生成AIが日常に溶け込んだ2025年、その代償が明らかになりつつある。MITの研究者が2025年6月に発表した脳活動研究は世界中から4,000通を超える反響を呼び、教育現場では学生の92%がAIを使用する中、批判的思考力の低下が深刻化している。私たちは今、技術が思考そのものを外部委託できる時代に突入した。「愚かさの黄金時代」の到来を問う本記事は、機械に権力を委ねる前に立ち止まるべき瞬間を捉えている。
MITメディアラボの研究科学者Nataliya Kosmynaは、約2年前からChatGPTなどの大規模言語モデルを使用して記憶力が低下したと報告する人々からメールを受け取り始めた。彼女はMITの同僚と共に、脳波計を使って54人の参加者がエッセイを書く際の脳活動を監視する実験を実施した。その結果、ChatGPTを使用した参加者は、認知処理、注意力、創造性に関連する脳ネットワークの活動が著しく低く、作成直後に内容をほとんど思い出せなかった。この研究は2025年6月にオンラインで公開され、世界中から4,000通以上のメールが寄せられ、多くは生徒がAIを使って学習していないと懸念する教師からだった。
Kosmynaは、脳は学習に摩擦を必要とするが、技術は摩擦のないユーザー体験を提供することで、人々が無意識に情報処理を機械に委ねていると指摘する。作家で教育専門家のDaisy Christodououは、これを機械が思考する「愚鈍化社会」と呼ぶ。
スイスビジネススクールのMichael Gerlichが666人を対象に実施した研究では、AIをより頻繁に使用する人々は批判的思考のスコアが低かった。彼は、AIが提示する最初の答えが思考を特定の道に固定する「アンカリング効果」を懸念している。英国の調査では、大学生の92%がAIを使用し、約20%が課題の全部または一部をAIで作成している。
バージニア州の高校教師Matt MilesとJoe Clementは、2017年に技術の過度使用が子供を愚かにすると主張する『Screen Schooled』を出版した。彼らは、生徒がデバイスに永久に気を散らされ、即座の答えが得られる環境では批判的思考と深い知識が発達しないと懸念する。コロラド大学のFaith Boningerは、パンデミックがGoogle Workspace for Education、Kahoot!、Zearnなどのエドテックプラットフォームを遍在させたと指摘する。ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンのWayne Holmes教授は、エドテックの有効性に大規模な独立した証拠は存在せず、OECDの研究では生徒が学校で技術を使用するほど成績が悪化すると述べた。
From: Are we living in a golden age of stupidity? | Technology | The Guardian
【編集部解説】
MITの研究が突きつけた、生成AIと私たちの脳についての警告は衝撃的です。ChatGPTを使ってエッセイを書いた学生の脳活動が、何も使わずに書いた学生に比べて最大55%も低下していたという事実は、私たちが今まさに経験している認知的な変化を如実に示しています。
この研究を率いたNataliya Kosmyna氏が2025年6月にarXivで発表した論文は、まだ査読を受けていない予備的なものです。しかし世界中から4,000通を超える反響があったという事実が、教育現場が直面している危機感の大きさを物語っています。特に印象的なのは、エッセイを書き終えた直後にもかかわらず、ChatGPTグループの参加者がほとんど内容を思い出せなかったという点です。脳波計(EEG)による測定では、認知処理、注意力、創造性に関連する脳ネットワークの活動が著しく低下していました。
ここで重要なのは「認知的負債(cognitive debt)」という概念です。AIに思考を外部委託することで、私たちは短期的には効率を得られますが、長期的には思考する能力そのものが衰えていく可能性があります。これは筋肉を使わなければ萎縮するのと同じ原理です。
スイスビジネススクールのMichael Gerlich氏による666名を対象とした研究も、同様の懸念を裏付けています。AIツールをより頻繁に使用する人々は批判的思考のスコアが低く、特に若年層でその傾向が顕著でした。興味深いのは、高等教育を受けた人々は、AIを頻繁に使用していても批判的思考能力を維持できていたという点です。これは、批判的思考のスキルが一度身につけば、AIツールとうまく共存できる可能性を示唆しています。
