MITは2025年11月25日、創薬に使用可能な新規タンパク質結合体を生成する生成AIモデルBoltzGenを発表した。同モデルは10月26日に正式リリースされ、10月30日に開催されたセミナーには300人以上が参加した。筆頭著者はMIT博士課程学生のHannes Stärkである。
BoltzGenは夏に発表されたオープンソースモデルBoltz-2を基盤とし、タンパク質デザインと構造予測の統合、物理学・化学の法則に基づく制約、26の疾患標的での厳格な評価という3つの主要イノベーションを持つ。
検証は学術界と産業界の8つのウェットラボで実施され、Parabilis Medicinesなどが共同研究者として参加した。上級共著者にはMIT教授のRegina BarzilayとTommi Jaakkolaが名を連ねる。モデルは完全オープンソースで公開されている。
編集部解説
創薬の世界には長年「ドラッグ不可能(undruggable)」と呼ばれる標的がありました。これは従来の手法では薬を設計できない、大きく複雑な構造を持つタンパク質や、明確な結合ポケットを持たないタンパク質のことを指します。研究によれば、疾患に関連する病原性タンパク質の80%以上が、現在の治療法では標的にできないとされています。
BoltzGenが画期的なのは、この「ドラッグ不可能」とされてきた標的に対して、実際に機能する結合体を設計できることです。研究チームは意図的に、既知の結合構造と30%未満の配列類似性しか持たない9つの新規標的を選び、BoltzGenをテストしました。その結果、ナノボディとタンパク質結合体の両方で、9標的のうち6標的(66%)に対してナノモル親和性の結合体を生成することに成功しています。
この成功率は驚異的です。従来の抗体デザイン手法の成功率が1%未満であったことを考えると、BoltzGenの66%という数字がいかに革新的であるかがわかります。しかも、各標的に対してわずか15のデザインをテストしただけでこの結果を達成しているのです。
BoltzGenの技術的な革新は3つあります。第一に、タンパク質デザインと構造予測を単一モデルで統合したことです。これまでのモデルは構造予測かデザインのどちらかに特化していましたが、BoltzGenは両方を同時に行い、最先端の精度を維持しています。
第二に、物理学と化学の法則を守る制約が組み込まれていることです。これはウェットラボの研究者からのフィードバックを反映したもので、生成されるタンパク質が実際に機能することを保証します。AIが生成した分子が現実世界で機能しないというリスクを最小限に抑えています。
第三に、厳格な検証プロセスです。学術界と産業界の8つのウェットラボで、26の標的に対して実験的検証が行われました。これには、小分子、ペプチド、酵素、内在性無秩序領域など、多様な標的タイプが含まれています。特筆すべきは、急性骨髄性白血病に関連する無秩序タンパク質NPM1に対して設計されたペプチドが、生きた細胞内で核小体に共局在することを示した点です。これはAIが設計したタンパク質が、生体内で自然な無秩序タンパク質に結合できることを示す初めての証拠となりました。
BoltzGenの登場は、Boltz-1とBoltz-2という2つの重要なモデルの上に構築されています。2024年11月にリリースされたBoltz-1は、GoogleのAlphaFold3と同等の精度を持つ初の完全オープンソースモデルでした。AlphaFold3は優れたモデルですが、完全にオープンソースではなく、商用利用にも制限があったため、科学コミュニティから批判を受けていました。
Boltz-2はその後、結合親和性の予測機能を追加しました。分子がどれだけ強く結合するかを予測できるこの機能により、創薬プロセスは大幅に加速されます。従来の分子動力学シミュレーションが数時間かかるのに対し、Boltz-2は15〜30秒で同様の予測を行えます。約1,000倍の高速化です。
そしてBoltzGenは、これらを基盤として、さらに一歩進んで新規タンパク質結合体の生成を可能にしました。理解から設計へ、まさにAIの役割を拡大する転換点です。
重要なのは、これらすべてが完全にオープンソースで公開されていることです。モデルの重み、データ、トレーニングコード、推論コードのすべてがMITライセンスの下で自由に利用できます。学術利用だけでなく、商用利用も無制限です。
この決定は、バイオテクノロジー業界に波紋を広げています。ソーシャルメディア上では、LabGeniusの主任機械学習科学者Justin Graceが興味深い疑問を提起しました。「チャットAIシステムの民間版からオープンソース版へのパフォーマンスタイムラグは7か月で短縮している。タンパク質分野ではさらに短いようだ。数か月待てば無料版が手に入るのに、バインダー・アズ・ア・サービス企業はどうやって投資を回収するのか?」
これは業界全体が直面する実存的な問いです。高額なサービスとして提供されていたものが、突然無料で利用可能になるとき、ビジネスモデルはどう変化すべきなのか。
一方で、Parabilis Medicinesなどの企業は、BoltzGenを既存のプラットフォームに統合することで進捗を加速できると評価しています。オープンソースの波に抗うのではなく、それを活用する戦略です。
学術界にとって、BoltzGenは科学的可能性の拡大を意味します。MIT教授のRegina Barzilay氏は「ドラッグ不可能な標的を特定し、解決策を提案しない限り、ゲームを変えることはできない」と述べています。未解決の問題に焦点を当てることが、真のブレークスルーにつながるというメッセージです。
同じくMIT教授のTommi Jaakkola氏は「BoltzGenのような完全オープンソースでリリースされるモデルは、創薬能力を加速するためのより広範なコミュニティ全体の取り組みを可能にする」と指摘しています。
