中国の決断と「もう一つのエコシステム」—Windows 10サポート終了が加速させる技術主権と米中デカップリング

[更新]2025年10月7日10:26

 - innovaTopia - (イノベトピア)

サポート終了は「命令」である

これまでの2日間、私たちはWindows 10のサポート終了という出来事を、まず「個人の選択」、次に「社会構造の問題」というレンズを通して見てきました。PCが無防備になるリスクと5つの選択肢、そしてその背後にある企業の戦略と地球環境への影響。これらは主に、私たち西側諸国の市場原理と個人の自由という文脈の中でのお話でした。

しかし今日、私たちは全く異なる視点からこの問題を捉え直す旅に出たいと思います。その舞台は、世界のもう一つの大国、中国です。

私たちにとってWindows 10のサポート終了が「選択を迫る案内状」であるとするならば、中国にとってそれは、国家の安全保障を揺るがす「最後通牒」であり、長年準備してきた壮大な国家戦略を実行に移すための「号砲」に他なりません。

西側が市場原理と規制の中で格闘する一方、中国はこの事態を全く異なるレンズで捉えています。彼らにとって、これは単なるOSの移行問題ではありません。米国の技術的支配から完全に脱却し、自国のデジタルインフラを自らの手でコントロールするための「技術主権」を確立する、歴史的な好機なのです。

この物語を理解するためには、私たちの常識を一度脇に置く必要があります。そこでは、個人の好みや企業の利益よりも、国家の安全保障と長期的な戦略がすべてに優先されます。マイクロソフトの決定は、中国という巨大な国家が、西側とは異なる「もう一つのエコシステム」を構築する決意を固め、その歩みを加速させる、意図せざる強力な触媒となってしまったのです。

本日は、この壮大な地政学的なドラマの幕を開け、Windows 10のサポート終了が、いかにして中国の未来を、そして世界のデジタル地図を塗り替えようとしているのか、その深層に迫っていきたいと思います。

第1部:不信の歴史と地政学的な要請

中国がなぜこれほどまでに、米国製テクノロジーからの脱却を急ぐのでしょうか。その背景には、長年にわたって蓄積されてきた根深い不信感と、近年の激しい米中対立があります。

1. スノーデン事件という原体験

中国政府の米国技術に対する不信感を決定的にした事件として、2013年のエドワード・スノーデンによる告発が挙げられます。元NSA(アメリカ国家安全保障局)職員であった彼が暴露した文書により、米国政府が中国の政府機関やファーウェイ(Huawei)のような大手企業に対し、サイバー攻撃を仕掛けていたことが明らかになりました。

この事件は、中国の指導者たちに強烈な教訓を刻み込みました。それは、「米国のテクノロジーに依存している限り、国家の心臓部を常に外国の監視下に置くことになる」という厳しい現実です。OSのような基幹ソフトウェアは、単なる便利な道具ではなく、いざとなれば国家に対する武器にもなりうる。この認識が、その後の中国の技術戦略の根幹を形作っていくことになります。

2. 米中技術戦争という新たな現実

スノーデン事件以降も、米中関係は改善するどころか、むしろ悪化の一途をたどりました。特に、米国が安全保障上の懸念を理由に、ファーウェイをはじめとする中国のハイテク企業に対して半導体の輸出規制や金融制裁といった厳しい措置を発動したことは、中国に「技術的デカップリング(切り離し)」を決意させる上で決定的な役割を果たしました。

米国からの制裁は、中国にとって、重要な技術を外国に依存することの戦略的脆弱性を改めて浮き彫りにしました。半導体チップがなければスマートフォンもサーバーも作れない。OSがなければPCはただの箱に過ぎない。重要なサプライチェーンを他国に握られている限り、国家の経済も安全保障も盤石とは言えないのです。

このような相互不信の連鎖は、あらゆる側面に影を落としています。マイクロソフトは国家ぐるみのハッキングを疑い、一部の中国企業への情報共有を制限し、一方で米国政府は中国在住のエンジニアが国防総省の機密システムを保守していることに懸念を抱く。もはや、両国の技術協力は信頼に基づいたパートナーシップではなく、互いの腹を探り合う緊張関係へと変質してしまったのです。

3. サポート終了が「正当性」を与えた

こうした地政学的な文脈の中に、今回のWindows 10サポート終了を位置づけてみると、その意味合いは全く異なって見えてきます。

中国政府にとって、単にWindows 11へアップグレードすることは、問題の先延ばしでしかありません。なぜなら、それは引き続き米国のエコシステムに依存し続けることを意味するからです。

