マイクロソフトのAI部門を率いるムスタファ・スレイマンは、超知能を研究する新チーム「MAI超知能チーム」の創設を発表した。
同社は「ヒューマニスト超知能」の構築を目指し、この取り組みに多額の資金を投入する。
スレイマンは自らチームを率い、カレン・シモニャンがチーフサイエンティストに就任する。メタが最高1億ドルの総報酬パッケージで専門家を採用する中、マイクロソフトは社内人材と新規採用を組み合わせる。
スレイマンはDeepMindの共同創設者で、マイクロソフトが昨年買収したInflectionを率いていた。マイクロソフトはOpenAIに1,350億ドルの株式を保有する一方、GoogleやAnthropicのモデルも試験しAI源の多様化を図っている。
新チームは教育支援AIコンパニオン、医療、再生可能エネルギー分野に注力し、専門家レベルの診断が可能な医療AIが2〜3年以内に登場すると予測している。
スレイマンは無限に有能なジェネラリストAIではなく、人間のニーズに奉仕し制御可能な専門システムの開発を強調した。
From:
Microsoft’s next big AI bet: building a ‘humanist superintelligence’
【編集部解説】
マイクロソフトが「ヒューマニスト超知能」の構築に舵を切った背景には、AI開発競争における重要な戦略転換があります。
同社はこれまでOpenAIとの緊密なパートナーシップに依存してきましたが、2025年10月の再編後、OpenAIの株式27%に相当する1,350億ドルの株式を保有すると同時に、独自のAGI研究を推進できる自由を獲得しました。この契約変更により、マイクロソフトは2032年までOpenAIの技術にアクセスできる一方で、計算能力の制約から解放され、独自の超知能研究に乗り出せるようになったのです。
スレイマンが提唱する「ヒューマニスト超知能」は、競合他社とは一線を画すアプローチです。メタが2025年6月に超知能ラボを立ち上げ、最高1億ドルの契約金でトップ研究者を獲得しようとしている一方で、マイクロソフトは「無限に有能なジェネラリストAI」の追求を明確に否定しています。
スレイマンの哲学の核心は、制御可能性にあります。彼は「どんな犠牲を払ってでも加速するわけにはいかない。それは狂気の自殺行為だ」と述べ、性能最大化のために人間の理解を超えた「ベクトル空間」でのAI同士のコミュニケーションを制限する考えを示しています。これは、AIが人間の監督下にとどまることを確実にするための意図的な性能のトレードオフです。
医療分野での応用は、この戦略の実践例として注目されます。スレイマンは2〜3年以内に専門家レベルの診断能力を持つ医療AIが登場すると予測しており、これは複雑な医学的問題を推論し、予防可能な疾患を早期に検出できる技術です。DeepMindのAlphaFoldがタンパク質構造予測で示したような、特定領域での超人的パフォーマンスを、医療の現場に持ち込もうとしています。
AI投資への懸念が高まる中、マイクロソフトのアプローチは実用性を重視しています。同社はGPUとCPUへの支出を増やしつつも、明確な限界を設定し、教育支援、医療診断、再生可能エネルギーという3つの具体的な領域に焦点を絞っています。
チーフサイエンティストのカレン・シモニャンをはじめ、Inflectionから獲得した人材と、Google、DeepMind、Meta、OpenAI、Anthropicから引き抜いた研究者で構成される新チームは、「最先端のAI研究を開発する文化」の構築を目指しています。スレイマン自身は、フロンティアモデルの生産には「まだ1〜2年かかる」と慎重な見通しを示していますが、これは長期的な視野に立った戦略の表れでもあります。
興味深いのは、規制環境が安全性重視から離れつつある中で、マイクロソフトが逆に人間中心主義を強調している点です。トランプ政権のAI・暗号通貨担当の長であるデビッド・サックスが規制緩和を推進する中、スレイマンは「加速すべきだが、人類に奉仕するAIとして加速すべき」という微妙なバランスを取ろうとしています。
この戦略にはリスクもあります。安全策を講じることで、競合他社よりもコストがかかり、効率が悪くなる可能性があるのです。しかし、スレイマンは自身を「加速主義者」と位置づけながら、科学技術の力を信じつつも、人間の制御を維持することの重要性を強調し続けています。
メタが600人を解雇するなど混乱を見せる中、マイクロソフトの慎重かつ長期的なアプローチは、AI開発における新たな規範を確立する可能性を秘めています。
【用語解説】
超知能(Superintelligence)
人間の知能を大幅に上回る能力を持つ仮想的なAIシステムを指す。現時点では実現していないが、自己改善能力を持ち、あらゆる認知タスクで人間を凌駕する可能性がある技術として議論されている。
AGI(Artificial General Intelligence / 汎用人工知能)
