【取材】国立科学博物館「量子の世紀」ー現象と時代の筆致を展示する企画展(10/21~11/30)まで

[更新]2025年11月27日

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今回は国立科学博物館にて行われている企画展「量子の世紀」に取材に行ってきました。国立科学博物館の協力の元取材許可をいただき、今回は企画展で実際に展示されているものを見ながら量子力学の歴史について懐かしんで、量子力学について歴史の成立から楽しんでいけたらなと思います。

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筆者と量子力学
筆者は物理化学を学生の頃(修士まで)専攻していたので、量子力学とはかなり長い付き合いになります。おそらくもう10年以上量子力学と人生を共にしているのではないでしょうか?親と幼馴染を除けば多くの友人よりも長い付き合いになります。

皆さんは量子力学と聞くと何をイメージするのでしょうか?おそらく理学を専攻していなかった方々は例えば科学雑誌の特集で量子力学の奇妙な世界に魅了されたり、今は量子力学と聞くと例えば量子コンピュータや半導体技術、近年ではナノテクノロジーと応用されているシーンも多くあり、かなり効き馴染みがある言葉になったのではないでしょうか?

例えば、壁を粒子がすり抜けるトンネル効果、エネルギーの様な一見連続した値をとりそうなものが離散的な値をとる量子化という現象、これらを子供の頃に私も科学少年の友人から聞いて科学って不思議だなと思った記憶があります。大学に入って友人とゼミを立ち上げて、最初に物理学として量子力学をやった時はかなりギャップに苦しめられました。(馴染みのないブラケットの計算、何言ってるかよくわからない前期量子論(確か最初に畠山を読んでからサクライを読んだので結構綺麗に理解できたなとは思いましたが)

今回の展示の見どころ
僕の話はさておき、今回の展示の見どころは「現象が展示されている」という点と「かつて量子力学に苦しめられて道を切り開いてきた先人たちの筆致が展示されている」ことだと思います。2重スリット実験で実際の干渉縞を見れたり、磁気浮上するグラファイトを見れたり、「ああ!写真で見たり導出したことあるやつだ」と、実際に物理学を専攻していた学生も楽しめると思います。

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二重スリットによって回折縞(右)が見えている様子

分光技術と量子力学の誕生

まず最初にご注目いただきたいのが、回折格子の展示です。実は量子力学の黎明期は、この分光技術から始まりました。ニュートンの時代にはプリズムを用いた光学実験が中心でしたが、19世紀に入り波動論が発展していく中で、分光器や回折格子といった精密な観測機器が登場します。これらの技術により、水素原子のバルマー系列をはじめとする原子のスペクトルが詳細に観測できるようになり、量子力学誕生への道が開かれたのです。

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回折格子(筆者はレーザー分光をしていた時期にこれを壊したんじゃないかと研究室でビクビクした経験があり見たときに少し懐かしい気持ちになりました)

こちらに展示されているX線回折の初期の写真もぜひご覧ください。結晶格子の間隔が、ちょうど光の波動性と粒子性の両方が顕著に現れる大きさであったことから、この実験手法が量子の性質を確認する重要な手段となりました。この100年以上前の技術は現在でも物質科学の基盤として活用されています。回折パターンに現れる点群の対称性から結晶構造を逆算する手法は、今日の材料開発においても欠かせないものとなっているのです。

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X線回折の生データ

【ちょっと詳しく】XRDと元素分析
ここで、現代の分析技術にも直結する二つの重要な原理について、もう少し詳しく説明させてください。

X線回折(XRD)とブラッグの回折条件
X線回折は、結晶内部の原子配列を調べる強力な手法です。その基礎となるのが、1913年にウィリアム・ローレンス・ブラッグ父子によって発見された「ブラッグの回折条件」です。

