1987年11月11日、日本乾電池工業会(現・電池工業会)は、ある記念日を制定しました。「十一」という漢数字が電池のプラスとマイナスに見えることから、この日を「電池の日」としたのです。当時、この制定がどれほど重要な意味を持つことになるか、誰も予想していなかったでしょう。
私たちは毎日、電池に囲まれて生きています。朝、スマートフォンのアラームで目覚め、ノートパソコンで仕事をし、電動工具で修理をする。夜にはワイヤレスイヤホンで音楽を聴き、電気自動車で帰宅する。あまりにも当たり前すぎて、もはや電池の存在を意識することすらありません。
でも、もし電池が発明されなかったら?スマートフォンは壁のコンセントにつながれたまま。電動工具は届かない場所では使えない。そして電気自動車は——存在すらしなかったかもしれません。その代わりに、私たちは今頃、携帯用の小型蒸気機関や、ポケットサイズのガソリンエンジンを持ち歩いていたのでしょうか。
選ばれなかった未来——動力源をめぐる三つ巴の戦い
1800年、イタリアの物理学者アレッサンドロ・ボルタは、銅と亜鉛を食塩水に浸すことで、継続的に電気を取り出せる装置を発明しました。「ボルタ電池」です。エネルギーを「持ち運べる」ようにする——それは、火を持ち運べるようにした太古の人類に匹敵する、革命的な発想でした。
しかし、初期の電池は液体を使用するため、持ち運びには不便でした。1888年、ドイツのガスナーが電解液を石膏で固めた「乾電池」を発明したのと同じ頃、日本でも屋井先蔵が独自に乾電池を開発していました(残念ながら特許申請の資金がなく、発明者として名を残すことはできませんでしたが)。こうして、電池は徐々に実用的なものへと進化していきました。
一方、19世紀末から20世紀初頭にかけて、自動車という新しい乗り物の動力源をめぐって、激しい競争が繰り広げられていました。蒸気自動車、電気自動車、ガソリン自動車——三つの技術が覇権を争っていたのです。
1894年、パリ-ルーアン間で行われた世界最古の自動車レースでは、蒸気車が優勝しました。蒸気自動車は19世紀中頃にはロンドンで定期バスとして運行され、アメリカでは1900年頃、静粛性と操作性の高さから一時期ガソリン車を上回る人気を博していました。
電気自動車も、決して劣勢ではありませんでした。1899年、フランスの電気自動車「ジャメ・コンタント号」は、史上初の時速100km超え(105.9km/h)を達成しました。ガソリン車より先に、です。アメリカでは1900年時点で電気自動車の生産台数が4000台を超えていました。騒音がなく、排ガスもなく、面倒なギアチェンジも不要——電気自動車には、明らかな優位性があったのです。
では、なぜ電気自動車は敗れたのか。
答えは、航続距離でした。当時の電池技術では、長距離を走ることができなかったのです。一方、1908年にフォードが発売した「T型」は、ガソリンを補給すれば走り続けられる実用性と、大量生産による低価格を実現しました。1920年を過ぎる頃には、自動車のほとんどがガソリン車になっていました。
蒸気自動車は機関のコンパクト化ができずに衰退し、電気自動車は航続距離の短さという壁を越えられなかった。もし、電池技術がもう少し早く進化していたら、私たちの文明は全く違う形になっていたかもしれません。
静かに進んだ革命——リチウムイオン電池の誕生
20世紀の大半、電池は小型機器の電源としてひっそりと進化を続けていました。乾電池、鉛蓄電池、ニッケル水素電池——それぞれが少しずつ改良され、懐中電灯やラジオ、自動車のバッテリーとして使われていました。
転機が訪れたのは、1985年でした。旭化成の吉野彰が、リチウムイオン二次電池の基本構造を確立したのです。正極にリチウムとコバルトの化合物、負極に炭素材料を使用し、繰り返し充電できる小型で軽量な電池を実現しました。この発明により、吉野は2019年にノーベル化学賞を受賞しています。
リチウムイオン電池が登場した1990年代は、まさにモバイル革命の黎明期でした。携帯電話、ノートパソコン、デジタルカメラ——これらのデバイスは、小型で長持ちする電池があって初めて実用的になったのです。吉野自身が後に語っているように、「1981年にリチウムイオン電池の研究を始めた時、インターネットやスマートフォンの普及は想像すらできなかった」のです。
技術が社会を変えるのか、社会の要求が技術を生むのか。おそらく、両方でしょう。リチウムイオン電池は、IT革命を支える基盤となり、同時にIT革命によって需要が爆発的に拡大しました。
電池が支える2025年の世界
2025年現在、リチウムイオン電池市場は驚異的な成長を続けています。車載用リチウムイオン電池の世界市場は、2024年に941GWh、2025年には1TWh(1000GWh)を超えると予測されています。電気自動車(EV)向けの需要が、モバイル機器向けの約10倍に達する見込みです。
2018年を境に、リチウムイオン電池の主戦場はスマートフォンから電気自動車へと移りました。中国では年間417.97GWの生産能力を持ち、欧州でも110GWhの生産が行われています。かつて航続距離の短さで敗れた電気自動車が、100年の時を経て、再び主役の座を狙っているのです。
電池は今、目に見えない文明の基盤となっています。再生可能エネルギーの蓄電システム、医療機器、災害時の非常用電源。電池がなければ、太陽光や風力で発電した電気を「時間的に移動」させることはできません。夜間や無風時にも電力を使えるのは、電池が昼間や強風時のエネルギーを貯めているからです。
私たちが当たり前のように享受している「いつでも、どこでも」という自由は、実は電池という技術選択の上に成り立っています。
次の扉——全固体電池という挑戦
2025年は、次世代電池にとって転換点となる年かもしれません。トヨタ自動車と出光興産は、2027〜2028年の実用化を目指して「全固体電池」の開発を加速させています。液体電解質を固体に置き換えることで、安全性の向上、充電時間の短縮、航続距離の延長が期待されています。
全固体電池に関する特許出願件数では、日本企業が上位を占めています。トヨタ、出光興産、日産、ホンダ——かつてガソリン車で世界を席巻した日本の自動車産業が、今度は電池技術で再び主導権を握ろうとしています。ただし、中国の追い上げも激しく、特許出願件数の伸び率では中国が日本を上回っているというデータもあります。
全固体電池が実用化されれば、10分程度の充電で数百キロメートルの走行が可能になるかもしれません。それは、ガソリン車の給油とほぼ同じ利便性です。1900年に電気自動車が敗れた理由——航続距離と充電時間——が、ついに克服される日が来るのかもしれません。
エネルギーを持ち運ぶという思想
1800年、ボルタがシンプルな装置で電気を取り出して以来、電池は225年の進化を遂げてきました。液体から固体へ、重いものから軽いものへ、使い捨てから繰り返し使えるものへ。
しかし、その本質は変わっていません。エネルギーを「空間的に」移動させ、「時間的に」貯蔵する。それは、電力という目に見えないものを、人間が自由に扱えるようにする技術です。
もし1900年に、今のリチウムイオン電池があったら。もし1920年代の技術者たちが、全固体電池を手にしていたら。歴史は確実に違っていたでしょう。技術の選択が、文明の形を決める——電池の歴史は、そのことを静かに物語っています。
次世代の電池は、私たちにどんな未来を見せてくれるのでしょうか。答えはまだ、誰も知りません。ただ一つ確かなのは、エネルギーを持ち運ぶという挑戦は、まだ始まったばかりだということです。

























