イエローストーンの細菌が解く「大酸化イベント」の謎。酸素と硫黄で同時に呼吸する生命の新たな可能性

[更新]2025年9月2日15:37

イエローストーンの細菌が解く「大酸化イベント」の謎。酸素と硫黄で同時に呼吸する生命の新たな可能性 - innovaTopia - (イノベトピア)

モンタナ州立大学の微生物学者エリック・ボイド氏らのチームは、イエローストーン国立公園の温泉で微生物を発見した

2025年に学術誌Nature Communicationsで発表されたこの研究は、ニンフ湖近くの温泉から分離された細菌Hydrogenobacter RSW1が、酸素と硫黄を同時に利用して呼吸する能力を持つことを示した。

この発見は、酸素が嫌気性呼吸を阻害するという従来の定説に反するものである。研究者らは、この発見が約27億年前に起きた「大酸化イベント」の際に生命がどのように環境に適応したかを解明する手がかりになると考えている。

この研究について、ルンド大学のコートニー・ステアーズ氏などがコメントを寄せている。

From: 文献リンクThese Newly Discovered Cells Breathe in Two Ways

【編集部解説】

今回のニュースは、単なる珍しい微生物の発見報告ではありません。これは、私たちが知る「生命のルール」そのものを書き換える可能性を秘めた、非常に重要な科学的ブレークスルーです。

これまでの生物学の常識では、酸素を使ってエネルギーを得る「好気呼吸」と、酸素を使わない「嫌気呼吸」は、一つの細胞内で同時に行うことはできないとされてきました。なぜなら、私たちにとって不可欠な酸素も、分子レベルでは非常に反応性が高く、嫌気呼吸を担う繊細な仕組みを破壊してしまう「毒」にもなり得るからです。両者は、いわば水と油のような関係だと考えられていたのです。

しかし、今回イエローストーン国立公園で発見された細菌Hydrogenobacter RSW1は、その常識を覆しました。酸素と硫黄を同時に「呼吸」し、しかもそれをエネルギー効率の向上につなげていたのです。これは、生命が私たちの想像以上に柔軟で、たくましい戦略を持っていることを示しています。

この発見がなぜこれほど重要かというと、地球生命の歴史における最大の謎の一つ、「大酸化イベント」を解き明かす鍵になるかもしれないからです。約27億年前、光合成を行うシアノバクテリアの台頭により、地球の大気中に酸素が急増しました。それまでの嫌気性生物にとって、世界が「毒」に満ちていく未曾有の環境危機でした。この危機を生命はどのように乗り越え、酸素を利用する現在の生態系へと進化したのか。この細菌が見せる「ハイブリッド呼吸」は、その移行期に存在したかもしれない、驚くべき生存戦略の一つの可能性を私たちに見せてくれます。

この発見は、未来のテクノロジーにも大きなヒントを与えてくれます。例えば、酸素濃度が不安定な環境下でも機能するバイオリアクターや、有害物質の浄化(バイオレメディエーション)への応用です。酸素があったりなかったりする過酷な工場排水の中でも、効率的に働き続ける微生物を開発できるかもしれません。

さらに、私たちの視野を宇宙へと広げてくれます。地球外生命を探す際、私たちはこれまで地球の生命活動を基準に「バイオシグネチャー(生命存在の痕跡)」を探してきました。しかし、もし生命がこれほどまでに多様な呼吸方法を持ちうるのであれば、私たちがこれまで「生命は存在し得ない」と考えていたような環境の惑星にも、全く異なる形の生命圏が広がっている可能性が出てきます。

一つの小さな微生物の発見が、地球の過去と未来、そして宇宙における生命の可能性までをも照らし出す。これこそが、私たちが「Tech for Human Evolution」を掲げ、未来の兆候を報じ続ける理由なのです。

【用語解説】

好気呼吸(こうきこきゅう)
酸素を利用して、食物からエネルギーを産生する代謝プロセスである。人間を含む多くの生物がこの方法で生命を維持している。

嫌気呼吸(けんきこきゅう)
酸素を使わずに、硝酸塩や硫黄などの物質を利用してエネルギーを産生する代謝プロセスである。酸素のない環境に生息する微生物などがこの方法を用いる。

大酸化イベント(だいさんかイベント)
約27億年前に、光合成を行うシアノバクテリアの活動によって地球の大気中や海洋中に酸素濃度が急激に上昇した出来事である。これにより、地球の生態系は劇的に変化した。

シアノバクテリア
光合成を行う細菌の一種。地球に酸素をもたらした主要な生物であり、今日の生態系の基礎を築いた。

バイオレメディエーション
微生物などの生物が持つ化学物質の分解能力を利用して、土壌や水質の汚染を浄化する技術である。

バイオシグネチャー
生命の存在を示す痕跡のこと。特定の分子や同位体比など、生物活動に由来する科学的証拠を指し、地球外生命探査における重要な指標となる。

【参考リンク】

Nature Communications(外部)
科学誌「Nature」から派生したオープンアクセスの学術雑誌である。今回の発見に関する論文が掲載された。

Quanta Magazine(外部)
サイモンズ財団が発行する独立系のオンライン科学雑誌である。数学、物理学、生命科学の最新研究動向を一般向けに解説。

モンタナ州立大学 微生物学・細胞生物学科(外部)
本研究を主導したエリック・ボイド氏が所属する大学の研究部門。極限環境微生物の研究で知られる。

ルンド大学 生物学部(外部)
コートニー・ステアーズ氏が所属するスウェーデンの大学の研究部門。進化生物学分野で高い評価を得ている。

【参考記事】

The Cells That Breathe Two Ways(外部)
イエローストーン国立公園の温泉で発見された、酸素と硫黄を同時に呼吸する微生物に関する詳細記事。

Simultaneous aerobic and anaerobic respiration in hot spring chemolithotrophic bacteria(外部)
今回発見された細菌RSW1に関する原著論文。ハイブリッド代謝戦略の詳細な実験データを掲載。

Simultaneous aerobic and anaerobic respiration in a Yellowstone hot spring bacterium(外部)
Nature Communicationsに掲載された論文の発見を、一般向けに報じた科学ニュース記事。

【編集部後記】

今回ご紹介した小さな微生物は、生命の「常識」を静かに、しかし力強く覆してくれました。私たちが当たり前だと思っている生命のルールは、実は数多ある生存戦略の一つに過ぎないのかもしれません。

この広大な宇宙のどこかで、私たちの想像もつかないような呼吸をしている生命がいるとしたら…。皆さんは、どんな「ありえない」生命の姿を想像しますか?ぜひ一緒に、生命の新たな可能性に思いを馳せてみませんか。

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TaTsu
『デジタルの窓口』代表。名前の通り、テクノロジーに関するあらゆる相談の”最初の窓口”になることが私の役割です。未来技術がもたらす「期待」と、情報セキュリティという「不安」の両方に寄り添い、誰もが安心して新しい一歩を踏み出せるような道しるべを発信します。 ブロックチェーンやスペーステクノロジーといったワクワクする未来の話から、サイバー攻撃から身を守る実践的な知識まで、幅広くカバー。ハイブリッド異業種交流会『クロストーク』のファウンダーとしての顔も持つ。未来を語り合う場を創っていきたいです。

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