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いらすとやより。こんな装置です。この中で資料からあらゆる角度でX線を当てることでθを動かして実際の分析を行います。(そもそも、いらすとやにこんなのあったんだ、、、
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結晶に入射したX線は、規則正しく並んだ原子の層で反射されます。隣接する原子層からの反射波が互いに強め合う(干渉する)条件は、次の式で表されます。

nλ = 2d sinθ

ここで、nは整数、λはX線の波長、dは結晶格子面の間隔、θは入射角です。この式が意味するのは、結晶格子の間隔dによって、特定の角度θでのみX線が強く反射されるということです。つまり、回折パターンを測定することで、逆に結晶内部の原子配置や格子間隔を精密に決定できるのです。

現代科学の幅広い分野で活用されています。量子力学の検証実験として始まった技術が、今や創薬や新素材開発の現場で日々使われています。(筆者も使ったことが何度もあります。(一日に30サンプルとった時は本当に……

原子発光分光分析と元素の指紋

もう一つの重要な原理が、「原子はそれぞれ固有の波長の光を放出する」という性質です。原子を高温の炎や放電プラズマで励起すると、その原子に特有のスペクトル線を発します。これはいわば元素の「指紋」であり、この原理を利用したのが原子発光分光法(AES)や炎光光度法です。

例えば、ナトリウムは589nm付近の黄色い光を、カリウムは紫色の光を放出します。この現象自体は古くから炎色反応として知られていましたが、精密な分光測定により、なぜ特定の波長だけが放出されるのかという謎が深まりました。この答えこそが、ボーアの原子模型であり、電子のエネルギー準位の量子化という概念だったのです。

現代では、この原理を応用した分析装置が、環境測定から金属材料の成分分析まで、あらゆる場面で使われています。水素炎を用いた原子吸収・発光分析装置では、試料を霧状にして炎に導入し、極めて微量の元素まで検出することが可能です。

https://www.horiba.com/jpn/process-and-environmental/technology/measurement-principle/fid

https://www.chem-agilent.com/contents.php?id=1001675

(かなり有名な技術で、機器メーカーの技術解説に詳細な解説があります)

このように、量子力学の基礎を築いた分光技術は、理論の検証手段であると同時に、現代社会を支える実用的な分析技術として発展を遂げてきたのです。

コペンハーゲン学派と観測問題

量子力学の理論的基礎を築いたのが、ハイゼンベルクとボーアを中心とするコペンハーゲン学派です。彼らが提唱した不確定性原理は、物理学に「観測」という本質的な問題を持ち込みました。興味深いことに、当時はこの不確定性が観測機器や技術の限界によるものなのか、それとも自然界そのものの性質なのかという区別すら、十分に理解されていませんでした。ハイゼンベルクご本人が生きておられた時代でさえ、この根本的な問いへの答えは出ていなかったのです。

一方、シュレディンガーの波動方程式は、物理学者たちの間でも評価が分かれました。直感的に理解しやすいと感じる研究者がいる一方で、ボーアやハイゼンベルクのように「観測可能なもの」を基礎として物理学を構築しようとした学派からは、当初受け入れられなかったといいます。これらの異なるアプローチを、代数的手法により統一して見せたのがディラックでした。彼は、行列力学と波動力学が単に表現方法の違いに過ぎないことを明らかにし、量子力学の数学的基礎を確立したのです。

【ちょっと詳しく】今も定式化は大問題?

驚くべきことに、量子力学の「解釈」や「定式化」の問題は、21世紀の今日に至っても完全には解決していません。

ディラックが行列力学と波動力学を統一してから約100年。計算手法としての量子力学は驚くほど正確で、半導体からレーザー、MRIまで、私たちの生活を支える技術の基盤となっています。しかし「量子力学は何を意味しているのか」という根本的な問いには、今なお複数の答えが並存しているのです。

最も有名なのが、ボーアらが提唱した「コペンハーゲン解釈」です。観測されるまで粒子の状態は確定しておらず、観測という行為が現実を作り出すという考え方です。一方で、1950年代にはエヴェレットが「多世界解釈」を提唱しました。

さらに、アインシュタインが生涯こだわった「隠れた変数理論」の系譜を引く「パイロット波理論」、観測とは無関係に波動関数が自然に収縮するとする「自発的収縮理論」など、様々な解釈が研究され続けています。

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観測の問題や量子力学の議論の中で中心的な役割を果たしたEPR論文も展示されていました。

