2025年 ノーベル化学賞│京都大学 北川進氏ら3人が受賞「金属有機構造体(MOF)の設計と合成」

 - innovaTopia - (イノベトピア)

2025年のノーベル化学賞は、金属有機構造体(Metal-Organic Frameworks, MOF)の開発により、化学に革命をもたらした3名の研究者に授与された。受賞者は、オーストラリア・メルボルン大学のリチャード・ロブソン(Richard Robson)教授、日本・京都大学の北川進(きたがわ・すすむ)特別教授、そしてアメリカ・カリフォルニア大学バークレー校のオマル・M・ヤギ(Omar M. Yaghi)教授の3名である。

MOFは、金属イオンまたは金属クラスターと有機リンカーが配位結合によって結合した多孔性結晶材料である。極めて高い表面積(最大7000m²/g)と調整可能な構造を持ち、二酸化炭素の捕獲、水素貯蔵、大気からの水分回収など、環境・エネルギー問題の解決に向けた幅広い応用が期待されている。

ロブソン教授は1980年代後半から配位高分子の基礎研究に取り組み、1989年に3次元的に連結した配位高分子構造を報告した。1937年英国ヨークシャー生まれで、オックスフォード大学で学位を取得後、1966年からメルボルン大学で研究を続けている。

ヤギ教授は1990年代半ばにMOFの体系的な合成法を確立し、レティキュラー化学(reticular chemistry)という新しい化学分野を創設した。1965年ヨルダン生まれで、パレスチナ難民の家庭に育ち、15歳で米国に移住。現在はカリフォルニア大学バークレー校のユニバーシティー・プロフェッサー(最高学術職位)を務める。

北川教授は1997年に配位高分子が永続的な多孔性とガス吸着特性を持つことを初めて実証し、MOF研究に決定的な転換点をもたらした。1951年生まれで、京都大学で学位を取得後、2013年より同大学物質-細胞統合システム拠点(iCeMS)の特別教授および拠点長を務めている。

受賞理由は「金属有機構造体の設計と合成を通じて、材料科学に新たな次元を開いた功績」とされる。この研究は、分子レベルでの精密な設計により、望みの特性を持つ材料を創造できることを示し、持続可能な社会の実現に向けた技術革新の基盤を築いた。


【編集部解説】

分子を積み木のように組み立てる新しい化学

2025年のノーベル化学賞が、金属有機構造体(MOF)という材料の開発者たちに授与されました。これは化学の世界における、まさに歴史的な転換点です。

従来、新しい材料を作り出すことは、試行錯誤の連続でした。化学者たちは、様々な物質を混ぜ合わせ、反応させ、その結果を観察するという地道な作業を繰り返してきました。しかし、MOFの登場により、化学者たちは「設計図」を描いて、望みの特性を持つ材料を精密に作り出せるようになったのです。

リチャード・ロブソン教授が1974年に大学の講義用に作った結晶構造の木製模型が、すべての始まりでした。その模型を眺めながら、ロブソン教授は「金属イオンと有機分子を使って、この構造を作れないだろうか」と考えたのです。1989年、彼は3次元的に連結した配位高分子構造の合成に成功しました。

1990年代半ば、オマル・ヤギ教授はこの研究をさらに発展させ、カルボキシレート基を持つ有機分子と金属イオンを用いることで、安定で結晶性の高いMOFを体系的に合成する方法を確立しました。ヤギ教授はこの新しい研究分野を「レティキュラー化学」と名付け、分子を網目状に織り上げることで、無限に広がる構造体を作る化学の新時代を切り開いたのです。

そして1997年、北川進教授が決定的なブレークスルーをもたらしました。それまでの配位高分子は、溶媒分子を取り除くと構造が崩壊してしまうという問題を抱えていました。北川教授は、ゲスト分子を除去した後も構造が維持され、ガスを吸着・放出できる「ソフト多孔性結晶」の概念を実証したのです。これにより、MOFは実用的な材料としての道を歩み始めました。

