2025年10月27日、Journal of the American Chemical Society(JACS)に掲載されたWarwick大学とMonash大学の最新研究により、「プレ-メチレノマイシンCラクトン」という新しい抗生物質が発見された。
既存物質の中間体から、従来薬の100倍以上の抗菌活性と耐性菌への新たな可能性が示されている。メチレノマイシンAという別の抗生物質の製造過程で生成される中間化学物質だ。
ラボテストでは、プレ-メチレノマイシンCラクトンはメチレノマイシンAよりグラム陽性菌に対して100倍効果的であることが示された。メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)およびバンコマイシン耐性腸球菌(VRE)に対して有効性が確認されている。
腸球菌を28日間プレ-メチレノマイシンCラクトンに暴露しても耐性を獲得しなかったため、長期的な有効性の可能性が示唆される。
研究者たちは他の抗生物質の中間体についても検査する意向を示している。
From: 
Powerful New Antibiotic Was ‘Hiding in Plain Sight’ For Decades – ScienceAlert
【編集部解説】
「存在していたのに見落とされていた」という逆説
この発見のユニークさは、革新的な新しい技術開発ではなく、既存の研究対象を異なる視点から再検証することから生まれたという点にあります。Streptomyces coelicolor菌は1950年代から70年近く、「モデル抗生物質生産菌」として微生物学の標準菌株として研究されてきました。それなのに、その菌が生成する既知抗生物質メチレノマイシンAの製造プロセスに隠れていた化合物が、100倍も強力だったというのは、科学における知識体系の盲点を突きつけます。
「合成中間体は価値がない」という固定観念の打破
50年前に発見されたメチレノマイシンAは何度も化学合成されていながら、その過程で生じる中間体については誰も抗菌活性をテストしてこなかったのです。これは、医薬品開発における典型的な視点の限定性を示しています。研究者たちが遺伝子を改変することで意図的に中間体を蓄積させ、それらをテストしてみるという単純な工夫が、大きな発見につながりました。
進化の過程で失われた強い武器
注目すべき仮説として、Dr. Lona Alkhalafは次のように述べています。S. coelicolor は本来、より強力な抗生物質(プレ-メチレノマイシンCラクトン)を産生するよう適応していたが、時間経過とともにそれをより弱い抗生物質(メチレノマイシンA)へと変化させた可能性があるというのです。これは、微生物の進化戦略が必ずしも「より強力」を目指さず、環境に応じて最適化されることを示唆しています。
耐性獲得困難さが示す可能性
プレ-メチレノマイシンCラクトンにとりわけ期待が集まる理由は、28日間の連続暴露でも腸球菌が耐性を獲得しなかったという点にあります。バンコマイシンは耐性菌治療の「最終手段」とされているため、バンコマイシン耐性腸球菌(VRE)は世界保健機関(WHO)が優先度の高い病原菌として指定している存在です。28日間連続暴露でも耐性を獲得しなかったという特性は、長期的な治療効果の持続可能性を示唆し、抗菌薬耐性(AMR)との闘いにおいて質的な転換をもたらす可能性があります。
スケーラビリティと実用化への道筋
Monash大学の研究チームが既にスケーラブルな合成法を開発しているという点も重要です。有望な化合物の多くは、工業規模での量産が困難という現実的な障壁に直面します。この発見がすでに拡大可能な製造プロセスを備えているというのは、研究室から実際の医療現場への道が比較的近いことを意味しています。
新しい「抗生物質探索パラダイム」の誕生
この研究が示唆する最も重要な示唆は、「新しい抗生物質は必ずしも新しい微生物や全く未知の化合物から発見される必要はない」ということです。既知の天然化合物の生合成経路における中間体を系統的に探索することで、抗性獲得が難しい新規抗生物質を見つけられるという新しい方法論が提示されたのです。これは、現在ほぼ枯渇しているとされる「低い木の実」(低い医学的ハードル)を、見方を変えることで再び収穫可能にするアプローチともいえます。
医療経済学における意味
抗生物質開発は商業的インセンティブが限定的なため、大手製薬企業の投資は不足しています。WHO 2025年報告では「パイプライン内の抗菌薬が不足しており、商業的インセンティブが限定的である」と指摘されています。しかし、既存の研究資産を活用し、遺伝子改変技術で新化合物を引き出すというこのアプローチであれば、開発コストと期間を大幅に削減できる可能性があります。それは、投資効率の観点からも抗生物質開発の再活性化につながる可能性を秘めています。
臨床段階への課題
