ノーバート・ウィーナーは、AIやロボットという言葉が一般化するよりもはるか前に、「動物と機械に共通する制御とコミュニケーションの原理」を探った数学者であり、“サイバネティクスの父”と呼ばれる存在だ。2025年11月26日の生誕131年は、生成AIと自律ロボットが社会インフラに組み込まれつつある今、彼の思想を「古典」ではなく「現在進行形の問い」として読み直す絶好のタイミングと言える。
神童から越境する数学者へ
ウィーナーは1894年11月26日に米ミズーリ州コロンビアで生まれ、父の強い教育方針のもとで育った。10代で大学と博士課程を駆け抜け、ハーバードで哲学博士号を取り、MITで確率論・フーリエ解析・ポテンシャル論などを横断的に切り拓いたキャリアは、純粋数学と工学・哲学を自在に往復する「越境型研究者」の先駆けでもある。
戦時研究が生んだ「未来を予測する数学」
第二次世界大戦中、ウィーナーはレーダー観測データから敵機の未来位置を推定し、高射砲を自動で照準する仕組みの研究に動員された。ノイズを含んだ時系列データから、外乱を除去しつつ位置と速度を推定するために、彼は「外挿・内挿・平滑化」の理論を構築し、後に「ウィーナーフィルタ」と呼ばれる信号処理と予測の基礎を築く。ここで生まれた「ノイズの中から有意味な信号を抽出し、未来の状態を予測する」という発想は、レーダーや通信だけでなく、今日の音声・画像処理や金融アルゴリズム、さらにはレコメンドシステムなど、多様な予測AIアルゴリズムに通じている。

『サイバネティクス』:動物と機械を貫く共通言語
1948年の著作『Cybernetics: or, Control and Communication in the Animal and the Machine』で、ウィーナーは生物の神経系から自動操縦、社会システムに至るまでを「情報」「制御」「フィードバック」という共通の概念で説明する枠組みを提示した。ギリシャ語で「舵取り」を意味する言葉から名づけられたサイバネティクスは、入力・出力・フィードバック・ノイズといった概念を軸に、当時バラバラだった制御工学、通信工学、脳研究、社会科学を接続するメタ理論として受け止められた。この本は学術書としては異例のベストセラーとなり、「サイバネティックス」という言葉自体がロボット、自動制御、初期AI研究の合言葉のように広がっていく。
フィードバック思考と現代AI・ロボット
ウィーナーの中核概念は、システムが環境からの入力を受け取り、その結果を再び入力として取り込む「閉じたフィードバックループ」だ。自律走行ロボットを例にとれば、センサーで環境を観測し、制御アルゴリズムが行動を決定し、その行動が環境を変え、再びセンサーに返ってくるというループが絶えず回り続ける。強化学習エージェントも同じ構造を持ち、方策に従って行動し、環境から報酬や新しい状態を受け取り、その経験に応じて内部パラメータを更新することで、目標に向かって自らを調整していく。こうしたフィードバックループの設計こそが、ロボット制御、自律エージェント、スマートファクトリーなど現代のAIシステムの実務的な中核であり、その発想はサイバネティクスの時代から連続している。
『The Human Use of Human Beings』とAI倫理への先駆的警告
1950年にウィーナーが一般向けに書いた『The Human Use of Human Beings: Cybernetics and Society』は、情報社会と自動化が人間に与える影響をめぐる初期の本格的な文明論として位置づけられている。彼は、機械と人間が同じ情報処理システムとして記述できるからこそ、人間が機械の一部品として扱われる危険性を強く警告し、自動化による失業や格差、監視やプロパガンダによる「情報による支配」のリスクを論じた。生成AIによるクリエイティブ職の置き換えや、行動ターゲティング広告・監視資本主義への懸念、AIガバナンスの議論など、2020年代の争点と驚くほど重なる指摘が、多くのAI倫理研究や解説記事で再評価されている。
サイバネティクスの「失速」と静かな復権
1960年代以降、人工知能、情報理論、制御工学、認知科学がそれぞれ専門分化するなかで、「サイバネティクス」という看板は次第に目立たなくなったとされる。しかし複雑系科学やシステム思考、組織論、HCI、インターネット文化研究など、多くの分野が「フィードバック」「自己調整」「ネットワーク」というサイバネティックス的な概念を引き継いでおり、最近ではAIと社会の関係を再設計するためのフレームワークとして再び参照されることが増えている。ポスト・ディープラーニングの議論でも、「モデル単体」ではなく「人間・制度・データ・インフラを含むシステムとしてAIを捉える視点」が重要だとされ、そこにウィーナーの遺産を見いだす論考も少なくない。
2020年代のAIとロボットを「サイバネティクスの目」で見る
生成AIやロボットが社会のあらゆる領域に浸透しつつある今、ウィーナーの視点は二つの点で有効だ。第一に、AIを「賢さ」ではなく「フィードバック構造」で見ることで、センサー、データ、モデル、行動、環境、ユーザーがどのようなループを作っているのか、どこにバイアスやリスクが生まれるのかを可視化できる。第二に、「人間の人間的利用」というタイトルが示すように、技術の設計目標を単なる効率や利潤ではなく、人間の創造性・自律性・共同性の側に置き直す視座を与えてくれる。生誕131年の節目に、ウィーナーのサイバネティクスは、AIが人間と社会にどのように「接続されるべきか」を問うための古くて新しいコンパスとして再び輝き始めていると言える。
【Information】
American Society for Cybernetics (ASC) (外部)
1964年に設立されたサイバネティクスの学会で、サイバネティクス研究・教育・実践の発展を目的とした非営利団体。国際的な会員ネットワークを持ち、ワークショップやカンファレンス、新Macy会議などを通じて「フィードバック」「システム思考」「会話としてのサイバネティクス」を現代にアップデートしている。
Norbert Wiener Papers(MIT Institute Archives & Special Collections) (外部)
ウィーナーの書簡、原稿、講演ノートなどを所蔵するアーカイブで、サイバネティクスや情報理論が形成されていく過程を一次資料で辿ることができる。オンラインで一部がデジタル公開されており、研究者向けの貴重なリソースとなっている。
Josiah Macy Jr. Foundation – Macy Conferences on Cybernetics (外部)
1946〜1953年に「Cybernetics: Circular, Causal, and Feedback Mechanisms in Biological and Social Systems」と題した一連の会議を主催した財団。多分野の研究者が集まり、サイバネティクスの共通言語と概念を形成した場として、ウィーナー周辺の知的ネットワークを理解する上で重要。
