Gerlich氏が指摘する「アンカリング効果」も見逃せません。AIが最初に提示した答えが、私たちの思考を特定の方向に固定してしまい、代替案を考える能力を奪ってしまうのです。彼が用いる「ろうそくと電球」の比喩は秀逸です。AIはろうそくを改良することはできても、まったく新しい概念である電球を発明することはできません。そのような飛躍には、混沌とした非線形的な人間の思考プロセスが不可欠なのです。
教育現場の現状はさらに深刻です。英国の大学生の92%がAIを使用し、88%が課題作成にAIを活用しているという2025年2月のHEPI調査結果は、わずか1年前の66%、53%から急激に増加しています。約18%の学生がAI生成テキストを直接課題に含めていると回答しており、学習そのものが形骸化している可能性があります。
OECDの研究も警鐘を鳴らしています。学校でテクノロジーを頻繁に使用する生徒ほど成績が悪いという2015年の報告書「Students, Computers and Learning」の知見は、10年経った今も変わっていません。PISA 2022のデータでも、適度な使用(1日1時間程度)は効果的ですが、過度な使用は逆効果であることが示されています。
ここで考えるべきは、技術そのものの是非ではなく、その使い方です。バージニア州の高校教師Matt MilesとJoe Clementが2017年に出版した『Screen Schooled』で指摘したように、問題はスクリーンタイムそのものではなく、それが批判的思考と深い学習の機会を奪っていることです。Googleで即座に答えが得られる環境では、生徒たちは知識を構築するプロセスを経験できません。
この問題の本質は、私たちが「摩擦のない」ユーザー体験を追求してきたことにあります。しかしKosmyna氏が指摘するように、脳は学習するために摩擦、つまり困難や挑戦を必要とします。effortless(努力不要)な体験は、短期的には心地よいかもしれませんが、長期的には私たちの認知能力を弱体化させる危険性があります。
パンデミックが教育現場のデジタル化を加速させたという指摘も重要です。コロラド大学のFaith Boninger氏が観察したように、ロックダウンによってGoogle Workspace for Education、Kahoot!、Zearnなどのエドテックプラットフォームが急速に普及しました。しかし、これらのツールの有効性を示す独立した大規模研究はほとんど存在しません。ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンのWayne Holmes教授が述べるように、私たちは本質的に子供たちを対象とした実験を行っているのです。
Miles氏が語った息子のエピソードは示唆に富んでいます。数学の課題で「2つの3」という正解を出したにもかかわらず、システムがそれを認識できなかったという話は、AIの限界を端的に示しています。真に懸念すべきは超知的なAIの登場ではなく、愚かなAIに権力を委ねてしまうことなのかもしれません。
私たちは今、岐路に立っています。AIは適切に使えば、学習を補完し、創造性を高める強力なツールになり得ます。実際、MITの研究でも、AI使用後に「脳のみ」グループに移行した参加者は脳活動が活発になったという興味深い結果が出ています。これは、基礎的な思考能力を身につけた後にAIを導入すれば、相乗効果が得られる可能性を示唆しています。
重要なのは、AIをいつ、どのように使うかというタイミングと方法です。まず批判的思考と問題解決の基礎を確立し、その上でAIを補助ツールとして活用する。このバランスを見出すことが、「愚かさの黄金時代」を回避し、真の意味でテクノロジーを人類の進化に役立てる鍵となるでしょう。
【用語解説】
脳波計(EEG: Electroencephalogram)
頭皮に電極を装着し、脳の電気的活動を測定する装置である。認知処理、注意力、記憶などの脳活動をリアルタイムで可視化でき、神経科学研究や医療診断に広く使われている。
認知的負債(Cognitive Debt)
短期的な効率化のために思考を外部に委託することで、長期的に認知能力が低下する現象を指す。技術的負債の概念を認知科学に応用した用語である。
認知オフローディング(Cognitive Offloading)
記憶や計算などの認知的タスクを外部のツールやデバイスに委ねることである。スマートフォンのメモ機能やリマインダーの使用が典型例だが、過度な依存は思考力の低下を招く可能性がある。
アンカリング効果(Anchoring Effect)