特定のタスクに限定されず、人間と同等かそれ以上の幅広い知的タスクをこなせるAIを指す。現在のAIは特定領域に特化しているが、AGIは学習、推論、問題解決を人間のように横断的に実行できる。
ヒューマニスト超知能(Humanist Superintelligence / HSI)
マイクロソフトが提唱する概念で、人間の制御下に置かれ、人類に奉仕することを明示的に設計された高度なAI能力。無制限の自律性や自己改善能力を持たせず、特定領域での問題解決に焦点を当てる。
ベクトル空間(Vector Space)
AIモデルが情報を数値化して処理する多次元空間。AI同士がこの空間で直接通信すると効率的だが、人間には理解できないため、スレイマンは人間が理解できる形式での通信を重視している。
FLOPS(Floating Point Operations Per Second)
1秒間に実行できる浮動小数点演算の回数を示す単位。AIモデルの計算能力や訓練に使用された計算資源の規模を測る指標として使われる。
AlphaFold
DeepMindが開発したタンパク質構造予測AI。アミノ酸配列からタンパク質の3次元構造を高精度で予測でき、生物学研究に革命をもたらした。スレイマンが目指す「特定領域での超人的パフォーマンス」の代表例である。
公益法人(Public Benefit Corporation / PBC)
株主利益だけでなく、公共の利益や社会的目標も追求する営利企業の形態。OpenAIが2025年10月に採用した法人形態で、利益追求と社会貢献のバランスを取ることを目的とする。
【参考リンク】
Microsoft(外部)
マイクロソフトの公式サイト。AI製品のCopilotやBingなどの情報を提供。
OpenAI(外部)
ChatGPTを開発したAI研究機関。マイクロソフトが27%の株式を保有するパートナー。
Google DeepMind(外部)
スレイマンが共同創設したAI研究機関。AlphaFoldなど画期的なAI技術を開発。
Anthropic(外部)
元OpenAI幹部が設立したAIスタートアップ。安全性重視のAI開発を推進。
Safe Superintelligence Inc.(外部)
OpenAI元チーフサイエンティストのイリヤ・スツケバーが設立した超知能研究企業。
Scale AI(外部)
AIトレーニングデータのラベリングサービスを提供。創業者のアレクサンドル・ワンがメタのラボを率いる。
【参考記事】
Microsoft, freed from reliance on OpenAI, joins the race for ‘superintelligence’(外部)
マイクロソフトがOpenAIへの依存から脱却し独自に超知能開発を進める背景を詳述。
Microsoft forms superintelligence team under AI head Mustafa Suleyman(外部)
MAI超知能チーム発表を報じ、AI投資懸念下でのマイクロソフトの戦略を解説。
Mustafa Suleyman leads Microsoft’s new superintelligence moonshot(外部)
スレイマンへのインタビューを基にヒューマニスト超知能の概念と開発見通しを報告。
Microsoft superintelligence team promises to keep humans in charge(外部)
スレイマンの「加速至上主義は自殺行為」発言を含む安全性重視のアプローチを詳述。
OpenAI Gives Microsoft 27% Stake, Completes For-Profit Shift(外部)
OpenAI再編によるマイクロソフトの1,350億ドル株式取得と2032年までのアクセス権獲得。
Microsoft’s superintelligence plan puts people first(外部)
AIの自律性、自己改善能力、目標設定能力の制限などHSIの技術的制約を解説。
Microsoft Launches ‘Humanist Superintelligence’ Team(外部)
メタのラボ解体とマイクロソフトの安定戦略を対比し人材獲得競争の現状を分析。
【編集部後記】
マイクロソフトが「ヒューマニスト超知能」という言葉を掲げた背景には、AI開発が岐路に立っているという認識があります。
性能を追求するあまり制御不能になるリスクと、人間の理解の範囲内に留めることで得られる安全性。この両立は本当に可能なのでしょうか。
スレイマンの「加速至上主義は自殺行為」という言葉は、技術の進歩を止めるのではなく、進む方向を慎重に選ぶことの重要性を示唆しています。
私たちinnovaTopia編集部も、読者のみなさんと一緒に、AI技術がどこへ向かうべきか、そしてどのような未来を築きたいのかを考え続けていきたいと思います。
























