OpenAIと元AppleデザイナーJony Iveが共同開発中のAI搭載ハードウェアデバイスが、技術的課題により大幅な遅延に直面している。スクリーンを持たず音声、カメラ、センサーで対話する日常アシスタントを目指すこのデバイスは、スマートフォンサイズで常時オンを想定している。最大の問題は物理デザインではなく、大規模言語モデルを大衆市場向けデバイスで動作させるための計算資源とソフトウェアインフラにある。
関係者によれば、OpenAIはChatGPTのための十分なコンピュートさえ確保に苦労している状況だ。また、アシスタントのパーソナリティ設計も未解決で、へつらい過ぎず直接的過ぎないバランスを模索中である。OpenAIは今年65億ドルでIveのデザイン会社LoveFromのio部門を買収し、20人以上の元Appleエンジニアを獲得した。製造は中国メーカーLuxshareと協力するが、最終生産は中国国外の可能性がある。
From: OpenAI’s Jony Ive Hardware Dream Faces Big Delays, Insiders Say
【編集部解説】
このプロジェクトが直面している計算資源の問題は、AI業界全体が抱える構造的課題を浮き彫りにしています。AmazonやGoogleが自社のクラウドインフラを活用してAlexaやGoogle Homeを運用できるのに対し、OpenAIはMicrosoftのAzureに依存しており、大規模言語モデルを小型デバイスに最適化する技術的ハードルが高い状況です。関係者の証言によれば、「OpenAIはChatGPT用のコンピュートさえ確保に苦労している状況で、AIデバイス向けのリソースを確保するのはさらに困難」とのことです。エッジコンピューティングとクラウド処理のバランスをどう取るかが、製品化の鍵を握るでしょう。
デバイスが「常時オン」でセンサーから継続的にデータを収集する設計は、プライバシーとセキュリティの観点から重要な論点となります。EUのAI規制法やGDPRのような既存の枠組みに加え、常時監視型AIデバイスに対する新たな規制議論が活発化する可能性があります。特に家庭内での音声・映像データの取り扱いは、消費者の信頼獲得に直結する要素です。AlexaやGoogle Homeでさえ、プライバシー懸念から完全な信頼を得られていない現状を考えると、OpenAIはより高度なプライバシー保護機能を実装する必要があるでしょう。
AIアシスタントのパーソナリティ設計という課題は、技術的問題というより哲学的な問いかけでもあります。関係者によれば、開発チームは「へつらい過ぎず直接的過ぎない」バランスを模索中で、いつ会話に参加し、いつ黙るべきかを判断させることに苦慮しているとのことです。この課題は文化圏によっても異なり、グローバル展開を目指す製品では地域ごとのカスタマイズが必要になるかもしれません。この点は、画一的なデザイン哲学で知られるIveのアプローチとどう折り合いをつけるかが注目されます。
OpenAIが買収したのはIveのデザインスタジオLoveFromではなく、2024年に設立されたハードウェア製造スタートアップ「io」である点に注意が必要です。LoveFromは独立を維持したまま、OpenAIのデザイン業務全般を担当します。io買収により約55人の元Appleエンジニアやデザイナーが参加し、その後もOpenAIは20人以上の追加人材を採用しています。ソフトウェア企業からハードウェア統合型のプラットフォーマーへの転換は、AppleやGoogleが辿った道ですが、OpenAIには製造ノウハウや流通網の蓄積がありません。
Luxshareとの提携は製造面での解決策ですが、最終的に中国国外での生産を検討している点は、地政学的リスクを意識した判断と言えるでしょう。Luxshareは既にAppleのiPhoneやAirPods、Vision Proの製造を手がけており、大規模生産の実績は十分です。さらにOpenAIは音響部品供給のためGoertek(AirPods、HomePod、Apple Watchの製造を担当)とも協議中とされ、Apple製品のサプライチェーンを活用する戦略が明確になっています。これは製造面での優位性を確保する一方で、Appleとの潜在的な競合関係を深める動きでもあります。
この遅延は、AI業界における「モデル開発」と「実用的なプロダクト化」の間に横たわる深い溝を象徴しています。優れたAIモデルを持つことと、それを数億人が日常的に使える製品に落とし込むことは、全く異なる挑戦です。HumaneのAI Pinの失敗が示すように、技術的な野心と市場の受容性のギャップを埋めることは容易ではありません。OpenAIとIveのチームがこの課題をどう乗り越えるのか、2026年後半から2027年初頭に予定される製品発表が待たれます。
【用語解説】
Jony Ive
元AppleのチーフデザインオフィサーでiPhoneやiMacのデザインを手がけた伝説的デザイナー。2019年にAppleを退社し、デザイン会社LoveFromを設立した。
LoveFrom
Jony Iveが2019年に設立したデザインコンサルティング会社。Appleやフェラーリなどのプロジェクトを手がけていた。OpenAIはそのio部門を買収した。
大規模言語モデル
膨大なテキストデータで訓練された深層学習モデルで、自然言語の理解と生成が可能。GPT-4などがこれに該当し、高度な計算資源を必要とする。
コンピュート
計算処理能力やその実行に必要なハードウェアリソース全般を指す業界用語。AIモデルの学習や推論には大量のコンピュートが必要となる。
エッジコンピューティング
クラウドではなくデバイス側で処理を行う技術手法。レイテンシの削減やプライバシー保護のメリットがあるが、デバイスの計算能力に制約される。
【参考リンク】
OpenAI 公式サイト(外部)
ChatGPTを開発したAI研究企業の公式サイト。製品情報、研究論文、企業ニュースなどを掲載している。
LoveFrom 公式サイト(外部)
Jony Iveが設立したデザインスタジオの公式サイト。過去のプロジェクトやデザイン哲学についての情報を提供。
Financial Times(外部)
本記事の情報源となった英国の経済紙。テクノロジー企業の動向や国際ビジネスニュースを詳細に報じる。
【参考記事】
【編集部後記】
AppleでiPhoneを生み出したJony Iveが、今度はスクリーンのないAIデバイスに挑んでいます。計算資源の確保からパーソナリティ設計まで、課題は山積みですが、だからこそ興味深いプロジェクトと言えます。常時オンで家庭内のデータを収集するデバイスを、どこまで受け入れられるでしょうか。
AlexaやGoogle Homeでさえ完璧とは言えない中、OpenAIはどんな差別化要素を打ち出すのでしょうか。65億ドルの投資が実を結ぶまでには時間がかかりそうですが、ハードウェアとAIの融合が生む新しい体験は、スマートフォン以来の大きな変革になるかもしれません。地政学的リスクを考慮した生産拠点の選択も、今後の動向を左右する要素でしょう。