地球環境を救う可能性を秘めた新材料

MOFが注目される最大の理由は、その驚異的な表面積と調整可能な構造にあります。わずか1グラムのMOFの表面積は、サッカー場ほどの広さに相当することもあるのです。この巨大な表面積により、MOFは様々な気体や液体を効率的に吸着・貯蔵・分離できます。

最も期待されている応用の一つが、二酸化炭素の捕獲です。気候変動への対策として、発電所や工場から排出される二酸化炭素を捕獲する技術が求められています。従来のアミン系溶剤を用いた方法は、二酸化炭素を回収するために大量のエネルギーが必要でした。しかしMOFを使えば、より少ないエネルギーで効率的に二酸化炭素を捕獲し、必要に応じて放出できます。

水素エネルギーの実現にも、MOFは重要な役割を果たす可能性があります。水素は次世代のクリーンエネルギーとして期待されていますが、貯蔵と輸送が課題でした。MOFは水素を安全かつ効率的に貯蔵できる材料として研究が進められています。

さらに驚くべき応用が、砂漠の空気から水を採取する技術です。ヤギ教授らが開発したMOFは、湿度が10%という極めて乾燥した環境でも、大気中の水分を吸着し、太陽熱を利用して飲料水として回収できます。この技術は、水不足に苦しむ地域に新たな希望をもたらしています。

化学を超えて広がる応用の可能性

MOFの応用は、環境・エネルギー分野にとどまりません。医療分野でも、MOFを用いた薬物送達システムの研究が進んでいます。MOFの多孔性構造に薬剤を封入し、体内の特定の場所で放出することで、副作用を抑えながら効果的な治療を実現できる可能性があります。

センサー技術への応用も注目されています。MOFは特定の物質に反応して発光したり、電気的性質が変化したりするため、疾病の早期診断や環境汚染物質の検出に利用できます。

触媒としての応用も期待されています。MOFの調整可能な構造と金属中心を利用することで、より効率的で選択的な化学反応を実現できます。これは、医薬品や機能性材料の製造において、省エネルギーで環境負荷の低いプロセスの実現につながります。

人類の英知が紡いだ国際的な研究の歴史

今回の受賞は、国際的な研究協力の重要性を改めて示しています。オーストラリア、日本、アメリカという異なる大陸で独立に進められた研究が、互いに刺激し合い、補完し合いながら、新しい化学の分野を築き上げてきたのです。

ロブソン教授の先駆的な構造設計、ヤギ教授による体系的な合成法の確立と理論的枠組みの構築、そして北川教授による実用性の実証という、それぞれの貢献が組み合わさることで、MOFは実験室の好奇心から、実社会の課題を解決する技術へと成長しました。

1990年代初頭には数種類しか知られていなかったMOFは、現在では9万種類以上が合成され、さらに数十万種類の構造が理論的に予測されています。この爆発的な発展は、レティキュラー化学という新しい設計原理が、化学者たちに無限の創造性を与えたことを物語っています。

商業化も着実に進んでいます。複数のスタートアップ企業がMOFを用いた二酸化炭素捕獲装置や大気水分回収システムの開発を進めており、2020年代末には実用化が期待されています。これは、基礎研究が実用技術へと結実する、科学技術の理想的な発展の姿と言えるでしょう。

人類が直面する気候変動、エネルギー、水、健康といった課題に対して、MOFは統合的な解決策を提供する可能性を秘めています。今回のノーベル賞受賞は、分子レベルでの精密な設計によって持続可能な未来を創造できるという、化学の新しい時代の幕開けを告げるものなのです。


【用語解説】

金属有機構造体(MOF: Metal-Organic Framework): 金属イオンまたは金属クラスターと有機分子(リンカー)が配位結合によって規則正しく連結した、多孔性の結晶材料。スポンジのような構造を持ち、その表面積は1グラムあたりサッカー場に相当するほど巨大。気体や液体を吸着・貯蔵する能力が極めて高く、構造を自在に設計できることが最大の特徴。

