ジョンズ・ホプキンス大学のHyungbae Kwon准教授が率いる研究チームが、ニューロン間を接続する新たな神経接続のネットワークを発見し、2025年10月初旬にScience誌で発表した。
研究チームはマウスとヒトの脳皮質の電子顕微鏡画像を分析し、長さが平均で約3マイクロメートル(最大30マイクロメートル)、厚さ数百ナノメートルのチューブ状の構造を特定した。
これは従来知られていたトンネリングナノチューブ(TNT)が10マイクロメートル以上であるのに対し、両端が閉じている(閉鎖端構造を持つ)点で異なり、樹状突起ナノチューブ(DNT)と命名された。
超解像顕微鏡と機械学習を用いた解析により、DNTはカルシウムイオンの転送を介して電気信号を伝達し、アルツハイマー病に関連するアミロイドベータタンパク質を細胞間で輸送することが確認された。ナノチューブ形成阻害剤サイトカラシンDの投与により、この転送が停止することも実証された。
From: Neurons can communicate via hidden network of nanotubes, study finds
【編集部解説】
今回の発見が画期的なのは、1世紀以上にわたって神経科学の中心にあった「シナプス」という通信手段とは全く異なる経路が見つかった点です。シナプスは神経伝達物質を介した化学的な信号伝達ですが、DNTは物理的なトンネルを通じた直接的な物質輸送を可能にします。
従来知られていたトンネリングナノチューブ(TNT)は、2004年にドイツの研究チームがラットの腎臓細胞で発見して以来、がん細胞やミクログリア(脳の免疫細胞)など様々な細胞で確認されてきました。しかし、ニューロン同士を直接結ぶナノチューブの存在は長らく謎のままでした。樹状突起が複雑に絡み合っているため観察が困難だったのです。
ジョンズ・ホプキンス大学のHyungbae Kwon准教授が主導し、東京大学のShigeo Okabe教授らも参加した国際研究チームが特定したDNTは、従来のTNTとは構造的に異なります。TNTが10マイクロメートル以上で両端が開放されているのに対し、DNTは平均して約3マイクロメートルと短く、閉鎖端構造を持っています。この発見には、超解像顕微鏡と機械学習による画像解析という最先端技術が不可欠でした。
特に注目すべきは、アルツハイマー病との関連性です。研究チームは、APP/PS1マウス(アルツハイマー病モデルマウス)の内側前頭前野において、アミロイド斑が形成される前にDNTの密度が増加することを発見しました。これは、DNTがアルツハイマー病の初期段階から病理に関与している可能性を示唆します。
アミロイドベータの細胞間伝播については、従来はシナプスを介した拡散が主な経路と考えられてきました。しかしDNTを通じた直接的な輸送経路の存在は、なぜアルツハイマー病が脳内の特定領域から広がっていくのかを説明する新たな手がかりとなります。
ただし、ケンブリッジ大学の英国認知症研究所に所属するDavid Rubinsztein博士が指摘するように、実験で使用されたアミロイドベータは細胞内を自由に移動できる状態でした。実際の脳内では、アミロイドベータの多くはオルガネラ(細胞小器官)の膜に包まれているため、今後はより生理学的な条件での検証が必要です。
この発見のポジティブな側面として、神経変性疾患の新たな治療標的が見つかった点が挙げられます。サイトカラシンDのようなナノチューブ形成阻害剤が、病的タンパク質の拡散を抑制できる可能性があります。一方で、DNTは正常な神経通信にも関与している可能性があり、単純に阻害すれば良いというわけではありません。
実際、ミクログリアとニューロン間のTNTは、ミトコンドリアを損傷したニューロンに送り届ける「救済メカニズム」としても機能することが報告されています。DNTにも同様の保護的役割があるかもしれません。
今後の研究では、タウタンパク質など他の神経変性疾患関連タンパク質の輸送や、DNTの形成メカニズムの解明が期待されます。脳内でどの程度普遍的に存在するのか、どのような条件で形成・分解されるのかといった基礎的な問いにも答えが求められています。
【用語解説】
シナプス
ニューロン間で情報を伝達する接合部。神経伝達物質と呼ばれる化学物質を介して信号を伝える。1世紀以上にわたって神経科学の中心的研究対象となっている。
樹状突起(dendrite)
ニューロンの細胞体から伸びる分岐した突起。他のニューロンからの信号を受け取る役割を持つ。複雑に絡み合った構造を形成するため、微細な構造の観察が困難である。
トンネリングナノチューブ(TNT)
2004年にドイツの研究チームが発見した細胞間を結ぶ微小なチューブ構造。長さ10マイクロメートル以上、直径は1マイクロメートル以下で、オルガネラやタンパク質の細胞間輸送を可能にする。がん細胞、免疫細胞など様々な細胞タイプで確認されている。
