Healthcare IT Todayは、HL7 Internationalの最高AI責任者であるダニエル・ヴリーマンDPTをゲストに迎え、医療分野におけるAI実装の新時代と、その信頼性基盤構築への挑戦についての記事を投稿した。
医療におけるAIイノベーションのペースは、規制やガバナンス、インフラの整備よりも速く進んでおり、このギャップは意図せぬ損害のリスクを増大させる。信頼できるAIの基盤として、公共インフラとしての標準が必要であり、そのモデルとして「信頼性のある情報交換フレームワークおよび共通合意(TEFCA)」を挙げている。標準化の取り組みがなければ、電子カルテ(EHR)導入時に見られたデジタルデバイドを繰り返し、医療格差を拡大させる可能性がある。解決には開発者、医療提供者、支払者、ベンダーなど官民の連携による共同行動が求められる。
From: AI in Healthcare Is Moving Fast. The Infrastructure to Govern It Isn’t.
【編集部解説】
2025年、医療AIの進化は目覚ましく、診断支援から個別化治療の提案まで、その可能性は日々報じられています。しかし、今回ご紹介する記事の著者、ダニエル・ヴリーマン氏は、その熱狂の裏で進行する深刻な課題に警鐘を鳴らしています。それは、AIという高速で走るエンジンに対して、それを安全に導くための「道路」や「交通ルール」の整備が全く追いついていないという現実です。
この記事が「なぜ今、重要なのか?」、それは、私たちがAIの能力そのものに目を奪われ、その土台となるインフラの重要性を見過ごしがちだからです。著者が所属する「HL7 International」は、まさにその土台、医療データ交換の世界標準規格「FHIR」などを策定してきた組織です。いわば、医療情報における世界の「言語」や「通信プロトコル」を作ってきた専門家からの提言であり、非常に重みがあります。
記事中で触れられている「TEFCA」は、米国の医療情報共有を促進するための官民連携フレームワークです。これは、バラバラだった各医療機関のネットワークを相互に接続するための「高速道路網」のようなものと理解できます。この成功例を挙げることで、著者は医療AIにおいても同様の協調的なインフラ整備が可能であり、急務であると訴えているのです。
もし、このままインフラ整備が追いつかなければ、何が起こるのでしょうか。例えば、特定の民族グループのデータが少ないまま開発された診断AIが、そのグループの患者に対して誤った診断を下すかもしれません。あるいは、資金力のある大病院だけが高度なAIを導入・管理できる一方で、地方の病院では活用できず、結果として「AIによる医療格差」が深刻化する未来も考えられます。これは、かつて電子カルテの導入期に見られた「デジタルデバイド」の再来に他なりません。
この記事が示す長期的な視点は、医療AIの真の価値は、個々のアルゴリズムの賢さだけでは決まらないということです。データがどのように収集され、共有され、AIがどのように検証・監視されるのか。そのプロセス全体が透明で信頼できるものでなければ、社会に広く受け入れられることはありません。AIの「説明可能性」や「公平性」は、倫理的な問題であると同時に、社会実装に不可欠な技術的課題なのです。
AIというテクノロジーが、一部の強者だけを利するのではなく、誰もが公平にその恩恵を受けられる未来を実現するためには、今こそ「標準化」という地道で、しかし極めて重要なインフラ構築に目を向ける必要があります。
【用語解説】
相互運用性(Interoperability)
異なるメーカーのシステムやソフトウェアなどが、互いに連携して情報を交換し、利用できる能力のことだ。医療分野では、病院ごとに異なる電子カルテシステムのデータをスムーズに共有するために不可欠な概念である。
TEFCA(Trusted Exchange Framework and Common Agreement)
米国保健福祉省が推進する、全国的な医療情報交換ネットワークを実現するための共通ルールや基盤のことだ。「ネットワークのネットワーク」を構築し、どの医療機関からでも安全に必要な患者情報にアクセスできる環境を目指している。
電子カルテ(EHR – Electronic Health Record)
患者の診療情報を電子的に記録・管理するシステムのことだ。個人の健康に関する情報を生涯にわたって包括的に記録し、医療機関間で共有することで、より質の高い医療の提供を目的とする。
デジタルデバイド(Digital Divide)
インターネットやコンピュータなどの情報通信技術を利用できる人とできない人との間に生じる、経済的または社会的な格差のことだ。医療分野では、ITインフラが整っている都市部の大病院と、そうでない地方の小規模な診療所との間で格差が生じる懸念がある。
【参考リンク】
【参考記事】
【編集部後記】
この記事は、AIの議論が「何ができるか」という熱狂の段階から、「どう社会実装するか」という成熟した段階へ移行したことを示す象徴的な内容だと感じました。
AIを安全かつ公平に運用するための「標準化」という、一見地味なテーマこそが、今後の社会基盤の根幹となります。技術そのものの進化だけでなく、それを賢く運用する仕組みを構築することこそが必要だと思います。