ナノボディが脳疾患治療に革命|統合失調症モデルで認知機能改善を実証

ナノボディが脳疾患治療に革命|統合失調症モデルで認知機能改善を実証 - innovaTopia - (イノベトピア)

フランス国立科学研究センターのPierre-André Lafon氏らの研究チームは、Trends in Pharmacological Sciences誌において、ラクダ科動物由来のナノボディが脳疾患治療の新しいパラダイムとなる可能性を論じた。

ナノボディは従来のIgG抗体の約10分の1のサイズ(15kDa)で、重鎖抗体由来の単一ドメイン抗体である。統合失調症モデルにおいて、mGlu2受容体を選択的に活性化する二価ナノボディが末梢投与後に脳に侵入し、皮質および海馬領域に蓄積して認知パフォーマンスを回復させた。治療効果は1週間以上持続し、従来のmGlu2/3アゴニストを上回る結果を示した。アルツハイマー病ではAβとタウを標的とするナノボディの開発が進んでいる。

現在、ナノボディおよび関連技術の医薬品として末梢疾患に対して承認されているのはカプラシズマブ、オゾラリズマブ、シルタカブタゲンオートルイセル、エンバフォリマブの4種類のみという限定的な状況である。脳浸透メカニズムの解明と長期安全性評価が今後の課題となる。

From: 文献リンクNanobodies: a new paradigm for brain disorder therapies

【編集部解説】

今回の論説が脳科学とバイオテクノロジーの世界で注目される理由は、長年「不可能」とされてきた治療アプローチが現実のものとなりつつあるからです。血液脳関門という強固な防御壁を突破し、脳内の特定受容体を標的とする治療法は、これまで無数の製薬企業が挑戦しては挫折してきた難題でした。

ナノボディの最大の革新性は、そのサイズにあります。従来のIgG抗体が150kDaであるのに対し、わずか15kDaという小ささは、60kDa程度までのタンパク質が通過可能とされる有窓血管を利用可能にします。これは満腹ホルモンであるレプチンが脳に到達する経路と同様のメカニズムと考えられており、自然な生理学的経路を活用した賢明な戦略といえるでしょう。

統合失調症治療におけるDN13-DN1ナノボディの成果は、特筆すべき画期的なものです。このナノボディは、末梢投与後の脳内濃度が血中濃度の約0.1%程度であったにもかかわらず、認知機能と感覚運動ゲーティングの改善を7日間持続させました。既存のmGlu2/3アゴニストであるLY379268が24時間以内に効果が消失するのと比較すると、治療利便性の大幅な向上が期待されます。

さらに重要なのは、このナノボディが正のアロステリックモジュレーターとして機能する点です。天然のグルタミン酸が存在する時のみ受容体活性を増強するため、生理学的なシグナル伝達のリズムを尊重し、受容体の脱感作を回避できる可能性があります。これは従来の直接的な受容体アゴニストが抱えていた、過剰刺激による副作用リスクを軽減する設計思想といえます。

アルツハイマー病領域でも進展が見られます。FDA承認済みの抗Aβ抗体療法がアミロイド関連画像異常(ARIA)という深刻な副作用を引き起こすのに対し、Fcドメインを欠くナノボディは免疫応答の惹起が少ないと予想されます。複数の研究グループが、タウの異常な凝集初期段階であるオリゴマーを特異的に認識するナノボディの開発に成功しており、診断から治療への展開が視野に入りつつあります。

一方で、課題も存在します。ナノボディの血中半減期は極めて短く、マイクロダイアリシス研究では一部のナノボディでT1/2が約20分との報告もあります。現在承認されている4つの医薬品のうち、厳密な意味でのラクダ科由来ナノボディ医薬品はカプラシズマブとオゾラリズマブであり、これらは血清アルブミン結合ドメインの付加といった技術によりこの短い半減期という課題を克服しています。シルタカブタゲンオートルイセルは標的認識部分にナノボディの技術を利用したCAR-T細胞療法であり、医薬品としては細胞医薬品に分類されます。エンバフォリマブは、ラクダ科由来ではありませんが、同じく低分子な単一ドメイン抗体に分類されるPD-L1阻害薬です。

脳への浸透メカニズムの完全な解明も待たれます。有窓血管を介した経路のほか、受容体媒介トランスサイトーシス(RMT)、吸着媒介トランスサイトーシス(AMT)、さらには神経炎症などの病理学的条件下での血液脳関門の透過性亢進など、複数の経路が提唱されていますが、どの経路が主要なのか、個々のナノボディでどう異なるのかは未解明です。

長期安全性の評価も不可欠です。ヒト化や免疫原性試験、反復投与での毒性評価など、GMP基準でのデータ蓄積が臨床応用への必須ステップとなります。

それでも、この技術が開く未来は明るいといえます。AI支援による迅速なナノボディ設計、翻訳後修飾を必要としない簡便な製造プロセス、広範な脳受容体への応用可能性は、パーキンソン病や脳腫瘍を含む多様な脳疾患への展開を予感させます。低頻度の末梢投与で脳内標的に作用する免疫療法という新しいパラダイムが、精神・神経疾患治療に革命をもたらす日は、そう遠くないかもしれません。

