MITのAI「DiffDock」が創薬革命、クローン病向け抗生物質の作用機序を大幅に短縮

MITのAI「DiffDock」が創薬革命、クローン病向け抗生物質の作用機序を大幅に短縮 - innovaTopia - (イノベトピア)

MITのコンピュータサイエンス・人工知能研究所(CSAIL)とマクマスター大学の研究者たちは、クローン病の治療に向けた新しい抗生物質候補「エンテロロリン」を特定した。

この化合物は、クローン病の再燃に関連する大腸菌を標的として抑制する一方で、腸内マイクロバイオームの他の細菌にはほとんど影響を与えない。研究チームは、MIT博士課程学生ガブリエーレ・コルソ氏とMIT教授レジーナ・バルジライ氏が開発した生成AIモデル「DiffDock」を使用し、通常数年かかる作用機序の解明をわずか数か月に短縮した。

DiffDockは、エンテロロリンが特定の細菌のリポタンパク質輸送に不可欠なタンパク質複合体「LolCDE」に結合することを予測し、その後の実験室での検証でこの予測が正確であることが確認された。

従来18か月から2年以上かかる作用機序研究を約6か月に短縮し、コストも大幅に削減した。元記事によればストークス氏のスピンアウト企業Stoked Bioが化合物のライセンスを取得し、ヒト使用に向けた最適化を進めているという。

From: 文献リンクAI maps how a new antibiotic targets gut bacteria – MIT News

【編集部解説】

今回のMITとマクマスター大学による研究は、抗生物質開発における2つの本質的な課題を同時に解決する画期的な成果です。

第一の課題は、従来の広域スペクトル抗生物質が引き起こす「マイクロバイオーム破壊」という副作用にあります。炎症性腸疾患の患者に広域抗生物質を投与すると、病原菌とともに有益な腸内細菌も死滅させてしまい、むしろ症状を悪化させるケースが報告されています。抗生物質による腸内環境の乱れは、下痢や二次感染といった短期的影響だけでなく、肥満、アレルギー、認知機能障害といった長期的な健康被害にもつながることが明らかになっています。

エンテロロリンは、この問題に対する解決策として開発された「狭域スペクトル抗生物質」です。特筆すべきは、クローン病の炎症悪化に関与する大腸菌などのエンテロバクター科の細菌のみを標的とし、他の有益な腸内細菌には影響を与えない点にあります。マウス実験では、一般的な抗生物質バンコマイシンと比較して、エンテロロリン投与群の方が回復が早く、マイクロバイオームの健全性も維持されたことが確認されました。

第二の課題は、新薬開発における最大のボトルネックである「作用機序の解明」です。従来、薬剤が細菌内のどのタンパク質に結合するかを特定するには、18か月から2年以上の実験期間と数百万ドルの費用が必要でした。今回の研究では、MITのガブリエーレ・コルソ氏とレジーナ・バルジライ教授が開発したAIモデル「DiffDock」を使用することで、この工程をわずか数分の計算処理に短縮しました。

DiffDockは、従来の分子ドッキング手法とは異なるアプローチを採用しています。従来法がスコアリングルールに基づいてすべての可能な結合形態を探索していたのに対し、DiffDockは拡散モデルという生成AI技術を活用し、確率的推論によって最も可能性の高い結合様式を予測します。ブラインドドッキングテストでは、従来の物理ベース手法GLIDEの21.8%や他のディープラーニング手法の20.4%に対し、DiffDockは38.2%の精度を達成しました。

重要なのは、AIの予測が単なる仮説ではなく、実験で検証可能な具体的な手がかりを提供した点です。DiffDockはエンテロロリンがLolCDEというタンパク質複合体に結合すると予測し、その後の耐性変異株の作成、RNAシーケンシング、CRISPR実験すべてが、この予測を裏付ける結果を示しました。

この技術の意義は、クローン病治療だけにとどまりません。世界的に深刻化する抗菌薬耐性(AMR)問題への対応策としても注目されています。2025年から2050年の間に、AMRによって直接的に3,910万人が死亡すると予測されており、これは毎分3人が命を落とす計算になります。狭域スペクトル抗生物質の開発は、耐性菌の出現リスクを抑えながら治療効果を維持できる可能性があり、このAI支援アプローチが実用化されれば、他の病原体に対する新薬開発も加速するでしょう。

現在、ストークス氏が設立したスピンアウト企業Stoked Bioがエンテロロリンのライセンスを取得し、ヒト臨床試験に向けた最適化作業を進めています。順調に進めば数年以内に臨床試験が開始される見込みです。同時に、肺炎桿菌など他の耐性病原体に対する誘導体の研究も進行中で、この技術の応用範囲はさらに広がっていくと考えられます。

