テキサス州オースティンに拠点を置くニューロテック企業Phantom Neuroは11月24日、上肢切断者を対象とした患者登録システムを正式に開始した。この登録は患者、臨床医、リハビリテーション専門家を対象に、今後の臨床試験や早期アクセスプログラムへの参加機会を提供する。
同社が開発するPhantom Xは低侵襲性ニューラルインターフェースで、外来手術により皮膚直下に埋め込まれ、義肢やロボット装置の直感的な制御を可能にする。同プラットフォームは11の手と手首の動作においてリアルタイムジェスチャーを94%の精度でデコードすることが実証されている。
Phantom Neuroは2025年3月にFDA画期的医療機器指定を獲得し、4月のシリーズA資金調達ラウンドで19ミリオンドルを調達、総資金調達額は28ミリオンドルに達した。
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Phantom Neuro opens patient registry ahead of planned neural interface studies
【編集部解説】
Phantom Neuroの患者登録開始は、ニューラルインターフェース技術が研究室から実用化へと大きく前進する転換点を示しています。この動きの背後には、従来のアプローチとは根本的に異なる技術戦略があります。
多くの企業が脳に直接電極を埋め込むブレイン・コンピュータ・インターフェース(BCI)の開発に注力する中、Phantom Neuroは筋肉信号に着目した「末梢神経インターフェース」という異なる道を選択しました。この技術は、切断された腕に残存する筋肉が発する電気信号を読み取り、それを義肢の動きに変換します。脳や深部神経への手術が不要で、皮膚直下への埋め込みという低侵襲な手法を採用している点が最大の特徴です。
この技術的選択は、スケーラビリティの観点から極めて戦略的です。脳への電極埋め込みには高度に専門化された神経外科医が必要で、全身麻酔や長期入院を伴います。一方、Phantom Xの埋め込みは外来手術で完結し、全米で7万人以上の外科医が実施可能とされています。つまり、同じような技術を必要とする患者数に対して、提供できる医療インフラの規模が桁違いに大きいのです。
ASCENT研究で実証された94%の精度は、11種類の手と手首の動作をリアルタイムでデコードできることを意味します。しかも、この数値は表面センサーを使った非理想的な条件下で達成されたもので、実際の埋め込みデバイスではさらに高い精度が期待されます。これは単なる技術的成果ではなく、義肢が「第二の腕」として機能する可能性を示唆しています。
FDAから画期的医療機器指定とTAP指定の両方を獲得した事実も重要です。TAPは特に選択的なプログラムで、FDAとの早期かつ戦略的なコミュニケーションを可能にし、商用化への道を大きく加速させます。今回の患者登録は、この規制当局との対話の成果として、臨床試験への準備が整いつつあることを示しています。
テキサス州全域の切断者支援団体との協議も進んでおり、単に技術を開発するだけでなく、実際に使用する当事者コミュニティとの関係構築を重視している姿勢が見て取れます。多様な参加者を集めることで、様々な切断レベルや生活環境に対応できる汎用性の高いシステムへと進化させる意図があるでしょう。
投資面では、義肢業界のリーダーであるOttobockが主導する形で1900万ドルを調達し、累計資金調達額は2800万ドルに達しました。Ottobockの参画は、単なる資金提供以上の意味を持ちます。同社は100年以上の義肢開発の歴史を持ち、世界135カ国で事業を展開する業界最大手です。彼らが取締役会に参加することで、Phantom Neuroは製造、流通、リハビリテーションプロトコルなど、商用化に必要なエコシステム全体へのアクセスを獲得したことになります。
しかし、課題も存在します。長期的な生体適合性、デバイスの耐久性、個人差への対応、そしてコストの問題です。現時点では臨床試験前の段階にあり、実際の患者での安全性と有効性の検証はこれからです。また、義肢本体との統合や、日常生活での実用性の実証も必要となります。
それでも、Phantom Neuroのアプローチは、ニューロテクノロジーの民主化という観点から注目に値します。脳インターフェースが一部の患者に限定される可能性がある中、筋肉ベースのシステムは遥かに多くの人々にアクセス可能な選択肢となり得ます。上肢切断者は世界で数百万人に上り、その多くが既存の義肢に満足していないか、全く使用していないという現実があります。
今後数年間で臨床試験が進展し、2020年代後半には商用化が見込まれます。もしPhantom Xが成功すれば、その影響は義肢制御にとどまらず、エクソスケルトン、車椅子、さらには産業用ロボットの制御など、人間と機械のインターフェース全般に波及する可能性があります。人類進化の文脈で言えば、これは身体の拡張という新しい段階への入り口と言えるでしょう。
【用語解説】
ニューラルインターフェース(神経インターフェース)
神経系から発せられる電気信号を読み取り、それを外部デバイスの制御信号に変換する技術の総称である。脳、神経、筋肉など、様々な部位からの信号を利用する手法がある。
