MIT研究者らが、生成AIモデルに特定の設計ルールを与えて量子材料を創出する技術「SCIGEN」を開発した。
この研究成果は2025年9月22日に『Nature Materials』誌に発表された。従来のGoogle、Microsoft、Metaの生成型材料モデルは数千万の新材料設計を支援してきたが、超伝導性や磁気状態などの量子特性を持つ材料の設計では苦戦していた。量子スピン液体材料の10年間の研究でも12の候補しか特定されていない状況だった。
責任著者のMingda Li教授率いる研究チームは、DiffCSPモデルにSCIGENを適用し、アルキメデス格子を持つ1000万以上の材料候補を生成した。このうち100万が安定性スクリーニングを通過し、26,000材料のサンプルで詳細シミュレーションを実行した結果、41%で磁性を発見した。最終的にTiPdBiとTiPbSbという2つの未発見化合物の合成に成功した。この研究は米国エネルギー省、国立エネルギー研究科学計算センター、国立科学財団、オークリッジ国立研究所が支援した。
From: New tool makes generative AI models more likely to create breakthrough materials
【編集部解説】
今回のMIT研究チームの成果は、AI材料開発における根本的な課題解決に挑んだ画期的な取り組みです。従来の生成AIは「安定した材料」の大量生成に特化していましたが、量子コンピューティングに必要な「特殊な性質を持つ材料」の発見には向いていませんでした。
量子スピン液体という材料群を例に挙げると、10年間の研究でわずか12の候補材料しか見つかっていない現状があります。これは量子コンピューター実用化の大きなボトルネックとなっていました。研究チームのMingda Li教授が「世界を変えるために1000万の新材料は不要で、本当に良い材料が1つあれば十分」と述べているのは、まさにこの課題を指しています。
SCIGENの技術的な革新性は、AIモデルに「幾何学的制約」を与えることで目的に特化した材料生成を可能にした点にあります。カゴメ格子やアルキメデス格子といった特定の原子配列パターンが、特殊な量子特性を生み出す可能性があることが知られており、この知識をAIに組み込むことで効率的な探索が実現しました。
実際の成果として、1000万の候補から最終的に2つの新化合物TiPdBiとTiPbSbの合成に成功した点は注目に値します。41%という高い確率で磁性を持つ材料を発見できたことは、従来の手法と比較して大幅な効率向上を示しています。
一方で、潜在的な課題も存在します。研究チームも指摘するように、AIが予測した材料特性と実際に合成した材料の特性が一致するかは実験による検証が不可欠です。また、安定性よりも特殊性を重視するアプローチは、実用化における別の困難を生む可能性もあります。
長期的な視点では、この技術は量子コンピューター開発の加速だけでなく、超伝導材料、磁性材料、さらには炭素捕獲材料など幅広い分野での応用が期待されます。特に希土類元素に依存しない代替材料の開発は、資源制約や地政学的リスクの軽減にも寄与する可能性があります。
【用語解説】
量子スピン液体: 物質の磁気的な状態の一つで、極低温でも磁気秩序を形成しない特殊な量子状態。量子コンピューターの基本単位であるクビットの安定化に応用できる可能性がある。
拡散モデル: 機械学習の一種で、ノイズから段階的に構造を生成する生成AIモデル。画像生成AIで広く使われている技術を材料設計に応用している。
カゴメ格子(Kagome lattice): 六角形の頂点を結んだ三角形が規則的に配列した2次元格子構造。日本の伝統的な竹籠編みパターンに由来する名称で、特殊な量子特性を示すことで知られる。
アルキメデス格子: 複数の正多角形を規則的に配列した2次元タイリングパターン。11種類の基本形があり、それぞれ異なる量子現象を引き起こす可能性がある。
フラットバンド: 電子のエネルギーバンドが平坦になった状態。希土類元素と同様の特性を示しながら、希土類元素を使わない材料設計が可能になる。
【参考リンク】
MIT News(外部)
マサチューセッツ工科大学の公式ニュースサイト。最新の研究成果や技術開発について詳細な情報を提供している。
Nature Materials(外部)
材料科学分野で最も権威のある学術誌の一つ。今回の研究成果が掲載された雑誌で、査読済みの高品質な研究論文を発表している。
Oak Ridge National Laboratory(外部)
米国エネルギー省所属の国立研究所。世界最高クラスのスーパーコンピューターを保有し、今回の研究で大規模シミュレーション担当。
Computer Science and Artificial Intelligence Laboratory (CSAIL)(外部)
MITのコンピューターサイエンス・人工知能研究所。AI技術の最先端研究を行う世界有数の研究機関である。
【参考記事】
New Tool Enhances Generative AI Models to Accelerate Discovery of Breakthrough Materials
SCIGENが従来の「安定性」を重視するAIモデルから、「特殊な構造」を重視するモデルへとパラダイムシフトを促す点を強調しています。AIの生成プロセスに幾何学的な制約を組み込むことで、量子現象に直結する材料の発見を効率化する技術的な側面を解説しています。
MIT’s SCIGEN Tool Boosts AI for Stable Quantum Materials Design
生成AIが物理的にあり得ない構造を「幻覚(ハルシネーション)」する問題を指摘し、SCIGENが現実世界の物理法則という「ガードレール」をAIに与える役割を果たすと説明しています。AIの創造性を保ちつつ、実用的な候補のみを生成させるという本技術の核心的な利点を分かりやすく解説しています。
【編集部後記】
量子コンピューターの実現には、まだ多くの技術的ハードルが残されています。今回のSCIGEN技術は、そのハードルの一つである「材料の壁」に新たなアプローチを提示しました。皆さんは、AIが材料開発の分野でどのような可能性を秘めていると思われますか?
特に興味深いのは、従来の「安定性重視」から「特殊性重視」への発想転換です。これまで材料科学では、安定で実用的な材料の開発が主流でしたが、量子技術の進歩には「特殊な性質を持つ材料」が不可欠です。この転換は、他の技術分野にも応用できるのでしょうか?
また、希土類元素に依存しない代替材料の開発は、資源制約や地政学的リスクの観点からも注目されます。皆さんの身の回りでも、材料の制約によって実現が困難になっている技術やサービスはありませんか?今回の成果が、そうした課題解決の糸口になることを期待しています。