【用語解説】

エンテロロリン(Enterololin)
MITとマクマスター大学の研究チームが発見した狭域スペクトル抗生物質候補。クローン病の炎症悪化に関与する大腸菌などエンテロバクター科の細菌のみを標的とし、他の有益な腸内細菌には影響を与えない特性を持つ。

DiffDock
MITのCSAILで開発された生成AIモデル。拡散モデル技術を活用して、薬剤候補となる小分子がタンパク質のどの部位に結合するかを予測する。従来手法と比較して高い精度を実現し、創薬における作用機序解明のプロセスを大幅に短縮できる。

狭域スペクトル抗生物質(Narrow-spectrum antibiotics)
特定の細菌種や細菌群のみを標的とする抗生物質。広域スペクトル抗生物質が多種多様な細菌を殺菌するのに対し、狭域スペクトル抗生物質は病原菌のみを攻撃し、有益な常在菌への影響を最小限に抑える。

LolCDE
特定のグラム陰性菌に存在するタンパク質複合体。細菌のリポタンパク質を内膜から外膜へ輸送する役割を担う。エンテロロリンはこの複合体に結合することで細菌の生存に必要な機能を阻害する。

クローン病(Crohn’s Disease)
消化管に慢性的な炎症を引き起こす炎症性腸疾患の一種。口から肛門までのあらゆる部位に発症する可能性があり、腹痛、下痢、体重減少などの症状を伴う。完治が難しく、長期的な管理が必要となる。

抗菌薬耐性(AMR: Antimicrobial Resistance)
細菌が抗生物質に対して耐性を獲得し、薬剤が効かなくなる現象。不適切な抗生物質の使用や過剰使用によって加速しており、世界的な公衆衛生上の脅威となっている。

【参考リンク】

MIT CSAIL(Computer Science and Artificial Intelligence Laboratory)(外部)
マサチューセッツ工科大学のコンピュータサイエンスと人工知能研究の中核機関。DiffDockをはじめとする先端的なAI技術の開発を行っている。

McMaster University – David Braley Centre for Antibiotic Discovery(外部)
カナダの研究大学。抗生物質発見に特化したセンターを擁し、ジョン・ストークス助教授らが新規抗菌剤の開発研究を行っている。

DiffDock GitHub Repository(外部)
DiffDockのオープンソースコード公開ページ。研究者や開発者が自由にアクセスでき、分子ドッキング予測の実装や研究への応用が可能。

Nature Microbiology – 論文掲載誌(外部)
自然科学分野で最も権威のある学術誌Natureの微生物学専門誌。今回の研究成果が2025年10月に掲載された。

【参考記事】

Antibiotic resistance could cause 39 million deaths between now and 2050 – University of Oxford(外部)
オックスフォード大学の研究による抗菌薬耐性の将来予測。2025年から2050年の間にAMRによって約3,900万人が死亡するという衝撃的なデータを提示。

AI Pioneers New Antibiotic Targets for IBD – Bioengineer.org(外部)
炎症性腸疾患治療におけるAI活用の意義を解説。DiffDockの予測とその後の実験室検証がすべて一致した経緯を詳述している。

Current understanding of antibiotic-associated dysbiosis – PMC(外部)
抗生物質による腸内環境の乱れに関する包括的レビュー。広域抗生物質が引き起こす短期的・長期的影響について科学的エビデンスを整理。

What’s so special about DiffDock? – Genophore(外部)
DiffDockの技術的優位性を解説。従来手法と比較してDiffDockが38.2%の精度を達成したブラインドドッキングテストの結果を報告。

【編集部後記】

AIによる創薬支援が、単なる効率化を超えて「人に優しい医療」の実現につながっていく様子を、今回の研究は示してくれました。抗生物質という身近な薬が、これほど繊細な設計思想で開発される時代になったことに、みなさんはどのような可能性を感じられるでしょうか。

クローン病だけでなく、日常的に抗生物質を服用する機会は誰にでもあります。腸内環境を守りながら病原菌だけを攻撃できる薬が実用化されたとき、私たちの健康管理はどう変わっていくのか。一緒に考えていけたら嬉しいです。

投稿者アバター
omote
デザイン、ライティング、Web制作を行っています。AI分野と、ワクワクするような進化を遂げるロボティクス分野について関心を持っています。AIについては私自身子を持つ親として、技術や芸術、または精神面におけるAIと人との共存について、読者の皆さんと共に学び、考えていけたらと思っています。

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