現在はまだ前臨床試験段階です。実際の患者への投与には、毒性や薬物動態(体内での吸収・分布・排泄)の詳細な検証が必要です。中でも、シンプルな分子構造であることは一般に合成が容易で副反応が少ないという利点をもたらしますが、同時に体内での予期しない相互作用がないかどうかの確認が重要になります。
【用語解説】
プレ-メチレノマイシンCラクトン
Streptomyces coelicolor菌が産生する新規抗生物質。メチレノマイシンAの生合成過程に生じる中間化学物質であり、親化合物より100倍強力である。特にグラム陽性菌に対して高い効果を示す。
グラム陽性菌
細菌の分類方法の一つ。グラム染色という染色法で紫色に染まる細菌を指す。MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)やVRE(バンコマイシン耐性腸球菌)など、医療現場で問題となる病原菌が多く含まれる。
メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)
セファロスポリンやペニシリン系の抗生物質に耐性を持つ黄色ブドウ球菌。院内感染の主要な原因菌として世界的に問題となっており、WHO優先病原菌リストに登録されている。
バンコマイシン耐性腸球菌(VRE)
バンコマイシン抗生物質に耐性を持つ腸球菌。バンコマイシンは多くの耐性菌に対する治療の「最終手段」とされているため、VRE感染症は極めて深刻である。
抗菌薬耐性(AMR:Antimicrobial Resistance)
細菌やウイルスが抗生物質や抗ウイルス薬に対する耐性を持つようになる現象。WHO 2025年報告によれば、世界中で6人に1人の細菌感染が耐性菌によるものとなっており、グローバルな健康危機となっている。
生合成中間体
天然物がその最終形態に至るまでの化学合成過程で生じる中間産物。従来は重視されていなかったが、この発見によって医薬品候補探索の新しいターゲットとして認識されつつある。
Streptomyces coelicolor菌
土壌に広く分布する放線菌で、複数の抗生物質の源となる。1950年代から「モデル抗生物質生産菌」として微生物学の標準菌株として研究されており、医薬品開発における重要な研究材料である。
【参考リンク】
Warwick University – Department of Chemistry(外部)
Warwick大学化学科の公式サイト。本発見を率いた研究チームが所属。
Monash University – Faculty of Science(外部)
Monash大学理学部公式サイト。オーストラリア拠点の研究チーム所属部門。
WHO Global Antibiotic Resistance Surveillance System(外部)
WHO による抗菌薬耐性の世界的監視システム。最新の統計情報を提供。
Journal of the American Chemical Society(外部)
米国化学会発行の学術誌。今回の研究成果が掲載された査読済み学術雑誌。
【参考記事】
New antibiotic found hiding in plain sight – University of Warwick(外部)
研究主導者の直接引用を含む公式発表。進化仮説と研究手法が詳述。
Powerful new antibiotic that can kill superbugs discovered – Nature(外部)
MRSA・VRE双方への効果測定データと耐性獲得困難性の科学的根拠。
Scientists find hidden antibiotic 100x stronger – ScienceDaily(外部)
共同研究の経緯と具体的実験手法を解説。新しい抗生物質探索アプローチを説明。
Forgotten Antibiotic Could Be Superbug Killer – ScienceAlert(外部)
過去の抗生物質再評価の重要性。既知化合物ライブラリの未開発候補の存在を示唆。
Global antibiotic resistance surveillance report 2025 – AMR Insights(外部)
WHO GLASS 2025報告の詳細分析。地域別の耐性菌統計と医療危機を指摘。
【編集部後記】
この発見の本当の価値は、新しい物質の発見ではなく、「既に知っていた対象を、別の角度から見直す」というアプローチの力を示したことではないでしょうか。土壌菌の研究は70年続いているのに、その過程で生じる中間体には誰も着目しませんでした。
S. coelicolorが進化のどこかで強力な武器を手放した可能性さえあります。私たちの仕事や生活の中でも、同じような見落としが隠れているかもしれません。「当たり前」とされていることの中に、実は大きな可能性が眠っていないか─そう考える習慣が、未来を切り開くのかもしれません。




		



















