2025年、ある朝。
テキストを数行入力するだけで、プロ顔負けの楽曲が数分で完成します。ボーカル付き、フルコーラス、ジャンルも自由。SunoやUdioといった音楽生成AIは、誰もが作曲家になれる時代を実現しました。
しかし、この魔法のような技術を前に、多くの人が言葉にしづらい違和感を抱いています。「このAI、いったい何を学んだんだろう?」
2024年6月、ソニー・ミュージック、ワーナー・ミュージック、ユニバーサル・ミュージックの世界3大レコード会社が、SunoとUdioを著作権侵害で提訴しました。 理由はシンプルです。無断で大量の楽曲を学習データとして使ったのではないか、と。
AI企業側は「著作物を学習に使っただけで、コピーしているわけではない」と主張します。一方、音楽業界は「人間とは桁違いの規模とスピードで、無許諾で学習される」ことに危機感を抱いています。
人間の作曲家も、ビートルズを聴いてビートルズっぽい曲を作ります。でもそれは「影響を受けた」であって「盗作」ではありません。じゃあ、AIが10万曲を学習して新しい曲を作るのは、どっちなのでしょうか?
答えは簡単には出ません。だからこそ、私たちはモヤモヤします。
なぜ、こんなにモヤモヤするんだっけ?
1939年11月18日、東京。68人が集まった
答えを探すために、86年前のこの日に遡ってみましょう。
1939年11月18日、作詞家・作曲家ら68人が発起人となり、「社団法人大日本音楽著作権協会」が設立されました。現在のJASRAC(日本音楽著作権協会)です。
当時の日本は、ラジオブームの真っ只中でした。1931年に100万を突破した聴取者数は、1939年には急増していました。電波を通じて、音楽は瞬時に全国へ届くようになりました。便利になりました。でも、音楽を作る人たちにとって、それは必ずしも喜ばしいことばかりではありませんでした。
ラジオから流れる音楽に、誰がどう対価を払うのか。レコード会社?放送局?聴取者?
そもそも「音楽著作権」という概念自体が、まだ社会に浸透していませんでした。68人の音楽家たちは、音楽を作る人の権利を守る仕組みを、自分たちの手で作ろうとしました。
彼らが守ろうとしたのは、何だったのでしょうか。お金だけではありません。創作という行為が、正当に評価される社会です。音楽を作る人が、安心して創作を続けられる環境です。
それは、人類が音楽を作り続けるための、最低限の約束でした。
技術が変わるたび、同じモヤモヤが繰り返された
JASRAC設立から86年。音楽を届ける技術は、何度も劇的に変わりました。そして、そのたびに著作権をめぐる議論が巻き起こりました。
1970年代〜80年代、カセットテープの時代。
FM放送から音楽を録音する「エアチェック」がブームになりました。ラジカセで簡単に録音できます。友達とテープを交換します。音楽はもっと身近になりました。
でも、それは著作権的にどうなのか?レコードが売れなくなるのでは?当時の著作権法には「付則14条」という規定があり、店舗でレコードをBGMとして流しても、著作権者への支払いが不要でした。「著作権の理解がまだ十分でない」という理由で、権利が制限されていたのです。
この状態は2001年まで続きました。30年以上、音楽を「使う側」の便宜が優先され、「作る側」の権利は後回しにされました。
1990年代〜2000年代、インターネットの時代。
ファイル共有ソフトで音楽が違法にやりとりされました。CDの売上は急減しました。でも、やがてSpotifyのようなストリーミングサービスが登場し、新しい形で音楽家に対価が還元される仕組みができました。
技術が変わるたび、「これは盗作か、それとも進化か」という問いが立ち現れました。そのたびに、社会は時間をかけて答えを探してきました。
2025年現在、JASRACは何と向き合っているのか
そして今、JASRACは生成AIという新しい技術と向き合っています。
2023年7月、JASRACは「生成AIと著作権の問題に関する基本的な考え方」を発表しました。その内容は、可能性への期待と、深刻な懸念が入り混じったものでした。
「生成AIの開発・利用は、創造のサイクルとの調和の取れたものであれば、クリエイターにとっても、文化の発展にとっても有益なものとなり得ます」
しかし、と続きます。
「クリエイターの生み出した著作物が生成AIによって人間とは桁違いの規模・スピードで際限なく学習利用され、その結果として著作物に代替し得るAI生成物が大量に流通することになれば、創造のサイクルが破壊され、文化芸術の持続的発展を阻害することが懸念されます」
問題の核心は、日本の著作権法第30条の4という規定にあります。2018年の改正で導入されたこの条文は、AI学習のような「非享受目的」の利用であれば、著作物を無許諾で使えると定めています。
これは、AI開発を後押しする規定です。でも同時に、G7の中で日本だけがこれほど規制が緩いという事実もあります。
JASRACの立場は明確です。「営利目的の生成AI開発に伴う著作物利用についてまで原則として自由に行うことが認められるとすれば、多くのクリエイターの努力と才能と労力へのフリーライド(ただ乗り)を容認するものにほかならず、フェアではありません」
フェアか、フェアでないか。その線引きは、簡単ではありません。
2025年6月、興味深い動きがありました。 訴訟を起こしていたレコード会社側が、SunoとUdioに対してライセンス供与の交渉を始めたのです。ライセンス料、損害賠償、そして株式の一部取得。まるで、かつてSpotifyに対して行ったような、新しい「共存の形」を探り始めています。
対立ではなく、対話。訴訟ではなく、交渉。
音楽業界は、歴史から学んでいるのかもしれません。技術の進化を止めることはできない。ならば、クリエイターの権利を守りながら、どう共存するか。
答えは出ない。でも、問い続けることに意味がある
86年前、68人の音楽家が集まったとき、彼らも答えを持っていたわけではありませんでした。ラジオという新技術にどう向き合うか、手探りで仕組みを作りました。
カセットテープが登場したとき、インターネットが普及したとき、社会は時間をかけて答えを探しました。完璧な答えは出ませんでした。でも、少しずつ前に進みました。
2025年、私たちは再び同じ問いの前に立っています。
AIが学習することは、盗作なのか、それとも学びなのか。人間の創作者を守りながら、技術の恩恵を受けることは可能なのか。
答えは、まだ出ていません。
でも、問い続けること。対話を続けること。創作する人への敬意を忘れないこと。
それが、音楽を作り続ける人類にとって、最低限の約束なのかもしれません。
























