マンチェスター大学が脳型メモリを実現するナノ流体デバイス開発、単一デバイスで4つのメモリ動作を世界初

マンチェスター大学が脳型メモリを実現するナノ流体デバイス開発、単一デバイスで4つのメモリ動作を世界初 - innovaTopia - (イノベトピア)

マンチェスター大学国立グラフェン研究所の研究者らが、人間の脳のメモリ機能を模倣するプログラム可能ナノ流体メモリスタを開発した。

ラダ・ボヤ教授率いるチームは、MoS₂やhBNなどの2D材料で作られた薄いナノチャネル内に液体電解質を閉じ込める手法を使用した。

この研究は Nature Communications 誌(2025年7月30日発表、DOI: 10.1038/s41467-025-61649-6、PMID: 40739084)に掲載された。単一デバイスで理論的に予測された4つのメモリスティブ動作すべてを実現したのは世界初である。

電解質組成、pH、電圧周波数、チャネル形状を調整することで、同一デバイスが4つの異なるメモリループスタイルを切り替える。

これらはイオン-イオン相互作用、イオン-表面電荷吸着/脱着、表面電荷反転、イオン濃度分極に対応する。デバイスは生物学的シナプスに似た短期記憶と長期記憶の両方を示し、印加電圧と電解質条件に応じて情報を数日間保持したり時間経過で忘却したりできる。

筆頭著者はアブドルガニ・イスマイル博士である。この技術は人工知能、ロボティクス、バイオエレクトロニクス分野への応用が期待される。

From: 文献リンクScientists achieve brain-like memory in nanofluidic devices

【編集部解説】

この研究が示すブレークスルーの本質を理解するために、まずメモリスタという技術について説明します。メモリスタは通常の電子部品とは異なり、過去に流れた電流の履歴を「記憶」する特殊な抵抗器です。従来のメモリスタは固体材料を使い電子の移動に依存していましたが、マンチェスター大学の研究チームは液体電解質とイオンの動きを利用した全く新しいアプローチを採用しました。

この技術革新が重要な理由は、単一デバイスで4種類すべてのメモリスティブ動作を実現した点にあります。これまでの研究では、理論的に予測されていた4つのタイプのメモリ動作を一つのデバイスで再現することは困難でした。研究チームは電解質組成、pH、電圧周波数、チャネル形状といったパラメータを精密に調整することで、この技術的障壁を突破しています。

特筆すべきは、このデバイスが生物学的シナプスの短期記憶と長期記憶の両方を模倣できる点です。人間の脳では、カフェでの雑音を次第に意識しなくなるような感覚適応が起こりますが、このナノ流体デバイスも同様の「忘却」機能を持ちます。神経伝達物質小胞の一時的な枯渇によって起こる短期シナプス抑制を、イオン相互作用の時間的変化で再現している点は生物学的な正確性の観点からも画期的です。

この技術がもたらす実用的な影響は多岐にわたります。従来のコンピュータが抱える電力消費の課題に対し、脳型コンピューティングは劇的な省電力化を実現する可能性があります。特にAIの推論処理において、現在のGPUベースの計算が必要とする大量の電力を大幅に削減できる可能性があります。

応用分野では、人工知能における適応学習システム、リアルタイムでの環境変化に対応するロボティクス、体内での生体適合性を活かしたバイオエレクトロニクスなどが期待されています。特に医療分野では、神経インプラントやブレイン・コンピュータ・インターフェースへの応用が考えられ、パーキンソン病や脳損傷患者の治療に革新をもたらす可能性があります。

一方で、この技術にはいくつかの課題も存在します。ナノ流体システムの長期安定性、製造プロセスの再現性、大量生産時の品質管理などの技術的ハードルがあります。また、脳型コンピューティングが普及した場合のサイバーセキュリティへの影響や、人工知能の判断プロセスがより人間に近づくことによる予測困難性の増大といったリスクも考慮する必要があります。

規制面では、この技術が神経系疾患の治療に応用される場合、医療機器としての安全性評価や臨床試験のプロセスが重要になります。特に脳に直接関わる技術であるため、倫理的な議論と慎重な規制枠組みの構築が求められるでしょう。

長期的な視点では、この研究は計算パラダイムそのものの転換点になる可能性を秘めています。現在のデジタル処理からアナログ的で連続的な情報処理への移行は、人工知能がより人間らしい思考パターンを獲得することを意味します。これは単なる技術進歩を超えて、人間と機械の関係性自体を再定義する可能性があります。

【用語解説】

メモリスタ(Memristor):電流の履歴を記憶できる抵抗器で、過去に流れた電気活動に基づいて抵抗値を変化させる。メモリ(memory)と抵抗器(resistor)を組み合わせた造語である。

ナノ流体デバイス(Nanofluidic Device):ナノメートル単位の極小チャネル内で液体や電解質を制御する装置。従来の電子デバイスとは異なり、イオンの動きを利用して情報処理を行う。

ニューロモルフィックコンピューティング(Neuromorphic Computing):脳の神経回路の構造と動作原理を模倣した新しいコンピューティング方式。従来のデジタル処理よりも低電力で、学習や適応能力に優れる。

2D材料:グラフェンやMoS₂(二硫化モリブデン)、hBN(六方晶窒化ホウ素)のように原子レベルの厚さを持つ二次元材料。ナノデバイスの構成要素として注目されている。

短期シナプス抑制:連続する神経信号によって神経伝達の効率が一時的に低下する現象。脳の感覚適応や情報フィルタリング機能に重要な役割を果たす。

シナプス:神経細胞間の情報伝達を行う接続部分。学習と記憶の基本単位として機能し、経験に応じて伝達効率を変化させる。

【参考リンク】

マンチェスター大学国立グラフェン研究所(NGI)(外部)
2004年にグラフェンが発見された大学の世界最高水準のグラフェン・2D材料研究センター

Nature Communications(外部)
科学分野全般をカバーするネイチャー・パブリッシング・グループの査読付きオープンアクセス学術誌

【参考記事】

Programmable 2D nanochannels achieve brain-like memory(外部)
国際的な科学ニュースサイトによる研究解説記事。2D材料を使用したナノチャネルの可変性と脳型メモリ機能の技術的背景を説明

Programmable memristors with two-dimensional nanofluidic channels – PubMed(外部)
Nature Communications誌に掲載された原著論文の要約。ナノ流体メモリスタの4つの異なるタイプ、分子レベルのメカニズムを詳述

Recent advances in fluidic neuromorphic computing(外部)
流体ニューロモルフィックコンピューティング分野の最新動向をまとめた総説論文。技術的進展と脳型コンピューティングへの応用可能性を解説

【編集部後記】

脳とコンピュータの境界線が曖昧になりつつある今、私たちはどのような未来を迎えるのでしょうか。このナノ流体メモリスタが実用化された時、AIは今よりもさらに人間らしい思考を獲得するかもしれません。

一方で、私たち人間の脳も機械に近づいていくのかもしれません。みなさんは、脳型コンピューティングが普及した社会で、人間と機械の関係はどう変化すると思われますか?また、医療分野での応用が進んだ場合、どのような可能性や懸念をお感じになるでしょうか。ぜひコメント欄で皆さんの考えをお聞かせください。

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TaTsu
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