1942年10月3日、天才は空を見上げた ― フォン・ブラウンとV2ロケット誕生秘話
「宇宙への夢を語りすぎた」――それが罪状だった。ヴェルナー・フォン・ブラウン、わずか30歳の若き天才は、1942年10月3日に人類初の宇宙到達という偉業を成し遂げます。しかしナチス政権下で、彼の夢は兵器開発として実現されました。ゲシュタポに逮捕されるほど宇宙に憧れながらも、戦争という現実に引き裂かれた男の物語です。
少年の夢、軍の野望
1912年、貴族の家系に生まれたフォン・ブラウンは、幼少期から天文学に魅せられていました。17歳ごろから宇宙旅行協会に参加し、ロケット実験に没頭。しかしベルサイユ条約で航空兵器を制限されたドイツ軍部が、彼の才能に目をつけます。「宇宙へ行くには、軍の資金が必要だった」――理想を実現するため、彼は悪魔との契約を選びました。
地獄のペーネミュンデ、3度目の挑戦
ペーネミュンデ実験場。フォン・ブラウン率いる技術チームは、何度も失敗を繰り返します。1回目の打ち上げはわずか1.6kmで海へ墜落。2回目は高度11.2kmに到達するも空中爆発。資金は削られ、軍からのプレッシャーは日に日に増していきました。
そして1942年10月3日、3度目の打ち上げ。ロケットは大気圏を突破し、高度84kmの宇宙空間へ。
この高度がどれほど凄いか――当時の航空機は高度10~13km程度が限界でした。V2はその約6~8倍も高い場所に到達したのです。比較すると、民間旅客機が飛ぶ高度約12km、成層圏の上限が約50km。そして国際的に宇宙の定義とされる「カーマン・ライン」は高度100km。V2の84kmは、米国空軍が宇宙の境界と定める80kmを超えており、この基準では完全な宇宙空間です。
この高度では大気はほとんど存在せず、空は真っ黒で地球が丸く見える――まさに「宇宙」の光景が広がります。「ロケットは完璧に機能した。だが、間違った惑星に落ちた」――フォン・ブラウンは後にこう語ります。

ロンドンを焼く、そして地下工場の犠牲
V2は「報復兵器」として量産され、ロンドンやアントワープに雨あられと降り注ぎました。約1,000kgのアマトール爆薬を搭載し、最大射程約300km、音速の数倍で飛来するため、迎撃不可能。ロンドンへ到達したのは517機(総発射数は1000~1300発ほどとされている)。残りは技術的トラブルや誘導精度の低さにより、途中で墜落しました。
数千人の命を奪った兵器。しかしさらに衝撃的な事実があります――V2は地下工場「ミッテルバウ=ドーラ強制収容所」で製造され、生産過程で約2万人もの強制労働者が死亡しました。実際にV2の攻撃で亡くなった犠牲者よりも、生産過程での犠牲者の方が多かったという悲劇です。
フォン・ブラウンは技術者として成功しながらも、この非人道的な生産体制をどこまで知っていたのか。彼の夢は宇宙探査。しかし現実は、地上の破壊と、無数の命の犠牲の上に成り立っていました。

戦後、アメリカでの栄光と沈黙
終戦とともに、フォン・ブラウンは米軍に投降。ペーパークリップ作戦により、約120名の技術者とともにアメリカへ渡ります。冷戦下、アメリカは彼の過去をほとんど問題視しませんでした。ソ連に勝つことが最優先であり、彼のナチス時代の活動は事実上免責されました。
米国はホワイトサンズでV2を使った実験を続け、フォン・ブラウンの技術を吸収。NASA創設後、彼はアポロ計画を主導し、人類を月へ送り届けることに成功。「アメリカ宇宙開発の父」として国民的英雄となります。
V2で始まった技術が、ついに本来の目的――宇宙探査――を果たした瞬間。それは偉業でした。しかし、その足元に2万人の犠牲があったことを、私たちは忘れてはいけません。
現代へ続く、血塗られた遺産
フォン・ブラウンの技術は、米ソ宇宙開発競争を経て、現代の民間宇宙ビジネスへの祖となっています。SpaceXやBlue Originが打ち上げるロケットも、その系譜の上に立っています。
だが私たちは、どう向き合えばいいのでしょうか。今日、私たちが手にする宇宙テクノロジーは、約2万人もの強制労働者の犠牲の上に成り立っています。彼らの名前も、夢も、奪われたまま歴史に埋もれています。
技術は中立。だが使う人間の選択が、未来を決める――この言葉は正しいのでしょうか。技術を生み出す「過程」そのものに、倫理的責任が問われるべきではないでしょうか。
【用語解説】
ヴェルナー・フォン・ブラウン:
ドイツ出身のロケット工学者。V2開発の中心人物で、後にNASAでアポロ計画を主導。
ペーネミュンデ
ドイツ北部バルト海沿岸のロケット実験場。V2が開発された秘密基地。
ミッテルバウ=ドーラ強制収容所
V2が地下で生産された強制収容所。約2万人が死亡。
ペーパークリップ作戦
戦後、米軍がドイツの科学者を確保・移送した極秘作戦。
カーマン・ライン
高度100kmの境界線。国際的に宇宙空間の定義とされる。
【Information】
NASA (アメリカ航空宇宙局) (外部)
フォン・ブラウンが戦後に参画し、アポロ計画を主導した米国の宇宙開発機関。V2の技術が現代宇宙開発に継承される過程を知ることができます。
JAXA (宇宙航空研究開発機構)(外部)
日本の宇宙開発を担う機関。宇宙開発史や技術解説など、教育コンテンツが充実しています。
スミソニアン国立航空宇宙博物館(外部)
ワシントンD.C.にある世界最大級の航空宇宙博物館。V2ロケットの実物やフォン・ブラウンに関する資料が展示されています。
ミッテルバウ=ドーラ強制収容所記念館(外部)
ドイツ・ノルトハウゼンにある記念館。V2生産で犠牲になった強制労働者を追悼し、歴史を伝える施設です。
ペーネミュンデ歴史技術博物館(外部)
V2ロケットが開発された実験場跡地に建つ博物館。ロケット技術史と戦争の歴史を同時に学べる施設です。
【編集部後記】
フォン・ブラウンの人生は、技術者の理想と現実の狭間を鮮烈に映し出します。「夢のために手を汚すのか、それとも手を引くのか」――この問いは、AIや生成技術が急速に発展する現代にも通じるものです。
V2生産で犠牲になった2万人の命。彼らの多くは、名前も記録されず、歴史の闇に消えました。一方で、その技術は現代の宇宙産業の礎となり、私たちは宇宙旅行や衛星通信の恩恵を受けています。
この矛盾を、私たちはどう受け止めればいいのでしょうか。技術の進歩を称賛しながら、その影にある犠牲を忘れてはいないでしょうか。テクノロジーは誰のもので、どう使うべきなのか。そして、技術を生み出す「過程」における倫理的責任とは何なのか。
みなさんは、技術者の責任について、どう考えますか。歴史から学び、未来に生かすために、この問いと向き合い続けたいと思います。