そこへ、マイクロソフト自身が「2025年10月14日をもって、数億台のPCが安全ではなくなる」と宣言したのです。これは、中国政府が長年抱いてきた懸念を裏付ける、これ以上ないほど強力な「証拠」となりました。

中国政府は、この事態を国内の企業や国民に示すことで、自らの主張を正当化することができます。「見なさい。我が国のデジタルインフラの運命は、戦略的ライバルである米国の、一企業の都合でいとも簡単に左右されてしまうのだ。我々には、我々自身の手による技術が必要なのだ」と。

このようにして、Windows 10のサポート終了という一企業の商業的な決定は、中国が国家規模の技術代替戦略を推し進めるための、またとない「大義名分」と「強力な推進力」へと転化したのです。それは、国内の抵抗を乗り越え、莫大なコストと混乱を伴う国家プロジェクトを正当化するための、交渉の余地のない最終期限を創り出しました。


第2部:「信創」という国家プロジェクトと「79号文書」の衝撃

中国政府の対応は、単なる場当たり的なものではありません。そこには、「信創(しんそう)」と呼ばれる壮大な国家戦略と、その実行を厳命する秘密指令の存在があります。本章では、中国の技術的自立を支える、この巨大なプロジェクトの設計図を解き明かしていきます。

1. 「信創」とは何か?——自給自足のためのグランドストラテジー

「信創(Xinchuang)」とは、「情報技術応用イノベーション」の略語で、完全に国内で管理・コントロール可能なITエコシステムをゼロから構築することを目的とした、政府主導の包括的な国家戦略です。

その範囲は、私たちが普段使うPCやサーバーといったハードウェアから、その上で動くOSやデータベース、さらにはオフィスソフトや業務システムといったアプリケーションに至るまで、IT技術のあらゆる階層を網羅しています。

この戦略の核心にあるのは、2016年に設立された政府系の秘密委員会です。この委員会は、信頼できる国内のIT企業を選定し、「ホワイトリスト」を作成します。そして、政府機関や金融、エネルギーといった国の重要インフラを担う企業に対し、このリストに掲載された企業から製品を調達するよう、事実上義務付けているのです。

これにより、中国国内には、外国企業が参入できない、巨大な「保護された市場」が人為的に創り出されます。この市場は、2025年までに1250億ドル(約18兆円)以上の規模に達すると予測されており、国内のテクノロジー企業を育成するための巨大な苗床となっているのです。

2. 秘密指令「79号文書」——“アメリカを削除せよ”

この「信創」戦略を、より強力かつ具体的に推し進めるために2022年9月に発出されたのが、機密指令「79号文書」です。その内容は極秘とされ、政府高官や国有企業の幹部でさえ、文書のコピーを取ることは許されず、閲覧のみが許可されるという徹底した情報管理下に置かれました。

この文書が命じる内容は、衝撃的です。それは、政府機関および国有企業に対し、2027年までに、ITシステムで使われている外国製のソフトウェアを、すべて国産のものに置き換えることを義務付けるものでした。

この指令は、非公式に「脱A(Delete A)」、すなわち「Delete America(アメリカを削除せよ)」として知られています。

その対象は、金融、エネルギー、通信、交通といった、国家の根幹を支えるあらゆる重要セクターに及びます。中国政府は、国有企業が持つ年間数兆ドルにも上る莫大な購買力をテコにして、マイクロソフトやオラクルといった米国の巨大IT企業を市場から締め出し、その代わりに国内のIT企業を育て上げようとしているのです。

さらに、この指令は国有企業に対し、国産化の進捗状況を四半期ごとに報告することを義務付けており、その実行を厳しく管理しています。

ITカテゴリ代替目標期限影響を受ける西側ベンダー(例)
コアオフィスシステムオフィスソフト、メール等の完全国産化2025年までMicrosoft (Office, Windows)
業務管理システムERP、人事、顧客管理等の国産化2027年までOracle, IBM, SAP
オペレーティングシステム国産OSへの完全移行2027年までMicrosoft (Windows)
コアハードウェアサーバー、ネットワーク機器の国産化2027年までDell, HP, Cisco

(出典: The Wall Street Journal, Ginterfaces などの報道)