興味深いのは、どの解釈を採用しても、実験結果の予測はほぼ同じになるという点です。つまり、これは単なる哲学的な好みの問題ではなく、「自然とは何か」という深い問いに関わる、本質的な議論です。

2022年にはノーベル物理学賞が「量子もつれ」の実証実験に授与されるなど、この基礎的な問題への関心は今も衰えていません。

https://member.ipmu.jp/yuji.tachikawa/transp/37J_Feature.pdf
(正式化と言えば、、、なのですが、物理学ではよく数学的に怪しい処理を平気でやるという話があります。これを如何に数学的に正当化するのか。という問題は今でも話題に上がっています。(僕も学生時代は「極限と積分をことわりなく入れ替える」「よくわかっていない微分方程式を何も考えず級数展開する」「関数かどうか疑わしいものを関数のようにあたかも扱う」を物理学の講義で何度も経験して、これ数学として許されるの?!と何度も疑問に思ってそのたびに学習の手が止まった経験があります。これから物理学科に行く人は覚悟してください)

知の伝播と日本の量子力学研究

ここで少し、当時の学問の広がり方についてお話しさせてください。コペンハーゲンという、当時の学術的中心地ベルリンから見れば辺境ともいえる場所で、革新的な理論が生まれたこと自体が非常に興味深い現象です。その後、ナチスの台頭により多くの優秀な頭脳が世界中に散らばり、ボーアのように粘り強く理論を練り上げ若い研究者たちを鼓舞する指導者の存在もあって、量子力学は世界的な広がりを見せていきました。これは現代のスタートアップ企業が新しい産業を創出していく過程にも似ているかもしれません。

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当時の小谷らの研究がまとめられていたノートが展示されていました。

日本においても、研究者たちは最新の論文を読み合う「雑誌会」やゼミナールを通じて、この最先端の学問を吸収していきました。当時すでにこうした体系的な学習システムが確立されていたことには、驚かされます。東京大学では実験物理や物性研究が、京都大学では理論物理学が盛んに行われ、朝永振一郎と湯川秀樹という二人のノーベル賞受賞者を輩出するに至ったのです。

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長岡半太郎にハイゼンベルグがあてた手紙と、当時の外交官にアインシュタインが送った直筆メッセージ付きの写真(当時の日本でも研究の文化の中で西洋とそん色ない貢献をしていたり、新しい物理学を積極的に取り入れていたことが分かります)

【ちょっと詳しく】湯川と朝永は高校からの同級生?

実は、湯川秀樹と朝永振一郎の出会いは、正確には高校ではなく「旧制高等学校」の時代でした。1923年、二人は京都の名門・第三高等学校(三高)に入学し、そこで同級生として出会います。湯川は1907年生まれ、朝永は1906年生まれ。わずか一歳違いの二人でした。

三高時代、二人はどんな学生だったのでしょうか。湯川は物静かで思索的な性格、朝永は明るく社交的な性格だったといいます。対照的な性格でありながら、物理学への情熱という共通点で結ばれた二人は、授業の後も議論を重ね、互いの考えを磨き合っていきました。

その後、二人は揃って京都帝国大学理学部物理学科に進学します。同じ教室で学び、同じ先生の講義を受け、時には同じ下宿屋に住んだこともあったそうです。まさに、学問を通じて人生を共に歩んだ親友といえるでしょう。

そして運命的なことに、二人ともノーベル物理学賞を受賞することになります。湯川は1949年に中間子理論で日本人初の受賞者となり、朝永は1965年に量子電磁力学の研究で続きました。三高の同級生が、二人ともノーベル賞を受賞する—これは世界的に見ても極めて稀な出来事です。

朝永は昔ドイツでハイゼンベルグの下で学んでいた時期がありこの時の日記は、実は文庫で今は読むことができます。(日記には先に成果を上げた湯川に対する複雑な感情や、研究が一向に進まず学生とピンポンを楽しむ様子などが書かれていて、院生時代に少し慰められたりしました。)

