10月15日、きのこの日。あなたはシイタケやマイタケが並ぶ食卓を思い浮かべるかもしれません。しかし、あなたが明日身につけるジャケットやバッグが、実は「キノコの親戚」から作られる未来が、すでに始まっています。
菌類。動物でも植物でもない、この「第三の生命」は、私たちの足元で何億年も静かに地球の物質循環を支えてきました。そして今、その根のような部分—菌糸体(マイセリウム)—が、ファッション産業に静かな革命を起こしています。Hermèsのバッグ、General Motorsの自動車内装、Ligne Rosetの高級家具。これらすべてに、菌糸体から生まれた素材が使われ始めているのです。
この変化が問いかけているのは、単なる素材の選択肢の増加ではありません。「レザーとは何か」という、人類が何千年も疑わなかった定義そのものが、今、揺らぎ始めているのです。
革の定義が揺らぐ時代
人類と革の関係は、おそらく数万年前、最初の狩猟採集民が動物の皮を身につけた瞬間に始まりました。以来、革は「動物の皮を鞣したもの」として定義され、その前提は決して疑われることがありませんでした。
しかし、2021年3月、ある出来事がその定義に亀裂を入れました。Hermèsが発表した「Victoria」バッグ。一見すると通常の革製品ですが、その琥珀色のパネル部分は動物由来ではありませんでした。MycoWorksと3年間の共同開発で生まれた菌糸体素材「Sylvania」。触感、耐久性、美しさ—すべてが本革に匹敵するこの素材は、キノコの地下部分である菌糸体から、わずか数週間で「育てられた」ものでした。
もし革の本質が素材の起源ではなく、その機能と美しさにあるとしたら?この問いは、私たちが「当然」と思っていた素材の定義を、根底から問い直すものです。
地下に広がる驚異のネットワーク
菌糸体とは何か。食卓に並ぶキノコ(子実体)は、実は菌類という生命体のほんの一部に過ぎません。地下に広がる糸状の構造—菌糸体こそが、菌類の本体です。
菌糸体は、森の土壌の中で樹木の根と共生し、「Wood Wide Web」とも呼ばれる地下のネットワークを形成します。栄養分や水を運び、植物同士の情報伝達さえ担う、地球生態系の縁の下の力持ち。オレゴン州の森には、10平方キロメートルに広がる単一の菌糸体が存在し、地球上最大の生命体とも言われています。
この菌糸体を、ファッション素材として「育てる」プロセスは、驚くほどシンプルです。
まず、農業廃棄物—おがくず、稲わら、トウモロコシの茎など—を栄養源として用意します。そこに菌糸体の細胞を加え、温度と湿度を管理した環境で培養すると、菌糸は栄養源を分解しながら成長し、2〜3週間で泡状のマット構造を形成します。これを収穫し、加工・鞣し・染色することで、革のような質感を持つ素材が完成するのです。
ここで重要なのは、企業によってアプローチが大きく異なるという点です。MycoWorksの「Fine Mycelium」技術は、成長過程で菌糸の方向を制御することで、本革に匹敵する強度と耐久性を実現します。HermèsとのコラボレーションではSylvaniaという名称で、一般向け製品ではReishiという名称でこの技術が展開されています。一方、Ecovativeは純粋な菌糸体シートを作る「AirMycelium」技術を開発し、プラスチックを一切使用しないアプローチを追求しています。
牛革を生産するには、動物を育てるのに数年、鞣し加工に数週間が必要です。菌糸体レザーは、その時間を劇的に短縮します。この速度の違いは、単なる効率の問題ではありません。それは、私たちが素材を「育てる」という新しい関係性を示唆しているのです。
美・倫理・環境の交差点で
ファッション産業は、長い間、美しさと倫理、環境配慮の間で引き裂かれてきました。動物の犠牲なしに本革の美を再現できるか。環境負荷を抑えつつ、高級ブランドが求める品質を満たせるか。
菌糸体レザーは、この三つの価値を同時に実現する可能性を示しています。
美の側面では: MycoWorksのFine Myceliumは、Hermèsという世界最高峰のレザーブランドに採用されました。2024年12月の報道によれば、フランスの高級家具メーカーLigne Rosetの家具にも採用され、2025年に市場投入される予定です。椅子のクッションに約100キログラムの重量をかけるテストを2万回繰り返すという厳しい試験にも合格し、その耐久性は実証されています。General MotorsのCadillac「SOLLEI」コンセプトカーの内装にも採用され、自動車産業への展開も始まっています。