【用語解説】

ナノボディ(VHH)
ラクダ科動物(ラマ、アルパカ、ラクダなど)が持つ重鎖抗体の可変領域のみで構成される単一ドメイン抗体。通常の抗体(150kDa)の約10分の1のサイズ(15kDa)で、高い安定性と組織浸透性を持つ。軽鎖を欠き、Fcドメインも持たないため免疫反応を起こしにくい特徴がある。

血液脳関門(BBB)
脳の毛細血管を構成する内皮細胞が形成する選択的透過バリア。有害物質や病原体が脳内に侵入するのを防ぐ一方で、多くの治療薬の脳内到達も妨げている。分子量が大きい物質や親水性物質は通過しにくい。

mGlu2受容体
代謝型グルタミン酸受容体の一種で、Gタンパク質共役受容体(GPCR)ファミリーに属する。主にシナプス前膜に存在し、グルタミン酸放出を抑制する役割を持つ。統合失調症の認知機能障害との関連が指摘されている。

アロステリックモジュレーター
受容体の活性部位(オルソステリック部位)ではなく、別の部位に結合して受容体の機能を調節する物質。内因性リガンドの生理学的シグナル伝達を維持しながら、その効果を増強または減弱させることができる。

アミロイド関連画像異常(ARIA)
アルツハイマー病の抗アミロイドβ抗体療法で生じる副作用。脳浮腫(ARIA-E)や微小出血・ヘモジデリン沈着(ARIA-H)として現れ、MRI検査で検出される。抗体が脳内のアミロイド斑に結合して免疫反応を引き起こすことが原因とされる。

トランスサイトーシス
細胞が物質を取り込み、細胞内を通過させて反対側へ放出する輸送メカニズム。血液脳関門を通過する主要な経路の一つで、受容体媒介型(RMT)と吸着媒介型(AMT)がある。

有窓血管
内皮細胞に小さな穴(窓)が開いている毛細血管。脳の一部領域(脈絡叢、正中隆起、下垂体など)に存在し、60kDa以下の物質が通過できる。ナノボディの脳内到達経路の一つと考えられている。

GMP(適正製造規範)
医薬品の製造管理と品質管理に関する国際基準。製品の安全性、有効性、品質を保証するための製造プロセス、設備、文書管理などの要件を定めている。臨床試験や承認申請にはGMP基準で製造された物質が必要となる。

LY379268
既存のmGlu2/3受容体アゴニスト。統合失調症治療薬として研究されているが、効果持続時間が24時間以内と短い。

【参考リンク】

Trends in Pharmacological Sciences(Cell Press)(外部)
Cell Pressが発行する薬理学分野の査読付き学術誌。最新研究動向を解説する論説や総説を掲載する権威ある専門誌である。

Institut de Génomique Fonctionnelle(IGF)(外部)
フランス国立科学研究センター傘下の機能ゲノミクス研究所。神経科学やシグナル伝達、受容体機能の研究を行う今回の論説著者らの所属機関。

【参考記事】

Nature – Nanobody therapy rescues behavioural deficits of NMDA receptor hypofunction(外部)
統合失調症モデルマウスにおけるナノボディの治療効果を報告した原著論文。mGlu2受容体標的ナノボディDN13-DN1の画期的研究。

Llama-derived nanobodies restore cognition in schizophrenia models(外部)
DN13-DN1ナノボディが統合失調症モデルマウスで認知機能を改善した研究を報じる。7日間効果持続し既存薬を大きく上回った点を強調。

Tiny antibodies cross the blood-brain barrier and improve memory(外部)
トロント大学による血液脳関門を通過するナノボディ研究の紹介。従来は不可能とされた脳内到達が実現し記憶機能改善の可能性を示す。

Next-Generation Anti-TNFα Agents: The Example of Ozoralizumab(外部)
承認済みナノボディ医薬品オゾラリズマブの開発経緯を解説。血清アルブミン結合ドメインの付加により半減期を延長した事例を報告。

Generation of nanobodies with conformational specificity for tau oligomers(外部)
アルツハイマー病のタウオリゴマーに特異的なナノボディOT2.4とOT2.6の開発を報告。患者脳サンプル中のタウオリゴマーを認識する。

【編集部後記】

脳疾患の治療が「血液脳関門」という壁に阻まれてきた歴史を思うと、ナノボディという小さな分子が新しい扉を開きつつある今、私たちは歴史的な転換点に立ち会っているのかもしれません。

統合失調症やアルツハイマー病で苦しむ方々にとって、この治療法が実現すれば生活の質は大きく変わるはずです。皆さんは、このような革新的な治療法が実用化されるまでに、どのような課題が最も重要だと感じますか?安全性の確保でしょうか、それとも製造コストの削減でしょうか。こうした技術が未来にどのような可能性をもたらすのか、皆さんと一緒に考えていきたいと思っています。

投稿者アバター
omote
デザイン、ライティング、Web制作を行っています。AI分野と、ワクワクするような進化を遂げるロボティクス分野について関心を持っています。AIについては私自身子を持つ親として、技術や芸術、または精神面におけるAIと人との共存について、読者の皆さんと共に学び、考えていけたらと思っています。

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