最初に提示された情報が基準点となり、その後の判断や意思決定に影響を与える認知バイアスである。AIが最初に示した答えが思考の方向性を固定してしまう問題として指摘されている。
愚鈍化社会(Stupidogenic Society)
肥満促進社会(obesogenic society)の概念を援用し、環境や技術が人々を愚かにしやすくする社会構造を指す。教育専門家のDaisy Christodoulouが提唱した概念である。
継続的部分的注意(Continuous Partial Attention)
複数の情報源に同時に注意を向けるが、どれにも完全には集中していない状態を指す。デジタル環境における典型的な認知状態であり、深い思考や学習を妨げる要因とされる。
動的有向伝達関数(dDTF: Dynamic Directed Transfer Function)
脳の異なる領域間の情報の流れを分析する神経科学的手法である。MITの研究では、この手法を用いて脳の接続性パターンを測定した。
筋萎縮性側索硬化症(ALS: Amyotrophic Lateral Sclerosis)
運動神経が徐々に破壊される神経変性疾患である。進行すると話すことや身体を動かすことが困難になるため、脳コンピュータインターフェース技術の重要な応用分野となっている。
【参考リンク】
MIT Media Lab(外部)
マサチューセッツ工科大学の学際的研究所。テクノロジー、デザイン、科学の交差点で革新的な研究を実施。
SBS Swiss Business School(外部)
スイスのビジネススクール。Michael Gerlich氏率いる戦略的企業先見性センターでAI社会影響を研究。
Higher Education Policy Institute (HEPI)(外部)
英国の高等教育政策シンクタンク。2025年調査で大学生の92%がAI使用と発表。
OECD Education(外部)
経済協力開発機構の教育部門。PISA実施や学校での技術使用と学習成果の関係を研究。
Your Brain on ChatGPT: Accumulation of Cognitive Debt when Using an AI Assistant for Essay Writing Task(arXiv)(外部)
今回のニュースのもととなった論文。
DOI:https://doi.org/10.48550/arXiv.2506.08872
Screen Schooled(外部)
Matt MilesとJoe Clementによる著書公式サイト。教育現場での技術過度使用問題を論考。
【参考記事】
Your Brain on ChatGPT – MIT Media Lab(外部)
Kosmyna氏らによる原著論文の公式ページ。54名対象の脳波測定研究詳細を掲載
ChatGPT’s Impact On Our Brains – TIME(外部)
MIT研究の詳細報道。ChatGPT使用時の脳活動低下と記憶への影響を解説
Does Using ChatGPT Really Change Your Brain Activity? – Scientific American(外部)
神経科学専門家による分析記事。研究の限界と今後の課題をバランスよく解説
AI Tools in Society – SSRN(外部)
Gerlich氏の666名対象研究論文。AI使用頻度と批判的思考能力の負の相関を実証
Student Generative AI Survey 2025 – HEPI(外部)
英国大学生1,041名対象の調査報告書。92%のAI使用率と課題作成実態を明示
Technology use at school – OECD(外部)
学校での技術使用と学習成果の包括的研究。過度な技術使用と学業成績低下の相関を提示
【編集部後記】
AIに質問を投げかけ、瞬時に答えを得る。この便利さに慣れた私たちは、果たして何を得て、何を失っているのでしょうか。最後に自分の頭だけで深く考え抜いたのはいつだったか、思い出せますか。
この記事が提起する問いは、テクノロジーの是非ではありません。私たち自身が、思考する主体であり続けられるかどうかという、より本質的な問題です。MITの研究者も、スイスの教育者も、そして教室の最前線に立つ教師たちも、同じ懸念を共有しています。
誰かが答えを持っているわけではありません。ただ、この変化の只中にいる一人として、みなさんと一緒にこの問いと向き合いたいのです。あなたは日々、AIとどう付き合っていますか。そしてそれは、あなた自身の思考を豊かにしているでしょうか、それとも。