9月6日【今日は何の日?】「黒の日」─黒をめぐる現代科学の色々

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なぜ今日は「黒の日」なのか?

皆さんは今日、9月6日が「黒の日」だということをご存じでしょうか?「く(9)ろ(6)」という語呂合わせから生まれたこの記念日ですが、その背景には日本の伝統工芸があります。

1988年、京都黒染工業協同組合が創立40周年を記念して制定したこの日は、黒紋服や黒留袖といった伝統的な黒染めの技術をPRするためのものでした。その後、鹿児島の芋焼酎「黒伊佐錦」を手がける大口酒造が2016年に「クロイサの日」として再定義し、黒毛和牛や黒豚、黒酢といった「黒い食文化」の魅力を発信する日としても知られるようになりました。

現在では黒にんにく、黒豆、黒酢といった健康食品まで、様々な「黒いもの」に注目が集まる日となっています。そんな「黒」という色には、意外にも興味深い科学的な背景があるのです。

黒という色の本質──人類にとって最も身近で神秘的な色

基本色としての黒が持つ意味

まず、黒がなぜこれほどまでに特別な色なのかを考えてみましょう。色彩学において、黒は「基本色」の一つです。日本産業規格(JIS)では、無彩色として「白・黒・灰色」の3色が定義されており、これらは色を表現するうえで最も根本的な色とされています。

なぜ黒が基本色なのでしょうか?それは人間の視覚システムそのものと深く関わっているからです。私たちの目は、光の存在(白)と光の不在(黒)という究極の対比によって、世界を認識しています。この二つの極端があることで、私たちは明暗を知覚し、立体感や奥行きを感じることができるのです。

人類と黒色の歴史

人類が最初に出会った「黒」は何だったでしょうか?夜の暗闇、自分の影、焚き火の炭、肥沃な土壌など、黒は私たちの生活と密接に結びついていました。

古代から人類は木炭や煤を使って黒を作り出し、洞窟壁画に動物を描き、後には文字を記し、装飾を施してきました。黒は単なる色ではなく、人間の基本的な体験の一部だったのです。現代においても、黒は深遠さや神秘性を表現する色として重要な意味を持ち続けています。

現代の「より黒い黒」への挑戦──21世紀の「黒」

近年、科学技術の分野では「より黒い黒」を追求する研究が活発に行われています。21世紀に入って、三つの異なる分野から注目すべき技術が登場しました。それぞれが違った目的を持ちながらも、共通して従来にない黒さの実現を目指してきたのです。

パイオニアの「KURO」──映像美への取り組み

2007年、パイオニアが発売したプラズマテレビ「KURO」は、画質向上への真摯な取り組みから生まれました。

この製品は、従来モデルに比べ黒輝度を約1/5にまで低減し、暗コントラスト20000:1を達成しました。開発チームは「PROJECT KURO」として、深い黒の表現を追求したのです。

当時のテレビは、黒い部分でも微かに光ってしまい、本当の意味での「黒」を表現することができませんでした。KUROは、画面に表示される黒をより自然な黒に近づけることで、映像にこれまでにない奥行き感をもたらしました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/KURO_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93)
(ウィキペディアより)

KUROは2009年に製造終了となりましたが、その技術的な取り組みは現在の有機ELテレビなどに受け継がれています。日本の技術者たちが追求した「より良い映像のための黒」は、現在のディスプレイ技術の発展に貢献しているのです。

イギリス発の材料科学「ベンタブラック」とアーティストの戦い

同じ頃、イギリスでは全く異なる分野から革命的な黒が生まれていました。2014年、サリー・ナノシステムズが開発した「ベンタブラック」です。

この材料はカーボンナノチューブから構成され、可視光の最大99.965%を吸収するという、まさに常識を覆す性能を持っていました。光が当たると、それを跳ね返すのではなく「チューブの森」に捉え、何度も屈折させて最終的に熱として消してしまうのです。

その黒さは文字通り異次元でした。立体的な物体に塗布しても、まるで平面の黒い穴のように見えるほどだったのです。しかし、この驚異的な素材をめぐって、予想外の人間ドラマが展開されることになります。

英国の著名彫刻家アニッシュ・カプーアが、この「史上最も黒い」とされる顔料の独占使用権を購入したのです。これに対し、世界中のアーティストから怒りの声が上がりました。「色は誰のものでもないはずだ」と。

特に憤慨したのが、同じイギリスのアーティスト、スチュアート・センプルでした。彼の反撃は実にユニークでした。「世界で最もピンクなピンク」や「最もキラキラなキラキラ」を開発し、「カプーア氏以外の誰もが購入できます」という条件をつけて販売したのです。

ベンチャーコンセプトベンタブラックと呼ばれる時計です。私たちは究極の黒を身に着けたくなるものなのでしょうか

この「黒い戦い」は激化し、センプルは2017年に「BLACK 2.0」を、さらに2019年には「BLACK 3.0」を開発しました。光吸収率98~99%を達成し、しかも一般のアーティストが手頃な価格で購入できる実用的な黒い塗料として、世界中の創作者に愛用されるようになったのです。