配位結合 :金属原子と非金属原子の間に形成される化学結合の一種。非金属原子が電子対を提供し、金属原子がそれを受け取ることで結合が生まれる。MOFでは、この配位結合によって金属イオンと有機リンカーが繋がり、規則正しい骨格構造を形成する。

レティキュラー化学(Reticular Chemistry):ラテン語の「reticulum(小さな網)」に由来する、MOFやCOF(共有結合性有機構造体)のような骨格構造を持つ材料を設計・合成する化学分野。分子を積み木のように組み立てることで、望みの特性を持つ材料を精密に作り出す。オマル・ヤギ教授が提唱し、体系化した。

多孔性結晶:規則正しく配列した原子・分子からなる結晶構造の中に、ナノメートルサイズの微細な孔(穴)が無数に存在する材料。MOFはこの多孔性結晶の代表例で、孔の大きさや形状、表面の化学的性質を設計することで、特定の分子だけを選択的に吸着・分離できる。

大気水分回収(Atmospheric Water Harvesting):空気中の水蒸気を吸着材料で捕獲し、液体の水として回収する技術。MOFは湿度が低い環境でも効率的に水分を吸着でき、太陽熱などで温めることで純水を取り出せる。砂漠地帯や水不足地域での新しい水源として期待されている。


【参考リンク】

ノーベル財団公式ページ – 2025年化学賞
ノーベル財団による公式発表、受賞理由の詳細、受賞者の略歴などが掲載される公式情報源。科学的背景資料(Scientific Background)では、MOFの発展の歴史と科学的意義が専門的に解説されている。

京都大学 物質-細胞統合システム拠点(iCeMS)- 北川進研究室
北川進教授が拠点長を務める研究機関の公式サイト。多孔性配位高分子(PCP)およびMOFに関する最新の研究成果や、ソフト多孔性結晶の概念について詳しく知ることができる。

カリフォルニア大学バークレー校 – Yaghi Research Group
オマル・ヤギ教授の研究グループの公式サイト。レティキュラー化学の最新研究、MOFおよびCOFの応用研究について詳細な情報が公開されている。大気水分回収技術の実証実験の様子なども紹介されている。

メルボルン大学 – Richard Robson教授プロフィール
リチャード・ロブソン教授の所属機関による公式プロフィールページ。配位化学と配位高分子に関する先駆的研究について知ることができる。

CAS (Chemical Abstracts Service) – MOFに関する解説記事
化学情報サービスCASによるMOFの包括的な解説。MOFの市場動向、技術開発、産業応用の現状について、最新のデータと分析が提供されている。


【参考記事】

Wikipedia – Metal-organic framework
MOFの基本的な概念、合成方法、応用分野について包括的にまとめられた記事。Richard RobsonやOmar M. Yaghiの初期研究についても言及されており、MOFの歴史的発展を理解するのに有用。

Pursuit – The man who built a whole new field of chemistry
メルボルン大学の研究情報サイトによるRichard Robson教授の詳細なインタビュー記事。1974年の木製模型作りから始まったMOF研究の歴史が、本人の言葉で語られている。

Chemical Society Reviews – Metal-Organic Frameworks (MOFs)
Hong-Cai “Joe” Zhou教授とSusumu Kitagawa教授による、MOF研究の主要な進展をまとめた総説論文。MOFの設計原理、合成戦略、応用可能性について専門的に解説されており、この分野の包括的理解に役立つ。

Chemistry World – The 2025 Nobel prize in chemistry as it happens – live
英国王立化学会の科学誌Chemistry Worldによる、2025年ノーベル化学賞発表のライブ更新記事。受賞予想や過去のMOF研究に関する専門家のコメントが掲載されている。

ACS Central Science-Metal–Organic Frameworks for Water Harvesting from Air
Omar M. Yaghi教授らによる、MOFを用いた大気水分回収技術に関する解説記事。砂漠地帯での実証実験の成果や、この技術が世界の水問題解決にどう貢献できるかについて詳述されている。

投稿者アバター
荒木 啓介
innovaTopiaのWebmaster

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