をリードし、月物質やメテオライトの分析で実績を持つ。
Bion-M No.2 – Wikipedia(外部)
Bion-M No. 2ミッションの詳細情報。ミッション概要、衛星仕様、打ち上げ予定などの基本的な技術データを提供している。
NASA Technical Reports Server – Bion-M2(外部)
NASAがBion-M2ミッションに関して発表した技術資料。アメリカとロシアの30年以上にわたる宇宙生物学協力の詳細を記載している。
【参考記事】
Russia to launch 75 mice, 1000 fruit flies on Aug. 20 to study spaceflight effects – Space.com(外部)
Space.comによる詳細報道。75匹のマウス、1,000匹を超えるショウジョウバエを搭載する30日間ミッションの科学的目的と実験内容を詳述している。
Launch of Russia’s Bion-M No.2 biosatellite scheduled for August 20 – TASS(外部)
ロシア国営通信社TASSによる公式発表。8月20日の打ち上げ予定と、ロシア科学アカデミーによる実験計画の概要を報じている。
In Russia told about the plans in cosmonautics for 2025 – Oreanda News(外部)
2025年のロシア宇宙計画全体の中でのBion-M No. 2の位置づけ。当初3月打ち上げ予定から8月に変更された経緯についても言及している。
【編集部後記】
この記事を読んで、宇宙での生活がいかに過酷なものかを改めて実感されたのではないでしょうか。75匹のマウスが私たちに代わって宇宙の危険を体験することで、いつか私たちが安全に火星に行ける日が近づいているのかもしれません。
みなさんは、もし宇宙放射線の問題が完全に解決されたら、どの惑星を訪れてみたいと思いますか?また、月面基地が現実のものになったとき、そこではどんな生活を送ってみたいでしょうか?宇宙開発の最前線で起きているこうした地道な研究が、私たちの未来の選択肢を広げていく過程を、ぜひ一緒に見守っていただければと思います。