MITの研究チームが、文献情報、ロボティクス、実験を統合した材料発見プラットフォーム「CRESt(Copilot for Real-world Experimental Scientists)」を開発した。
このシステムは大規模マルチモーダルモデルを用いて、科学論文の知識、化学組成、微細構造画像などの多様なデータを統合し、材料レシピの最適化を行う。研究者は自然言語でシステムと対話でき、コーディングは不要である。カメラと視覚言語モデルが実験を監視し、問題を検出して修正を提案する。
研究チームはCREStを用いて900以上の化学組成を探索し、3,500回の電気化学試験を実施した結果、直接ギ酸塩燃料電池用の触媒材料を発見した。この触媒は8つの元素で構成され、純粋なパラジウムと比較して1ドルあたりの出力密度が9.3倍向上し、貴金属の使用量を4分の1に削減しながら記録的な出力密度を達成した。研究成果はNature誌に掲載された。
From: AI-driven system blends literature, experiments and robotics to discover new materials
【編集部解説】
材料科学の世界では長年、研究者の経験と直感が新素材発見の鍵を握ってきました。しかしMITが開発したCREStは、この人間中心のプロセスに革新をもたらす存在として注目されています。
このシステムの最大の特徴は「マルチモーダル」という点にあります。従来のAIシステムは化学組成や実験データといった単一のデータストリームに依存していましたが、CREStは科学論文のテキスト情報、電子顕微鏡画像、X線回折データ、さらには人間研究者からのフィードバックまで、異なる形式の情報を統合して判断を下します。
特に興味深いのは、知識埋め込み空間における主成分分析を用いた探索空間の縮小です。CREStは実験を行う前に、過去の文献から得た知識で各材料レシピの膨大な表現を作成し、その空間内でベイズ最適化を実行します。これにより、従来のベイズ最適化が陥りがちだった「限定的な設計空間」という罠を回避できるのです。
実用面での成果も見逃せません。直接ギ酸塩燃料電池の触媒開発において、CREStは3か月で900以上の化学組成を探索し、8元素からなる触媒を発見しました。この触媒は純粋なパラジウムと比較して1ドルあたりの出力密度が9.3倍に向上しており、さらに貴金属使用量を4分の1に削減しながら記録的な出力密度を実現しています。
コスト削減の意義は極めて大きいでしょう。燃料電池の商業化を阻んできた最大の障壁が貴金属の高コストだったからです。パラジウムや白金といった貴金属は、触媒活性は高いものの価格が不安定で供給も限られています。CREStが発見した多元素触媒は、安価な元素を組み合わせることで最適な配位環境を作り出し、一酸化炭素や吸着水素原子による被毒にも耐性を示します。
もう一つの重要な機能が、カメラとビジョン言語モデルによる実験監視システムです。材料科学実験における再現性の問題は、研究者を長年悩ませてきた課題でした。サンプルの形状のミリメートル単位のずれや、ピペットの位置ずれなど、微細な変化が実験結果に影響を与えるためです。CREStはこうした問題をリアルタイムで検出し、音声とテキストで修正案を提案します。
ただし、研究チームは「CREStは人間の代替ではなくアシスタント」と明確に位置づけています。実際、実験のデバッグ作業の大部分は依然として人間が担当しており、システムは自然言語で観察結果と仮説を提示することで、人間の意思決定を支援する役割に徹しています。
この技術が示唆するのは、自律駆動ラボへの道筋です。最大20種類の前駆体分子と基板を扱え、液体ハンドリングロボット、カーボサーマルショックシステム、自動電気化学ワークステーションなど、包括的なロボット装置群を統合したCREStは、材料開発のサイクルタイムを劇的に短縮する可能性を秘めています。
Nature誌に掲載されたこの研究は、AI for Scienceという新しい分野において、実験設計そのものをAIが担う時代の到来を告げるものと言えるでしょう。
【用語解説】
ベイズ最適化
統計的手法の一つで、実験コストが高い場合に少ない試行回数で最適解を見つけるために用いられる。視聴履歴から次の映画を推薦するシステムのように、過去のデータから次の実験候補を推薦する。
直接ギ酸塩燃料電池
ギ酸塩から直接電気を生成する高密度燃料電池の一種である。従来の燃料電池と比較して高い出力密度が期待されるが、触媒に高価な貴金属が必要とされることが商業化の障壁となっている。
カーボサーマルショックシステム
炭素材料に大電流を流して発生させるジュール熱を利用し、材料を急速に加熱・冷却することで、短時間で合成を行う装置である。従来の合成プロセスと比較して大幅な時間短縮が可能となる。
【参考リンク】
MIT Department of Nuclear Science and Engineering – Ju Li(外部)
研究を主導したJu Li教授のプロフィールページ。専門分野、研究テーマ、過去の業績などが確認できる材料科学分野の第一人者である。
【参考動画】
【参考記事】
AI system learns from many types of scientific information and runs experiments to discover new materials – MIT News(外部)
MITの公式発表によるCREStシステムの包括的な解説。研究チームが3か月で900以上の化学組成を探索し3,500回の電気化学試験を実施した経緯、8元素触媒の発見、純粋なパラジウムと比較して1ドルあたりの出力密度が9.3倍向上した詳細、貴金属使用量を4分の1に削減しながら記録的な出力密度を達成したプロセスが報告されている。
Materials Expert-Artificial Intelligence for materials discovery – Nature Communications(外部)
CREStに関する査読済み学術論文。マルチモーダルフィードバックを用いたアクティブラーニング手法、知識埋め込み空間における主成分分析、ベイズ最適化の技術的詳細が記載されており、直接ギ酸塩燃料電池用触媒の発見プロセスと性能評価が科学的に検証されている。
MIT’s CRESt Accelerates Material and Fuel Cell Discovery – Karlobag(外部)
CREStシステムが燃料電池触媒開発に与える影響について分析。最大20種類の前駆体分子を扱える能力、カメラとビジョン言語モデルによる実験監視機能、再現性問題への対処方法が解説されている。
AI-Driven Materials Discovery System – Datatunnel(外部)
CREStの技術的アーキテクチャと材料科学分野への応用について詳述。液体ハンドリングロボット、カーボサーマルショックシステム、自動電気化学ワークステーション、自動電子顕微鏡などの統合ロボット装置群の役割と、自然言語インターフェースによる人間とAIの協働方式が紹介されている。
【編集部後記】
CREStのような「人間とAIが対話しながら研究を進める」システムは、材料科学だけでなく、あらゆる科学研究の未来を示しているのかもしれません。自然言語で会話し、AIが観察結果や仮説を提示してくれる研究環境は、私たちが想像する以上に早く実現しそうです。
皆さんの専門分野や関心領域で、もしこうしたAIアシスタントが使えるとしたら、どんな問いを投げかけてみたいですか。新しい発見は、人間の好奇心とAIの探索能力が出会う場所から生まれるのかもしれません。