この一連の政策は、単なる防御的な安全保障措置にとどまりません。これは、国家の力を使って国内市場を意図的に創出し、国内企業を育成するための、極めて攻撃的な産業政策です。

現時点では、中国の国産ソフトウェアの多くは、性能や安定性において、長年の実績を持つマイクロソフトやオラクルの製品には及びません。実際、一部の国有企業は、業務への支障を懸念して、国産品への置き換えに「二の足を踏んでいる」とも報じられています。

しかし、中国政府の戦略は、国内企業が自由市場で競争力をつけるのを待つ、という悠長なものではありません。国家の絶対的な権限を行使して、国内製品の購入を「指令」するのです。これにより、「信創」のホワイトリストに選ばれた企業には、莫大で安定した収益が保証されます。そして、その収益を研究開発に再投資することで、米国企業との技術格差を急速に縮めていく。これが、中国が描く技術自立へのロードマップなのです。


第3部:勃興する国内チャンピオンたち——もう一つのエコシステム

国家による強力な後押しを受け、中国ではWindowsに代わる「もう一つのエコシステム」が急速に形作られつつあります。本章では、その中心的な担い手である、国産OSと国産PCメーカーの動向を見ていきましょう。

1. Windowsへの挑戦者たち:国産オペレーティングシステム

現在、中国では主に3つの国産OSが覇権を争っています。

  • ファーウェイ(Huawei)の野心作:「HarmonyOS NEXT」
    最も野心的で、世界的な注目を集めているのが、ファーウェイが開発する「HarmonyOS NEXT」です 20。米国の制裁によってGoogleのAndroidを使えなくなったファーウェイが、まさにゼロから開発したこのOSは、LinuxやAndroidのコードを一切含まない、完全な独自OSを目指しています 26。
    すでにスマートフォン市場では「世界第3のモバイルOS」としての地位を固めつつありますが、その野心はPC市場にも及んでいます。最近発表された「鴻蒙PC(HarmonyOS PC)」は、Windowsが支配する市場への本格的な挑戦状です。
    HarmonyOSの最大の特徴は、スマートフォン、PC、自動車、スマートウォッチといったあらゆるデバイスが、一つのOSの上でシームレスに連携する「分散型」アーキテクチャにあります 24。これは、単なるWindowsの模倣ではなく、ポスト・スマートフォンの時代を見据えた、全く新しいコンピューティング体験を創造しようという壮大な試みです。
  • 政府・企業市場の担い手:「KylinOS」と「UOS」
    ファーウェイが消費者市場も視野に入れているのに対し、「KylinOS(銀河麒麟)」と「UOS(統信)」は、主に政府機関や国有企業といった、より保守的な市場をターゲットにしたLinuxベースのOSです 34。
    これらのOSは、長年にわたって中国の政府や軍のシステムで利用されてきた実績があり、「信創」プロジェクトにおいても、標準的な選択肢として採用されるケースが多くなっています 1。Windowsからの移行をスムーズにするため、操作感や互換性を重視した、より実用的なアプローチを取っているのが特徴です。

2. 新たなOSを載せる器:国産PCメーカーの戦略

これらの国産OSを搭載するPCを製造するハードウェアメーカーも、国家戦略と密接に連携しながら動いています。

  • レノボ(Lenovo)の二正面作戦
    世界最大のPCメーカーであるレノボは、非常に巧みな二正面作戦を展開しています。グローバル市場では、これまで通りWindowsを搭載した「ThinkPad」などを販売し続ける一方で、国内の政府・企業向け市場では、「信創」準拠の製品ラインを強化しています。
    「開天(Kaitian)」や「昭陽(Zhaoyang)」といったブランド名で展開されるこれらのPCは、初めからKylinOSやUOSといった国産OSを搭載し、国産のCPUや部品との互換性を確保する形で設計されています 44。レノボは、単なるメーカーとしてだけでなく、国産技術のエコシステムをまとめる「旗振り役」としての役割も担っているのです。
  • 国家が支えるメーカーたち
    レノボ以外にも、清華同方(Tsinghua Tongfang)のような国営のPCメーカーも、この国家プロジェクトの重要な担い手です 1。彼らは、政府の調達基準に合わせ、国産のCPUやOSを搭載したPCやサーバーを製造・供給しています。

