コロンビア大学工学部の研究者らは、細菌とウイルスが連携するがん治療法CAPPSIDを開発した。この研究はNature Biomedical Engineeringに発表された。
Tal Daninoが率いる研究チームは、ロックフェラー大学のCharles M. Riceと共同で開発を行った。CAPPSIDはCoordinated Activity of Prokaryote and Picornavirus for Safe Intracellular Deliveryの略である。
この治療の仕組みはサルモネラ・チフィムリウム細菌がピコルナウイルス科のウイルスを腫瘍内に運び込むというものである。細菌は腫瘍の低酸素で栄養豊富な環境に移動し、がん細胞内でウイルスを放出する。ウイルスは細菌由来のプロテアーゼなしでは成熟できないため、腫瘍外での拡散を防ぐ安全装置が組み込まれている。
マウス実験で治療効果が検証され、研究チームは特許出願(WO2024254419A2)を米国特許商標庁に提出し、臨床応用に向けた取り組みを進めている。
From: Trojan horse bacteria sneak cancer-killing viruses into tumors
【編集部解説】
今回のCAPPSID技術は、がん治療の分野において従来の課題を解決する革新的なアプローチとして注目されます。これまでのオンコリティック・ウイルス療法や細菌療法は、それぞれ独立して研究が進められてきましたが、両者を統合した治療法は世界初の試みです。
従来のオンコリティック・ウイルス療法の最大の問題は、患者が過去の感染やワクチン接種により獲得した免疫によってウイルスが中和されてしまうことでした。この技術はその課題を細菌という「運搬役」を使って巧妙に回避しています。さらに、ウイルスの成熟に必要なプロテアーゼを細菌に依存させることで、腫瘍外での暴走感染を防ぐ二重の安全装置を実現している点が技術的に優れています。
医療への応用範囲は広く、特に従来の抗がん剤や放射線治療に抵抗性を示す固形がんに対する新たな治療選択肢となる可能性があります。マウス実験で治療効果が検証されていることから、他のがん種への展開も期待されています。
一方で、生きた細菌とウイルスを組み合わせた治療法は前例がないことから、規制当局による安全性評価は慎重かつ長期間にわたることが予想されます。また、患者の免疫状態や既存の感染症によって治療効果にばらつきが生じる可能性も考慮する必要があります。
この技術が実用化されれば、従来の化学療法や免疫療法と組み合わせた多角的ながん治療戦略の確立につながるでしょう。特に、個別化医療の文脈において、患者の腫瘍特性に応じたウイルスと細菌の組み合わせを選択できる「ツールキット」的なアプローチは、がん治療のパーソナライゼーションを大きく前進させる可能性を秘めています。
【用語解説】
オンコリティック・ウイルス療法
がん細胞を選択的に感染・破壊するウイルスを利用した治療法。正常細胞には影響を与えずにがん細胞のみを標的とする。
サルモネラ・チフィムリウム
腸内細菌の一種で、低酸素環境を好む性質から腫瘍組織に自然に集積する特性を持つ。
プロテアーゼ
タンパク質を分解する酵素。CAPPSIDシステムではウイルスの成熟に必要な重要因子として機能する。
ピコルナウイルス科
小型で外膜を持たない一本鎖RNAウイルスの科。ポリオウイルスやライノウイルスなどが含まれる。
固形がん
血液系以外の臓器に発生する腫瘍の総称。肺がん、大腸がん、乳がんなどが該当する。
【参考リンク】
Columbia Engineering(外部)
コロンビア大学工学部の公式サイト。CAPPSID技術を開発したTal Danino准教授が所属する生体医工学科の研究情報を掲載している。
The Rockefeller University(外部)
ノーベル医学生理学賞受賞者Charles M. Rice博士が所属するロックフェラー大学の公式サイト。ウイルス学研究の世界的拠点である。
Nature Biomedical Engineering(外部)
CAPPSID研究が掲載された権威ある学術誌。生体医工学分野の最新研究を発表している。
Columbia University Irving Medical Center(外部)
コロンビア大学医学部の公式サイト。Herbert Irving Comprehensive Cancer Centerでがん研究を推進している。
【参考記事】
Engineered Bacteria-Virus System CAPPSID Shows Promise for Targeted Cancer Therapy(外部)
コロンビア大学工学部のCAPPSID開発に関する詳細な技術解説記事。サルモネラ・チフィムリウム細菌がオンコリティック・ウイルスを腫瘍に運搬する仕組みと安全装置について説明している。
Bacteria and Viruses Join Forces in New Cancer-Killing Therapy(外部)
CAPPSID技術の概要と治療メカニズムを分かりやすく解説した記事。細菌とウイルスの二重攻撃戦略と免疫回避システムの詳細を報告している。
Engineered bacteria launch and control an oncolytic virus(外部)
Nature Biomedical Engineeringに掲載された原著論文。CAPPSID技術の科学的根拠と実験データを詳細に記載した学術資料である。
【編集部後記】
今回のCAPPSID技術を見て、改めて感じるのは生命科学の無限の可能性です。
従来「敵」だったウイルスと細菌を味方につけてがんと闘うなんて、まるでSF小説の世界ですよね。皆さんはこの技術を知って、どんな印象を持たれましたか?
私たちが想像する10年後のがん治療は、今日とは全く違う姿になっているかもしれません。そして、このような画期的な研究が日本の近隣でも進んでいることに、とても心強さを感じています。皆さんにとって「未来の医療」とはどのようなものでしょうか?ぜひ一緒に考えてみませんか?