今日、9月5日は「Sci-Hub創設日」です。
2011年のこの日、ひとりの若い研究者が立ち上げた試みが、世界中の学術界に衝撃を与えました。
それは、論文のペイウォールを超えて、誰もが知識にアクセスできる世界を目指すという挑戦でした。小さな行為に見えるかもしれません。しかし、その背後には「知識は誰のものか?」という根源的な問いが隠されています。
2011年9月5日の出来事
2011年9月5日、カザフスタン出身の大学院生アレクサンドラ・エルバキアンが Sci-Hub を公開しました。
- 学術出版社が設けた有料壁(ペイウォール)を乗り越え、誰もが自由に論文にアクセスできるようにする。
- それは「個人の不便」を解消するための行為でありながら、世界の学術の在り方を根底から揺るがす挑戦となりました。
エルバキアン氏にとって、それは「革命」というよりも切実な日常から生まれた選択でした。研究に必要な文献が読めない。大学図書館の予算が尽き、購読できない論文が増える。そんな現実に直面し続けたからこそ、「誰もがアクセスできる環境を作ろう」と決断したのです。
Sci-Hubとは?
仕組みより「何を可能にしたか」
Sci-Hubは技術的にはウェブスクレイピングや共有サーバーを駆使したプラットフォームですが、重要なのは技術そのものではありません。
大切なのは、「知識にアクセスできない人々を救った」という役割です。
利用者にとっての意味
- 発展途上国の学生や研究者にとっては「初めて手が届いた論文」への扉。
- 資金不足の研究室にとっては研究継続のための命綱。
- 知識を得ること自体が困難だった人にとっては、新しい可能性を切り開く突破口。
このように、Sci-Hubは「知識を誰にでも開く」という理念を体現した存在でした。
知識をめぐる人々の葛藤
研究者の声
ある学生はこう語ります。
「自分の国では、年間購読料が大学の予算を超えるジャーナルがいくつもある。Sci-Hubで初めて必要な論文を読めたとき、ようやく“研究者として生きていける”と思えた。」
図書館員の葛藤
一方で、図書館員は限られた予算をやり繰りしながら、少しでも多くの資料を確保しようと奔走します。
「私たちは守りたい。でも、資金が足りない。すべてを購読することは不可能だ。」
出版社の視点
出版社にもまた事情があります。
論文を掲載するには査読や編集、アーカイブの維持など多大なコストがかかります。
「無償公開が当たり前になれば、その仕組み自体が壊れ、学術の信頼性が失われてしまう」──彼らはそう警告します。
このように、Sci-Hubをめぐる物語は単なる「海賊版サイト」の是非を超えた、人間と知識をめぐる葛藤の縮図なのです。
支持派と反対派の主張
支持派の立場
- 公的資金による研究成果は、すべての人に開かれるべき。
- 高額化する学術出版に対するアンチテーゼとして機能。
- 発展途上国の研究者にとって「命綱」となり、グローバルな知識格差を縮める役割を担った。
反対派の立場
- 著作権侵害であり、違法行為である。
- 出版社や図書館の存続を危うくし、学術コミュニケーションの持続可能性を損なう。
- セキュリティリスクを伴い、大学ネットワークの安全を脅かす。
この対立は単純な「善悪」ではなく、「知識を公共財とみなすか、商品とみなすか」という価値観の衝突にほかなりません。
「知識は誰のものか?」という根源的な問い
アメリカ建国の父のひとり、トマス・ジェファーソンはこう述べました。
「知識はろうそくの火のようなものだ。一人が他人に火を分けても、自らの光は失われない。」
この言葉は、知識の特性を端的に表しています。食料や資源のように分け合えば減るものではなく、むしろ共有されることで広がり、社会を豊かにしていく。
Sci-Hubの創設は、この考えを現代に体現した出来事でした。
「知識を公共財とみなすべきか、それとも権利で守られる商品とすべきか」──その根源的な問いを、私たちは改めて突きつけられているのです。
出版モデルと研究者の負担
実は、Sci-Hubの問題は「アクセス」だけではありません。学術出版の現状そのものが議論の的になっています。
- 論文掲載料(APC)の高騰:1本あたり数千ドルにのぼり、研究者の負担は増す一方です。
- 査読のボランティア依存:膨大な査読作業を無給で担う仕組みの持続可能性。
- 公平性の欠如:資金のある研究者や機関だけが発表しやすい構造。
これらの課題は、Sci-Hubが登場する以前から存在していたものであり、いまなお解決されていません。
むしろSci-Hubは、それらの矛盾を白日の下にさらけ出したといえるでしょう。
AI時代に繰り返される問い
共通する構造
現在、私たちが直面しているのは AI学習データをめぐる著作権問題 です。
これはSci-Hubと同じように「知識や創作物へのアクセス」と「権利者の保護」が衝突する構造を持っています。
- 支持派:AIの進歩には膨大なデータが不可欠であり、公開情報を活用するのは当然。
- 反対派:著作者の同意なき利用は不当であり、創作者の権利を侵害する。
Sci-HubとAIをつなぐ共通構造
Sci-Hubが投げかけた「知識を公共財とみなすのか」という問いは、AI時代にも繰り返されています。
- AIが学ぶのは人類の知識そのもの。
- その知識を「自由に使う権利」と「正当な対価を得る権利」をどう調和させるか。
この問題は、まさに「第二のSci-Hub問題」と呼べるかもしれません。
この日が示唆すること
私たちが考えるべきこと
9月5日、Sci-Hub創設の日。それは、以下のような問いを私たちに突きつけます。
- 知識は公共財か、それとも商品か?
- 公平なアクセスと持続可能な仕組みは両立できるのか?
- 未来の知識社会をどうデザインするべきか?
私たちにできること
- 大学図書館やオープンアクセス誌を支援する。
- 合法的なオープンアクセスの拡大に協力する。
- 情報リテラシーを高め、信頼できる知識を選び取る力を磨く。
これらは小さな行動かもしれません。しかし積み重なれば、未来の知識社会を形作る礎になります。
未来の知識社会へ
知識は人類共通の財産です。けれど、その財産をどう守り、どう開くかは、私たち一人ひとりの選択にかかっています。
今日、あなたが「Sci-Hub創設日」の話を誰かに語るとき、それは知識の未来を共有する小さな一歩になるはずです。
【Information】
Open Access Week 2025 — “Who Owns Our Knowledge?”
https://www.openaccessweek.org/
毎年10月第4週(2025年は10月20〜26日)に世界中で開催される、大規模なオープンアクセス促進イベント。今年のテーマは「知識は誰のものか?」。知識の所有や共有を問い直す議論が、各地の大学・研究機関・図書館・NPOなどで展開されます。オンライン参加も柔軟に可能です。
EIFL “Celebrating Open Access Week 2025”
https://www.eifl.org/events/celebrating-open-access-week-2025
非営利組織EIFLによるOpen Access Week関連の取り組み。図書館や研究者、学生が参加するワークショップや啓発活動を、加入国を中心に実施。オンライン参加にも対応しています。