3. エコシステムという最大の壁

しかし、国産OSがWindowsに取って代わるためには、乗り越えなければならない巨大な壁があります。それは、「アプリケーション・エコシステム」の構築です。

Windowsがなぜこれほどまでに強力なのか。それは、OSそのものの機能だけでなく、その上で動く何百万ものソフトウェア資産(オフィスソフト、会計ソフト、設計ソフト、ゲームなど)と、それに慣れ親しんだ何億人ものユーザーが存在するからです。

この壁を乗り越えるため、例えばファーウェイは、まさに国家的な総力戦とも言える取り組みを進めています。開発者カンファレンスを大々的に開催し、675万人もの開発者を自社のエコシステムに登録させ、Kingsoftの「WPS Office」のような必須ソフトウェアを含む15,000以上のアプリをHarmonyOSネイティブ版として移植させました。さらに、国内300以上の大学と連携し、HarmonyOSの講座を開設するなど、未来の担い手を育てるための投資も惜しみません。

これは、単にOSを作るだけでなく、そのOSを中心とした一つの「経済圏」と「文化圏」を創造しようという、気の遠くなるような挑戦です。Windows 10のサポート終了は、この壮大な挑戦の正当性を裏付け、その歩みを加速させるための、またとない追い風となっているのです。


「スプリンターネット」の固定化と、世界の分断

ここまで見てきたように、中国におけるWindows 10サポート終了への対応は、私たちの想像をはるかに超えるスケールで、国家の威信をかけて進められています。それは、単なるOSの移行ではなく、米国の技術的支配から脱却し、独自のデジタル主権を確立するための、壮大な国家プロジェクトの一環です。

この動きが最終的に行き着く先は、世界のデジタル空間が二つに分断される未来、いわゆる「スプリンターネット(Splinternet)」の固定化かもしれません。

一方は、米国企業が主導し、市場原理とオープンな標準(少なくとも建前上は)に基づいた西側のインターネット。もう一方は、中国政府が厳格に管理し、国内の法律と国家戦略に基づいて運営される、独自の技術エコシステムです。

Windows 10のサポート終了は、この二つの世界の分岐を決定的にする、歴史的な出来事として記憶されることになるでしょう。マイクロソフトが商業的な判断として下した一つの決定が、意図せずして、中国が長年追求してきた国家戦略を正当化し、その実現を強力に後押しする結果となったのです。

この巨大な地政学的なうねりの中で、私たちはどこに立っているのでしょうか。西側でもなく、中国でもない、独自の立ち位置を模索してきた日本は、この世界の大きな構造変化にどう向き合っていくべきなのでしょうか。

最終回となる次回の記事では、この壮大な物語の視点を再び私たちの足元、日本へと戻し、このWindows 10サポート終了が日本の社会、特に医療や行政、経済にどのような具体的な影響を及ぼすのかを分析し、私たちが築くべき「持続可能なデジタル社会」への道筋を提言したいと思います。

【用語解説】

デジタル主権(技術主権)
国家が自国のITインフラや技術を自ら管理し、独立性と安全を確保する考え方。

Splinternet(スプリンターネット)
インターネットが政治的・規制的理由で複数に分断される現象。

信創(Xinchuang)
中国政府が推進する、完全に国内管理可能なITエコシステム構築を目指す国家戦略。

79号文書
2022年に中国政府が発出した、外国製IT製品を国産品に置き換えることを義務づける秘密指令。

ホワイトリスト
政府が認定した信頼できるIT製品・ベンダーのリスト。政府・国有企業はここから調達を義務付けられる。

Delete America(脱A)
79号文書における非公式名称。米国IT製品の排除を意味する。

Linuxディストリビューション
Linuxカーネルを基盤に独自設定や機能を加えた異なるOSバージョン群。

NSA(アメリカ国家安全保障局)
アメリカの情報収集・監視を担う国家機関。

【参考リンク】

HarmonyOS(ファーウェイ製OS)
ファーウェイが開発したスマートフォンやPC、IoT向けの分散型次世代OSである。

KylinOS(麒麟操作系統)
中国政府や軍の需要に応えるLinuxベースのOS。

UOS / 統信UOS(UnionTech OS)
中国向けのLinux系デスクトップ・サーバOSを提供する企業。

レノボ(Lenovo)
世界トップシェアのPCメーカーであり、中国国内向け信創基準対応製品も製造している。

清華同方(Tsinghua Tongfang)
清華大学系の国有IT企業で、国産ハードウェアを供給している。

WPS Office(キングソフト)
Microsoft Office互換の中国発オフィススイート。

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荒木 啓介
innovaTopiaのWebmaster

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