現在、創薬の成功率は約10%に過ぎません。適切な標的を原子レベルの精度で狙い、治療効果を達成することは依然として大きな課題です。BoltzGenのようなツールは、この成功率を向上させる可能性を秘めています。
ただし、筆頭著者のHannes Stärk氏は慎重です。「高親和性の結合体を持つことは、治療候補を持つことを意味しない。それ以上のことがある」と彼は述べています。選択性や開発可能性の課題は残っており、BoltzGenはその一部に対処し始めたばかりです。
それでも、AIによる生体分子デザインの未来は明るいとStärk氏は信じています。「私は、疾患を解決するために生物学を操作したり、まだ想像もしていない分子機械でタスクを実行したりするのに役立つツールを構築したい。これらのツールを提供し、生物学者がこれまで考えたこともないことを想像できるようにしたい」
この言葉は、innovaTopiaが掲げる「Tech for Human Evolution」の理念と深く共鳴します。技術は人類の進化を促進する力であり、BoltzGenのようなツールは、私たちが想像すらしていなかった未来の医療を可能にするかもしれません。
用語解説
タンパク質結合体(プロテインバインダー)
特定のタンパク質に結合する分子のこと。創薬においては、疾患に関連するタンパク質に結合することで、その機能を阻害したり調節したりする医薬品候補となる。抗体や低分子化合物、ペプチドなどが含まれる。
ナノモル親和性
分子同士の結合の強さを示す指標。ナノモル(nM)は濃度の単位で、10億分の1モルを表す。ナノモル親和性とは、ナノモル濃度で効果的に結合できることを意味し、医薬品として十分に強い結合力とされる。
ドラッグ不可能(アンドラッガブル)標的
従来の創薬手法では薬を設計できないタンパク質のこと。明確な結合ポケットを持たない、細胞内に存在する、構造が複雑すぎるなどの理由で標的にできない。疾患関連タンパク質の80%以上がこのカテゴリーに該当するとされる。
拡散モデル
生成AIの一種で、ノイズから徐々に構造を生成していく手法。画像生成AIで広く使われている技術を、タンパク質の3D構造予測や設計に応用したもの。BoltzGenやAlphaFold3で採用されている。
ウェットラボ
実験室での実際の実験を指す用語。コンピュータシミュレーション(ドライラボ)に対比して使われる。BoltzGenでは8つのウェットラボで実験的検証が行われた。
内在性無秩序領域
タンパク質の中で、明確な3D構造を持たず柔軟に動く領域。従来の創薬手法では標的にしにくいが、多くの疾患に関連している。BoltzGenはこのような領域に結合するペプチドの設計にも成功している。
参考リンク
MIT Jameel Clinic(外部)
2018年に設立されたMITの研究センター。AIと医療の交差点で研究を行い、BoltzGenを含む革新的なツールを開発している。
Boltz公式サイト(外部)
Boltzモデルファミリーの公式サイト。Boltz-1、Boltz-2、BoltzGenの情報とダウンロードリンクが掲載されている。
BoltzGen GitHub(外部)
BoltzGenのソースコード、モデルウェイト、トレーニングコードが公開されているGitHubリポジトリ。MITライセンスで利用可能。
Parabilis Medicines(外部)
BoltzGenの検証に参加したバイオ医薬品企業。Heliconペプチドプラットフォームを開発し、がん治療薬の開発を行っている。
MIT CSAIL(外部)
MITのコンピュータサイエンスと人工知能研究所。Regina BarzilayとTommi Jaakkolaが所属している。
参考記事
Introducing BoltzGen: Toward Universal Binder Design(外部)
MIT Jameel Clinicによる公式発表。BoltzGenが9つの新規標的のうち6つ(66%)でナノモル親和性の結合体を生成した詳細を報告。
BoltzGen Democratizes AI Therapeutic Design, Expands Druggable Universe(外部)
GENによる報道。26の学術・産業界の共同研究者による検証とナノモル親和性達成率66%について詳述している。
Behind the Model: Building BoltzGen with Hannes Stärk(外部)
筆頭著者Hannes Stärkへのインタビュー。9つの新規標的に対する66%の成功率と実験検証の重要性について語っている。
MIT Team Open-Sources BoltzGen: Design Protein Binders Across Molecular Types(外部)
36Krの記事。26の標的に対する8つのウェットラボでの検証と具体的な数値データを報じている。
Recent advances in targeting the “undruggable” proteins(外部)
Signal Transduction and Targeted Therapyに掲載された論文。ドラッグ不可能な標的の定義と新戦略を包括的に解説。
編集部後記
「ドラッグ不可能」とされてきた標的が、AIの力で「ドラッグ可能」に変わる瞬間を、私たちは目撃しているのかもしれません。BoltzGenが完全オープンソースで公開されたことは、創薬という高度に専門的な領域が、より多くの人々に開かれていく流れを象徴しています。
あなたが研究者なら、このツールをどう活用しますか?あるいは投資家なら、このパラダイムシフトをどう捉えますか?そして患者やその家族なら、これまで治療法のなかった疾患に希望を見出すでしょうか。
技術の進歩は、それを使う人々の想像力によって、その真価を発揮します。BoltzGenが拓く未来に、あなたはどんな可能性を見出しますか?
