倫理の側面では: 動物を犠牲にすることなく、革の質感と機能を実現します。菌糸体レザーは100%植物由来で、DNA検査によってヴィーガン認証を受けています。動物福祉を重視する消費者にとって、これは妥協のない選択肢となります。
環境の側面では—ここが複雑です。
私たちは、正直に語らなければなりません。すべての菌糸体レザーが同じように環境に優しいわけではないのです。
MycoWorksのReishiについては、プラスチック含有量が1%未満で、比較的低い炭素フットプリントを実現していると報告されています。一方、一部の菌糸体レザー製造プロセスでは、成長を促進するために大量のCO2を注入する手法が用いられており、これが燃料の燃焼によって炭素排出量を増加させる可能性が指摘されています。2023年の学術研究では、インドネシアでの菌糸体レザー生産において、1平方メートルあたり57.15 kg CO2eという高い数値が報告されました。その大部分は電力消費によるものです。
つまり、「菌糸体レザー=環境に優しい」という単純な図式は成り立ちません。製造方法、エネルギー源、プロセスの設計によって、環境負荷は大きく変わるのです。
しかし、この透明性こそが重要です。従来の本革生産も、畜産による温室効果ガス排出、大量の水使用、鞣し工程での化学物質使用など、深刻な環境負荷を抱えています。LVMHやKeringといった大手ラグジュアリー企業は、レザーが全体の炭素排出量の約50%を占めると報告しています。
菌糸体レザーは完璧ではありません。しかし、それは改善の余地があるという意味であり、諦める理由ではないのです。Ecovativeは現在、従来のレザーと比較して50%低いCO2排出を達成しており、規模拡大時には8倍の削減を目指すと表明しています。
ものづくりの哲学が変わる時
菌糸体レザーが示しているのは、単なる素材の代替ではありません。それは、ものづくりそのものの哲学的転換です。
従来の製造業は「採取・加工・廃棄」という一方通行のモデルでした。しかし菌糸体レザーは、「育てる・収穫する・土に還す」という循環型のサイクルを提案します。農業廃棄物を栄養源とし、使用後は生分解される。まさにサーキュラーエコノミーの具現化です。
さらに興味深いのは、菌糸体が素材の「民主化」をもたらす可能性です。従来のレザー産業は、大規模な畜産・鞣し工場という資本集約的なインフラを必要としました。しかし菌糸体は、温度と湿度を管理できる室内環境があれば、どこでも育てることができます。地域で廃棄物を集め、地域で素材を育て、地域で製品を作る。そんな分散型の生産システムが可能になるかもしれません。
MycoWorksは2023年10月、サウスカロライナに13.6万平方フィートの商業規模工場を開設しました。年間数百万平方フィートのReishiを生産できる能力を持ち、350人以上の雇用を創出する計画です。これは、菌糸体レザーが実験室から産業規模へと移行しつつあることを示しています。
しかし、道のりは決して平坦ではありません。
現実の壁と、それでも進む理由
2023年7月、業界に衝撃が走りました。菌糸体レザー「Mylo」を開発していたBolt Threadsが、生産を停止したのです。Stella McCartney、adidas、Lululemonという錚々たるブランドとの提携があったにもかかわらず、資金調達の困難により事業継続が困難になったと報じられました。
この出来事は、菌糸体レザー産業が直面する厳しい現実を浮き彫りにしました。技術的な可能性と、商業的な持続可能性は別物だということです。
現在の菌糸体レザーは、従来のレザーや合成皮革と比べて価格が高く、生産規模もまだ限られています。市場全体を見ても、2024年の菌糸体レザー市場規模は約1200万ドルと推定されており、これは年間約350億平方フィートという本革市場と比べれば、まだほぼゼロに等しい数字です。
しかし、だからこそ、です。
Ecovativeは2024年9月、6000万ドルのシリーズD資金調達に成功しました。MycoWorksは商業生産施設を稼働させ、実際の製品が市場に出始めています。菌糸体レザー市場は、2033年には3.36億ドル規模に成長すると予測されており、年率20%以上の成長が見込まれています。
重要なのは、この成長が単なる投機ではなく、実際の需要に支えられているということです。環境意識の高い消費者、特にミレニアル世代とZ世代は、倫理的で持続可能な選択肢を積極的に求めています。欧州委員会の報告によれば、ヨーロッパの靴産業だけで年間10万トンのレザー廃棄物を焼却・埋立処理しており、持続可能な代替素材への規制的圧力も高まっています。
そして私たちは、ここで立ち止まって考えるべきです。完璧ではないからといって、新しい試みを諦めるべきなのでしょうか?
