カリフォルニア大学サンタバーバラ校のElizabeth RizorとViktoriya Babenkoが率いる研究チームは、30名の女性を対象に月経周期全体を追跡し、ホルモン変動に伴う脳の構造的変化を記録した。
研究チームは月経期、排卵期、黄体中期の3つのフェーズでMRIスキャンとホルモン測定を実施した。結果、17β-エストラジオールと黄体形成ホルモンが上昇する排卵直前には白質に情報伝達の高速化を示す変化が見られ、卵胞刺激ホルモンは灰白質の厚さの増加と関連し、プロゲステロンは組織増加と脳脊髄液量の減少に関連していた。
この研究は月経周期に連動する白質微細構造と皮質の厚さの脳全体の同時変化を報告する世界初のものであり、2024年に『Human Brain Mapping』誌に発表された。また同年に別の国際研究チームが月経周期の各フェーズが脳全体に明確な影響を持つことを報告している。
From: Scientists Identified Structural, Brain-Wide Changes During Menstruation
【編集部解説】
この研究が重要視されている背景には、医学・神経科学分野における根深い課題があります。実は医学研究の多くは長年にわたって男性の身体を基準に行われてきた歴史があり、世界人口の約半数が生涯の半分の期間影響を受ける月経に関する研究が、驚くほど不足していたのです。
今回の研究で特に注目すべきは、脳の構造変化が視床下部-下垂体-性腺軸の受容体高密度領域だけでなく、脳全体に及ぶことを明らかにした点です。従来の研究では認知タスク中の神経コミュニケーションに焦点が当てられていましたが、構造的変化そのものを追跡した研究は少なかったため、この発見は神経科学における大きな前進となります。
脳の白質は灰白質領域間で情報を伝達する神経線維の脂肪ネットワークであり、この微細構造が月経周期に連動して変化するという事実は、情報処理速度や認知機能への影響を示唆しています。排卵直前には17β-エストラジオールと黄体形成ホルモンの上昇に伴い白質に情報伝達の高速化を示す変化が見られ、卵胞刺激ホルモンは灰白質の厚さの増加と関連していました。
さらに2024年に発表された別の国際研究では、60名の健康な女性を対象に月経周期の3つのフェーズ(卵胞期初期、排卵前期、黄体中期)における脳ネットワークの動的複雑性を調査しました。その結果、排卵前期が最も高い動的複雑性を示し、エストラジオールとプロゲステロンの両方が脳全体のネットワーク、デフォルトモードネットワーク、辺縁系、背側注意ネットワーク、体性感覚運動ネットワーク、皮質下ネットワークに影響を与えることが判明しています。
この知見が持つ意味は多岐にわたります。月経関連の精神健康問題の原因解明につながる可能性があり、月経前不快気分障害などの疾患メカニズムの理解を深める基礎となるでしょう。また、女性を対象とした臨床試験や投薬計画において、月経周期を考慮する必要性を科学的に裏付ける根拠となります。
長期的な視点では、思春期、経口避妊薬の使用、性別適合ホルモン療法、閉経後エストロゲン療法など、ホルモンシフトが生じるあらゆる局面での脳の変化を理解するための重要な手がかりとなるでしょう。
【用語解説】
白質(はくしつ)
脳内で灰白質の領域間を接続する神経線維のネットワークであり、脂肪を多く含むミエリン鞘で覆われているため白く見える。情報伝達のハイウェイとして機能し、脳の異なる領域間のコミュニケーションを担う。
灰白質(かいはくしつ)
神経細胞の細胞体が集まっている脳の領域で、情報処理を行う主要な部分。大脳皮質や皮質下構造に存在し、認知機能や感覚処理に関与する。
視床下部-下垂体-性腺軸(HPG軸)
生殖ホルモンを制御する神経内分泌系のシステム。視床下部が性腺刺激ホルモン放出ホルモンを分泌し、下垂体が卵胞刺激ホルモンや黄体形成ホルモンを放出し、卵巣や精巣がエストロゲンやプロゲステロンなどの性ホルモンを産生する一連の経路を指す。
17β-エストラジオール
エストロゲンの中で最も強力な生物学的活性を持つホルモン。主に卵巣で産生され、排卵前に急激に増加する。生殖機能だけでなく、脳の神経保護や認知機能にも影響を与える。
プロゲステロン
主に排卵後の黄体から分泌されるホルモン。子宮内膜を厚くして妊娠の準備を整える役割を持つが、脳の構造や脳脊髄液の量にも影響を及ぼす。
デフォルトモードネットワーク
安静時や内省時に活動が高まる脳領域のネットワーク。自己認識、記憶の想起、未来の計画など、内的な精神活動に関与する。
【参考リンク】
カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)(外部)
米国カリフォルニア州の公立研究大学。ノーベル賞受賞者を輩出するなど、神経科学、物理学、工学などの分野で世界的に高い評価を受けている。
Human Brain Mapping(学術誌)(外部)
神経画像研究を専門とする査読付き国際学術誌。脳の構造、機能、結合性に関する研究を掲載し、神経科学コミュニティで高い影響力を持つ。
npj Women’s Health(学術誌)(外部)
Nature Publishing Groupが発行する女性の健康に特化したオープンアクセスの学術誌。月経周期と脳のダイナミクスに関する重要な研究を掲載。
【参考記事】
Menstrual cycle-driven hormone concentrations co-fluctuate with white matter and cortical gray matter architecture changes across the whole brain(外部)
30名の女性を対象に月経周期全体でMRIスキャンとホルモン測定を実施し、白質微細構造と皮質灰白質の構造が脳全体で同時に変化することを報告した原著論文。
Whole-brain dynamics across the menstrual cycle: the role of hormonal fluctuations and age in healthy women(外部)
60名の健康な女性を対象に月経周期の脳ネットワークの動的複雑性を調査。排卵前期が最も高い動的複雑性を示すことを明らかにした国際研究。
Women’s brains change across the menstrual cycle(外部)
月経周期に伴う脳の変化に関する最新研究を一般向けに解説。医学研究における性差の考慮の重要性を論じ、脳の構造変化が認知機能に与える影響を考察。
Menstrual cycle linked to structural changes across whole brain(外部)
Rizor氏らの研究を取り上げ、月経周期に連動する脳全体の構造変化について詳しく解説。従来の研究との違いや、この発見が持つ臨床的意義についても言及。
Brain structures change during menstrual cycle(外部)
月経周期中の脳構造変化に関する研究を紹介し、ホルモン変動が白質と灰白質の両方に影響を与えるメカニズムについて解説。女性の健康研究の重要性を強調。
【編集部後記】
月経周期に伴う脳の構造変化という事実は、多くの方にとって新鮮な発見だったのではないでしょうか。自分の身体の中で、これほど動的な変化が毎月起きているということを、私自身も今回の記事を通じてあらためて実感しました。この研究は、月経に関する理解がまだまだ不十分であることも示しています。
もし周囲に月経の影響を感じている方がいたら、それは決して気のせいではなく、脳全体に及ぶ生理的な変化の一部かもしれません。この知見が、より多くの人々の理解と共感につながることを願っています。