ブレイン・コンピュータ・インターフェース(BCI)
脳に電極を埋め込むか、頭皮上に装着して脳波を直接読み取り、コンピュータやロボットを制御する技術である。高精度だが、脳外科手術が必要で侵襲性が高い。
末梢神経インターフェース
脳ではなく、腕や脚などの末梢部に残存する神経や筋肉の信号を読み取る技術である。Phantom Neuroのアプローチはこれに分類され、筋肉信号(筋電図)を利用する。
FDA画期的医療機器指定(Breakthrough Device Designation)
米国食品医薬品局(FDA)が、既存の治療法よりも大幅な改善をもたらす可能性のある医療機器に与える指定である。規制審査の迅速化が図られる。
TAP指定(Targeted Acceleration Pathway)
FDAの医療機器アクセラレータープログラムの一環で、より選択的な指定である。FDAとの早期かつ戦略的なコミュニケーションを可能にし、商用化への道を加速する。
低侵襲(Minimally Invasive)
外科手術において、体への負担や損傷を最小限に抑える手法である。Phantom Xは皮膚直下への埋め込みで済み、脳や深部神経への手術が不要な低侵襲デザインを採用している。
ASCENT研究(Array-Based Prosthesis Control System Study)
Phantom Neuroが実施した臨床研究で、Phantom Xプラットフォームが11種類の手と手首の動作を94%の精度でリアルタイムにデコードできることを実証した。
ファントムリム(幻肢)
切断後も失った手足がまだ存在するかのように感じる現象である。これは残存する神経終末が信号を発し続けているためで、Phantom Neuroはこの信号を読み取って義肢制御に活用する。
【参考リンク】
Phantom Neuro公式サイト(外部)
テキサス州オースティンに拠点を置く神経インターフェース技術企業。低侵襲な筋肉ベースの制御システムPhantom Xを開発。
Phantom Neuro Patient Registry(外部)
上肢切断者、臨床医、リハビリ専門家が臨床試験や早期アクセスプログラムに登録できる患者登録システム。
Ottobock公式サイト(外部)
ドイツ本社の義肢・装具・エクソスケルトン技術の世界的リーダー。Phantom NeuroのシリーズA調達を主導した。
Johns Hopkins University School of Medicine(外部)
米国メリーランド州の医学教育・研究機関。Phantom Neuroの技術は同大学の形成・再建外科から誕生した。
Blackrock Neurotech(外部)
ブレイン・コンピュータ・インターフェース技術の業界リーダー。Phantom Neuroの研究開発パートナー兼投資家。
FDA Breakthrough Devices Program(外部)
米国FDAの画期的医療機器プログラム。既存治療法より大幅改善をもたらす機器の開発と審査を加速する制度。
【参考記事】
Phantom Neuro Officially Opens Patient Registry(外部)
患者登録システム正式開始のプレスリリース。筋肉ベース技術の詳細と臨床試験計画を説明。
Phantom Neuro Secures $19M Series A Funding(外部)
2025年4月の資金調達発表。Ottobock主導で総額28Mドルに達した経緯とFDA指定の詳細を報告。
Phantom Neuro grabs $19M to help amputees(外部)
TechCrunchによる企業分析。創業者グラス博士の経歴と94%精度を達成したASCENT研究を詳述。
Blackrock and Phantom Neuro Partnership(外部)
2022年の提携発表。皮膚下センサーが筋肉信号を検出しワイヤレス送信する技術の仕組みを解説。
Emerging technologies: Phantom Neuro(外部)
グラス博士インタビュー。筋肉ベースと脳インターフェースの技術的差異、スケーラビリティを詳細解説。
Phantom Neuro Receives FDA Designations(外部)
2025年3月のFDA指定獲得発表。画期的医療機器とTAP両指定による規制承認加速を報告。
From Lab to Life: Phantom Neuro(外部)
公式ブログ。10分キャリブレーションで手首機能85%回復目標、7万人以上の外科医が実施可能と説明。
【編集部後記】
Phantom Neuroの患者登録開始は、研究室での成果が実際の患者さんのもとへ届く大きな一歩です。
脳ではなく筋肉信号に着目したアプローチは、より多くの人にアクセス可能な技術として注目されます。みなさんは、このような身体拡張技術が普及した未来をどう想像されますか?技術的なブレークスルーだけでなく、当事者コミュニティとの対話を重視する姿勢にも、人間中心の技術開発のあり方が見えてきます。
私たち編集部も、この技術が実際の臨床試験でどのような成果を示すのか、引き続き注目していきたいと思います。
