歴史を振り返れば、どんな革新的技術も、最初は高価で、不完全で、懐疑的に見られてきました。初期の自動車は馬車よりも遅く、初期の太陽光パネルは非効率的で、初期のコンピュータは部屋一つを占有しました。しかし私たちは、それらを改良し続けました。
素材の再定義が意味するもの
10月15日、きのこの日。私たちがキノコを食卓に並べるこの日に、少し立ち止まって考えてみませんか。
あなたが「レザー」と呼ぶ時、あなたは何を指しているのでしょうか。動物の皮という起源ですか、それとも、耐久性と美しさを兼ね備えた機能ですか。
菌糸体レザーは、私たちに素材との新しい関係性を提案しています。それは、自然と対立するのではなく、自然のプロセスに学び、自然と協働する関係です。菌類は何億年も、地球の物質循環を支えてきました。私たちは今、そのシステムの一部となり、廃棄物を資源に変え、数週間で素材を育て、使い終わったら土に還す。そんなサイクルに参加できるのです。
これは完璧なソリューションではありません。環境データには改善の余地があり、コストは依然として高く、業界には失敗した企業もあります。しかし、それは諦める理由ではなく、改善の余地があるという希望でもあるのです。
菌糸体レザーの物語は、まだ始まったばかりです。2025年、Ligne Rosetの家具が店頭に並び、より多くのブランドが菌糸体素材を採用していくでしょう。そして私たちは、その進化を見守り、批判的に評価し、より良い方向へと導く責任があります。
あなたにできること:
- 菌糸体レザー製品を試してみる。実際に触れ、品質を自分の目で確かめる
- 製品の環境データに注目する。企業に透明性を求め、どの製造プロセスが使われているかを確認する
- 完璧を求めすぎない。従来の素材と新しい素材、両方の長所と短所を理解する
- 対話を続ける。素材の選択は個人の価値観の表明であり、その選択について語り合う
きのこの日に、私たちは問いかけられています。あなたは、どんな未来を身につけたいですか?
【Information】
参考リンク:
企業・製品サイト:
- MycoWorks – Reishi Fine Mycelium / Sylvania
学術・産業レポート:
- Williams, E., et al. (2023). “Life cycle assessment of MycoWorks’ Reishi™” Environmental Sciences Europe
- “Recent technological innovations in mycelium materials as leather substitutes: a patent review” PMC
- Fashion for Good – Ecovative Collaborative Pilot
用語解説:
菌糸体(マイセリウム / Mycelium) 菌類の栄養体を構成する糸状の構造。地下に網目状に広がり、栄養分や水を吸収・運搬する。食用とされるキノコ(子実体)を成長させるための本体部分。
Fine Mycelium™ MycoWorksが開発した独自技術。菌糸体の成長過程で方向を制御することで、本革に匹敵する強度と美しさを実現する製造プロセス。HermèsとのコラボレーションではSylvania、一般向け製品ではReishiという名称で展開。
AirMycelium™ Ecovativeが開発した技術。固体培養により、100%純粋な菌糸体シートを生産するプロセス。プラスチックを一切使用しない。
鞣し(なめし / Tanning) 動物の皮を革に加工する工程。従来は化学物質(クロムなど)を使用するが、菌糸体レザーの場合は環境負荷の低い方法が採用されることが多い。
サーキュラーエコノミー(循環経済) 資源を採取・製造・廃棄する一方通行ではなく、製品と資源の価値を可能な限り長く保全・維持し、廃棄物の発生を最小化する経済システム。
炭素フットプリント(Carbon Footprint) 製品やサービスのライフサイクル全体で排出される温室効果ガスの総量。CO2換算(CO2e)で表される。
きのこの日 1995年に日本特用林産振興会によって制定された記念日。10月がきのこの需要が高まる月であり、15日という月の中旬の日付が選ばれた。きのこに対する正しい知識の普及と、健康食品としての有用性を広めることが目的。