天下の産総研が切り拓いた実用的「漆黒」

そして2023年、日本から再び革命的な黒が登場しました。産業技術総合研究所と量子科学技術研究開発機構が開発した「至高の暗黒シート」です。

この研究では、カシューナッツの殻から抽出したカシューオイル樹脂を利用し、可視光の99.98%以上を吸収することに成功しました。注目すべきは、そのアプローチの独創性です。カーボンナノチューブのような先端材料ではなく、漆に似た天然由来の成分を使用したのです。

カシューオイル黒色樹脂の表面に微細な凹凸構造を形成することで光を閉じ込め、レーザーポインターの光も反射せずに消えるほどの深い黒を実現しました。そして何より重要なのは、この素材が実用性を重視して設計されたことです。触っても壊れず、一般的な環境で使用できる耐久性を持っているのです。

現代社会で黒が果たす重要な役割

ここまで三つの革命的な黒についてお話ししてきましたが、実は私たちの日常生活においても、黒色技術は想像以上に重要な役割を果たしています。

あなたのスマートフォンに隠された黒の科学

今、皆さんがお使いのスマートフォンを見てください。その画面には、実は高度な黒色技術が隠されているのです。

スマホの保護フィルムには「光沢」と「反射防止」の2タイプがあり、反射防止タイプは光の反射を抑えることで画面の見やすさを向上させています。画面のピクセル間には必ず隙間があり、これらの部分には精密な黒い塗料が塗られています。

もしこれらの隙間が黒くなければ、どうなるでしょうか?外光が反射してしまい、特に明るい屋外でスマートフォンが極端に見にくくなってしまうのです。私たちが日中、外でスマホを快適に使えるのは、実はこの小さな「黒」の技術のおかげなのです。

光学機器から宇宙技術まで

黒色技術の応用範囲は、私たちの想像をはるかに超えています。

キヤノンが開発した黒色反射防止塗料は、車載機器のヘッドアップディスプレイや先進運転支援システムなど、太陽光の迷光を防ぎたい箇所で活用されています。カメラのレンズフードが黒いのも、望遠鏡の内部が真っ黒に塗られているのも、すべて不要な光の反射を防ぐためです。

そしてベンタブラックが元々軍事・宇宙航空分野向けに開発されたように、人工衛星の光学センサーでは究極的に黒い素材が必要不可欠です。地球や宇宙からの微弱な光を正確に検出するために、機器内部からの迷光や太陽光の反射は致命的なノイズとなるからです。

エンターテインメントと未来技術への展開

VRヘッドセット、映画館のスクリーン周辺、そして次世代のディスプレイ技術まで、「より深い黒」への需要は留まることを知りません。人間の目は黒さに敏感で、印刷物や画面での微妙な階調表現にも黒色技術が重要な役割を果たします。

太陽光発電パネルも、効率を最大化するために可能な限り黒く設計されています。私たちの持続可能な未来にも、黒色技術は欠かせない存在となっているのです。

テクノロジーとアートが交錯する場所で

この物語を振り返ってみると、興味深いことに気づきます。技術者もアーティストも、そして研究者も、みな同じ「究極の黒」を追求していたということです。

パイオニアのエンジニアたちは「美しい映像のために」、イギリスの材料科学者は「軍事・宇宙技術のために」、アーティストたちは「表現の自由のために」、そして産総研の研究者たちは「社会に還元できる実用技術のために」。それぞれ異なる動機を持ちながら、同じゴールを目指していたのです。

ベンタブラックをめぐるアーティスト同士の争いは、一見すると大人げない騒動にも見えます。しかし実は、これは現代社会の根本的な問題を提起しています。技術的な突破口は誰がどのように活用すべきなのか?芸術表現の自由はどこまで保障されるべきなのか?そして何より、色彩は本当に誰かのものになり得るのでしょうか?

産総研の「至高の暗黒シート」が実用性と社会還元を重視して開発されたことは、この問いへの一つの答えを示しているのかもしれません。

「黒の日」を機に振り返ってみると、黒という最もシンプルな色が、実は無限の可能性を秘めていることがわかります。完全な黒を表示できる次世代ディスプレイ、量子センサーの感度向上、没入感の極限を追求するVR体験、そして宇宙望遠鏡の性能向上まで、「より深い黒」への技術的挑戦は続いていくでしょう。

黒が語る人類進化の物語

語呂合わせから始まった「黒の日」は、いつの間にか人類と技術、そして芸術の深い関係を物語る記念日となりました。日本の伝統工芸から最先端の材料科学まで、黒をめぐる私たちの探究は、単なる技術開発を超えて、人間の感覚と認識の本質に迫る試みでもあります。

「黒色」という私たちにとってありきたりな概念。そこには、人類の英知と創造性、そして未来への無限の可能性が込められているはずです。

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野村貴之
理学と哲学が好きです。昔は研究とかしてました。

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