東京大学、口腔マイクロバイオームに新発見|口腔細菌の巨大DNA「イノクル」とがんの関連性

[更新]2025年9月17日08:12

東京大学、口腔マイクロバイオームに新発見|口腔細菌の巨大DNA「イノクル」とがんの関連性 - innovaTopia - (イノベトピア)

東京大学の研究者らが率いるチームが、口腔内細菌が持つ巨大なDNAループ「イノクル(Inocles)」を発見した。

この染色体外DNA要素は連鎖球菌(Streptococcus)に見られ、ゲノムサイズは平均35万塩基対であるとみられる。研究では56人のボランティアから唾液サンプルを採取し、さらに476のサンプルで検査を実施した結果、約4分の3の人がイノクルを保有している可能性が示された。

研究チームは従来のDNA配列決定技術の限界を克服するため、preNucと呼ばれる特注の配列決定システムを開発した。イノクルは酸化ストレス耐性、DNA損傷修復、細胞壁関連遺伝子などの機能を持つ。興味深いことに、頭頸部がん患者の唾液サンプルではイノクルの数が大幅に少なかった。東京大学の微生物学者である木口悠也氏がこの研究を主導し、結果はNature Communicationsに発表された。

From: 文献リンクGiant Loops of DNA Discovered in Our Mouths Could Shield Us From Cancer

【編集部解説】

今回の発見で注目すべきは、従来のDNA配列決定技術では見つけることができなかった巨大な遺伝要素が、長らく研究されてきた口腔マイクロバイオームに隠れていたという事実です。イノクルが見落とされていた理由は、その並外れたサイズにありました。従来の手法では遺伝子データを細かく断片化するため、35万塩基対という巨大な構造を再構築することは技術的に困難だったのです。

研究チームが開発したpreNucという新しい解析手法は、ヒトのDNAを選択的に除去することで、細菌由来のDNA解析の精度を飛躍的に向上させました。この技術革新により、従来のプラスミド(数万塩基対程度)をはるかに上回る規模の染色体外要素の全貌を初めて明らかにすることができたのです。

口腔内環境での生存戦略

イノクルの機能面で興味深いのは、酸化ストレス耐性やDNA損傷修復といった、口腔内の厳しい環境に対する適応機構を支える遺伝子群を保有していることです。口の中は食事や歯磨きによる物理的刺激、pH変動、酸素濃度の変化など、細菌にとって過酷な環境であり、イノクルはこうしたストレスに対する「追加装備」として機能していると考えられます。

最も注目すべき発見は、頭頸部がん患者の唾液サンプルでイノクルの存在量が著しく減少していたことです。ただし、これがイノクル自体の保護効果によるものか、がんリスクを高める別の要因がイノクルを減少させているかは、現段階では特定できていません。因果関係の解明は今後の重要な研究課題となります。

将来への期待

調査対象の約74%がイノクルを保有していたという高い有病率も特筆すべき点です。これは進化的に重要な役割を果たしてきた可能性を示唆しており、口腔内細菌の生存戦略において不可欠な要素である可能性があります。

将来的には、イノクルを指標とした口腔疾患の早期診断や、がんのバイオマーカーとしての活用が期待されます。また、イノクルの機能解明が進めば、口腔内細菌叢を人工的に調整する新しい治療戦略の開発にもつながる可能性があります。

【用語解説】

イノクル(Inocles)
口腔内の連鎖球菌が保有する巨大な環状DNA構造。平均35万塩基対という従来のプラスミドを大幅に上回るサイズを持つ染色体外遺伝要素である。

プラスミド
細菌や酵母などの微生物が主要な染色体とは独立して保有する環状DNA分子。通常は数千から数万塩基対程度の小さな遺伝要素で、抗生物質耐性などの特別な機能を担う。

連鎖球菌(Streptococcus)
球状の細菌が鎖状に連なった形態を示すグラム陽性細菌の総称。口腔内に常在し、う蝕や歯周病の原因となる種もある。

preNuc
東京大学の研究チームが開発した独自のDNA配列決定システム。サンプルからヒトDNAを選択的に除去することで、細菌由来の遺伝子解析の精度を向上させる技術である。

塩基対
DNAの二重らせん構造における対になった塩基の組み合わせ。DNA配列の長さを表す単位として使用され、1塩基対は約0.34ナノメートルに相当する。

口腔マイクロバイオーム
口腔内に生息する微生物群集の総称。数百種類の細菌、真菌、ウイルスなどが複雑な生態系を形成し、口腔の健康状態に大きな影響を与える。

【参考リンク】

東京大学(外部)
日本を代表する国立大学。本研究の主導機関として、微生物学分野での先端研究を推進している。

Nature Communications(外部)
自然科学分野における査読付き学術誌。本研究成果が掲載された国際的に権威のある科学誌である。

【参考記事】

Giant DNA discovered hiding in your mouth(外部)
東京大学による公式プレスリリース。研究の背景、手法、発見の意義について詳細に解説している。

Surprising giant DNA discovery may be linked to gum disease protection(外部)
Science Dailyによる研究報告。イノクルと歯周病予防の関連性について焦点を当てた記事。

Giant DNA Elements Discovered in Mouth Could Impact Oral Health(外部)
Lab Medicaによる医学的観点からの解説。イノクルの臨床的意義について分析している。

Huge, mysterious chunks of DNA found floating in our saliva(外部)
New Atlasによる研究成果の解説。preNuc技術によるbreakthroughについて詳細に報告している。

【編集部後記】

皆さんの口の中には、今この瞬間も数百種類もの細菌が暮らしているという事実をご存知でしょうか。従来は「口腔内の細菌=悪者」というイメージが強かったかもしれませんが、今回の発見は私たちと共生する微生物の新たな可能性を示してくれました。

特に興味深いのは、毎日歯磨きをする際に見落としがちな、目に見えない遺伝的な「守り」の仕組みが口の中に備わっていたということです。ご自身の口腔ケアを見直すきっかけとして、また身近な生命科学の驚きとして、皆さんはこの発見をどのように捉えられるでしょうか。

投稿者アバター
omote
デザイン、ライティング、Web制作を行っています。AI分野と、ワクワクするような進化を遂げるロボティクス分野について関心を持っています。AIについては私自身子を持つ親として、技術や芸術、または精神面におけるAIと人との共存について、読者の皆さんと共に学び、考えていけたらと思っています。

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