英国の医薬品・医療製品規制庁(MHRA)は、AI Airlockプログラムの第二段階として7つの新技術を評価している。試験中の技術には、大腸がん検査の結果を数分に短縮するツール、皮膚がんや遺伝性眼疾患の早期検出システムが含まれる。
7つの技術は、AI搭載の臨床記録作成、がん診断、眼疾患検出、患者の入院要約、血液検査解釈ツールなどで構成される。このプログラムは規制サンドボックスとして機能し、製造業者が管理された環境でAIシステムをテストできる。
得られた知見は医療機器としてのAI規制と国立医療AI規制委員会に反映される。第一段階ではPhilipsやOncoFlowが参加し、MHRAは4つのレポートを公開した。健康イノベーション大臣Zubir Ahmedは、NHSを世界で最もAI対応が進んだ医療システムにする目標を示した。
From: MHRA fast-tracks next wave of AI tools for patient care
【編集部解説】
英国が世界に先駆けて展開するAI医療機器の規制サンドボックス「AI Airlock」プログラムが、新たな段階へと進んでいます。このプログラムは、AI技術が医療現場に安全かつ迅速に導入されるための画期的な取り組みとして、国際的にも注目を集めています。
規制サンドボックスとは、新技術を規制当局の監督下で実験的にテストできる環境のことです。宇宙船のエアロックが外部空間と内部を安全に繋ぐように、AI Airlockは実験段階のAI技術と実用化された医療技術の間に「安全な境界」を作り出します。製造企業は規制当局と直接協力しながら、自社のAIシステムが実際の医療現場でどのように機能するかを検証できるのです。
このプログラムの第一段階は2024年春に開始され、2025年4月まで実施されました。PhilipsやOncoFlowなど4つの技術が選ばれ、放射線レポートの自動化やがん治療計画の個別化といった課題に取り組みました。特筆すべきは、参加企業が週次でMHRAと会議を行い、規制戦略に直接影響を与えることができた点です。Philips社の担当者が「研究開発担当者が規制当局と共に規制戦略に影響を与える機会はほとんど前例がない」と語っているように、これは従来の規制プロセスとは一線を画すアプローチです。
第一段階で特定された規制上の課題には、AIモデルの訓練に使用される合成データの検証方法、AIの判断を臨床医が理解できるよう「説明可能」にすること、そしてAIが誤った情報を生成する「ハルシネーション」への対処などが含まれています。これらは、AI医療機器特有の問題であり、従来の医療機器規制の枠組みでは十分に対応できていなかった領域です。
英国政府はこのプログラムに100万ポンドを投資し、第二段階への移行を支援しています。2025年6月から7月にかけて第二段階の応募が受け付けられ、2026年4月まで実施される予定です。健康イノベーション大臣Zubir Ahmedは、10年間の健康計画を通じてNHSを世界で最もAI対応が進んだ医療システムにする目標を掲げています。
AI Airlockプログラムの真の価値は、規制当局とイノベーターが早期段階で協力することで、製品開発と規制承認のプロセスを同時進行させられる点にあります。従来は製品開発後に規制審査が始まるため、開発段階で規制要件を満たしていないことが判明すると大幅な遅延が生じていました。しかしこのプログラムでは、開発の初期段階から規制当局が関与することで、こうした問題を未然に防ぐことができます。
Royal Derby HospitalのSir Andrew Goddard医師が指摘するように、多くの臨床医はAIの可能性に期待しつつも、過度な期待や患者安全への懸念を抱いています。AI Airlockプログラムは、こうした現場の不安に応えながら、エビデンスに基づいた安全な技術導入を実現するための仕組みなのです。
また、このプログラムは英国内だけでなく、国際的な影響も持っています。2025年6月、英国はHealthAI Global Regulatory Networkに最初の「パイオニア国」として参加しました。AI Airlockで得られた知見は、世界のAI医療機器規制の標準を形作る可能性があります。
AI医療技術の規制において英国が直面している課題は、日本を含む他の国々も同様に抱えています。従来の規制の枠組みは、大量のデータを分析し、継続的に学習・進化するAIの特性を想定して設計されていません。AI Airlockのような先進的な取り組みから学ぶことは、日本の医療AI規制の発展にとっても重要な示唆を与えてくれるでしょう。
【用語解説】
規制サンドボックス
新技術や新規サービスを規制当局の監督下で実験的にテストできる制度のこと。従来の規制の枠組みでは評価が困難な革新的な技術について、限定的な環境で実証実験を行い、リスクを管理しながら規制の在り方を検討できる。
AI as a Medical Device (AIaMD)
AIを活用した医療機器のこと。診断支援、治療計画の立案、患者モニタリングなど、医療における判断や治療に直接関わるAIシステムを指す。従来の医療機器とは異なり、継続的に学習・進化する特性を持つため、新たな規制アプローチが必要とされている。
合成データ(Synthetic Data)
実際の患者データではなく、コンピュータによって生成されたデータ。実データの統計的特性を模倣しながら、プライバシーリスクを低減できる。ただし、設計が不適切な場合はバイアスを導入するリスクもある。
AIハルシネーション
AIが誤った情報や無意味な情報を、あたかも正確であるかのように生成する現象。特に大規模言語モデル(LLM)で問題となる。医療分野では患者の安全に直結するため、ハルシネーションを検出・防止する仕組みが重要である。
Retrieval-Augmented Generation (RAG)
検証済みの知識ベースから情報を検索し、それをもとにAIが回答を生成する技術。信頼できる情報源のみを参照することで、AIハルシネーションのリスクを低減できる。
AIドリフト
AIモデルの性能が時間とともに劣化する現象。臨床環境の変化、入力データの変化、人間とコンピュータの相互作用の変化などによって発生する。継続的なモニタリングが必要である。
【参考リンク】
【参考動画】
MHRAが2025年6月19日に実施したAI Airlockパイロットおよび第二段階に関する公式ウェビナー。プログラムの詳細と進捗状況を解説。
【参考記事】
【編集部後記】
AI医療の規制は、技術革新と患者安全の微妙なバランスを取る難題です。英国のAI Airlockプログラムは、規制当局とイノベーターが対立するのではなく、協力して未来を創る新しいモデルを示しています。数週間かかっていた検査結果が数分で得られる未来は、もはや夢物語ではありません。しかし、その実現には安全性の担保が不可欠です。日本でも医療AIの導入が加速する中、英国の先進的な取り組みから学べることは多いはずです。みなさんは、AIによる医療の変革をどのように捉えていますか。期待と不安、両方の視点から一緒に考えていきたいと思います。