哲学と科学の対話

科学の発展は、常に私たちの世界観と密接に結びついてきました。ラプラスの悪魔が示した決定論的世界観、エントロピー増大則から導かれる宇宙の終末論──これらは単なる科学理論を超えて、人々の思想に大きな影響を与えました。量子力学の登場も例外ではありません。日本の哲学者・西田幾多郎は量子力学に深い関心を寄せていましたし、哲学者バートランド・ラッセルも量子論に注目していたことが知られています。

(キャプションには西田幾多郎も日本人の物理学者同様にこの新しい物理学に関心を寄せていたと記述されていました。)

若き天才たちの時代

量子力学黎明期のもう一つの特徴は、若い研究者たちの活躍でした。上の世代が古典物理学の世界観の中で研究してきたのに対し、若い世代は新しい数学的手法──特に行列といった抽象的な概念──をより柔軟に受け入れることができました。ブロッホの定理もディラックの定式化も、いずれも博士論文として提出された業績です。若い研究者でも画期的な理論を打ち立てられる環境が、この分野にはあったのかもしれません。

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現代の若くてナイスガイな科学者も関わっているグラファイトの光物性の展示もありました。

「わからなさ」を抱えたまま進む科学

今回の展示で特にお伝えしたいメッセージがあります。それは「不思議なものは不思議なまま、わからないものはわからないまま、それでも先端技術として応用していく」という、量子力学が持つ独特のスリルです。量子コンピュータや量子通信といった現代技術も、量子力学の本質的な「不思議さ」が完全に解明されたから開発されたわけではありません。謎を抱えたまま、それを制御し応用していく──これこそが量子技術の醍醐味といえるでしょう。

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量子コンピュータのチップの展示もありました。顕微鏡とつながっていて細やかな構造も見ることができます。
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数十年前に「アルゴンの電離から宇宙線を観測する装置」です。当時から人類はあたらしい科学の理論を実証するために様々な実験を考えていました。

【ちょっと小話】量子力学の「なぜ?」は未解決のまま?

相対性理論の「光速度不変の原理」や量子力学における基礎方程式、そもそも「なぜ」これらが成り立つのでしょうか。それらしい理由や成り立っていることの尤もらしい理屈は立ちますが、科学はこの根幹の「なぜ」を受け入れることから始まります。これは科学があくまで「現象を観測したり、実験をすることで、観測事実を基に理論を立てる学問」だからです。このような学問を「形而下学」と言います。(これは少し恥ずかしい話なのですが、僕は高校生の頃「ニュートンの運動方程式がなぜ成り立つのか」を納得できずにかなり学習の妨げになってしまい、後々になって先生に聞いたら「そもそもそれは原理だから導出とかできないよ」と言われて、ようやくハッとしたことがあります。)

ただすべての「なぜ?」に応えられなくとも、理論を刷新して統一的に説明が可能になったり、わからないことはあるけど確かにわかることもある。もっと言えば、そのわからなさを抱えながらも応用して生活を豊かにしたり新しい実験原理に用いたり私たち人間が自然に向き合っているというのは個人的に人間の自然科学観の中で生まれた流れとして面白いなと感じます。

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個人的に一番面白いと感じた展示物の話を最後にさせてください。仁科ークラインの式の研究の時の仁科先生の研究メモです。この当時も項をキャンセルアウトするときに斜線を引いたり、符号を無理やり訂正した跡があったり、計算式の上からぐしゃぐしゃと線を塗って自転車の絵を横に書いたり、と科学は極めて人間的な営みであることがありありと伝わってきて個人的に好きでした。

【謝辞】

今回は国立科学博物館の河野洋人研究員に取材を行いました。この度は展示物について詳しくご解説・ご案内いただき、貴重なお時間をいただきましたこと、誠にありがとうございました。

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野村貴之
大学院を修了してからも細々と研究をさせていただいております。理学が専攻ですが、哲学や西洋美術が好きです。日本量子コンピューティング協会にて量子エンジニア認定試験の解説記事の執筆とかしています。寄稿や出版のお問い合わせはinnovaTopiaのお問い合わせフォームからお願いします(大歓迎です)。

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