樹状突起ナノチューブ(DNT)
今回Kwon准教授らが発見した新たなナノチューブ構造。従来のTNTと異なり、長さ約3マイクロメートルと短く、閉鎖端構造を持つ。ニューロンの樹状突起同士を直接接続する。
超解像顕微鏡
従来の光学顕微鏡の解像度限界(約200ナノメートル)を超える観察を可能にする技術。今回の研究ではdSRRF(direct Stochastic Optical Reconstruction Microscopy)法が使用された。
アミロイドベータ(Aβ)
アルツハイマー病の発症に関与するとされるタンパク質。脳内に蓄積して凝集し、神経細胞にダメージを与える。細胞外に沈着する老人斑と、細胞内に蓄積する形態の両方が知られている。
サイトカラシンD
アクチンフィラメントの重合を阻害する化学物質。ナノチューブの形成を抑制する効果があり、実験的にナノチューブの機能を検証する際に使用される。
ミクログリア
脳内に存在する免疫細胞。神経細胞の保護、損傷した細胞の除去、炎症反応の調整などを行う。近年、ミクログリアとニューロン間のTNTが発見され、脳の健康維持に重要な役割を果たすことが示されている。
APP/PS1マウス
アルツハイマー病の研究に使用される遺伝子改変マウスモデル。ヒトのアミロイド前駆体タンパク質(APP)とプレセニリン1(PS1)の変異遺伝子を持ち、若齢でアミロイド斑を形成する。
タウタンパク質
アルツハイマー病やその他の神経変性疾患に関与するタンパク質。正常な状態では微小管の安定化に関わるが、異常にリン酸化されると凝集し、神経原線維変化を形成する。アミロイドベータより分子サイズが大きい。
【参考リンク】
Kwon Lab(ジョンズ・ホプキンス大学)(外部)
Hyungbae Kwon准教授が率いる神経科学研究室の公式サイト。シナプス形成の細胞メカニズム、神経回路と行動の関係、認知学習の細胞レベルでの解明などを研究テーマとしている。
Johns Hopkins Neuroscience – Hyungbae Kwon(外部)
ジョンズ・ホプキンス大学医学部神経科学部門におけるKwon准教授のプロフィールページ。研究テーマ、発表論文、研究室の活動内容などが掲載されている。
Science誌 原著論文(外部)
今回の研究成果が掲載されたScience誌の原著論文。樹状突起ナノチューブ(DNT)の発見とその特徴、アルツハイマー病との関連について詳細なデータが記載されている。
Medical Xpress記事(外部)
今回の研究を報じる医療系ニュースサイトの記事。DNTの発見の経緯やアルツハイマー病との関連について、わかりやすく解説されている。
【参考記事】
Intercellular communication in the brain through a dendritic nanotubular network(外部)
Science誌に掲載された原著論文。ジョンズ・ホプキンス大学のKwon准教授と東京大学のOkabe教授らによる国際共同研究。マウスとヒトの脳皮質において、長さ約3マイクロメートル、直径数百ナノメートルのDNTを発見した。
Scientists identify a new dendritic nanotubular network in the brain(外部)
Medical Xpressによる報道記事。DNTが従来のTNTとは異なる新しいタイプのナノチューブであることを解説。超解像顕微鏡と電子顕微鏡を用いてマウスとヒトの脳組織でDNTを特定した。
Mechanisms of tunneling nanotube-based propagation(外部)
神経変性疾患における病的タンパク質凝集体のTNTを介した伝播メカニズムに関するレビュー論文。アルツハイマー病、パーキンソン病などでミスフォールドタンパク質がTNTを通じて細胞間伝播することを解説している。
Tunneling nanotubes between neuronal and microglial cells(外部)
ニューロンとミクログリア間のTNTがα-シヌクレインとミトコンドリアを双方向に転送することを報告した2023年の論文。TNTが病的タンパク質の拡散だけでなく、損傷したニューロンへのミトコンドリア供給という保護的役割も持つことを示している。
Intercellular Communication in the Brain Through Tunneling Nanotubes(外部)
2022年のレビュー論文。脳内のTNTを介した細胞間コミュニケーションについて包括的に解説。TNTの構造的特徴、形成メカニズム、神経疾患における役割について詳述している。
Unveiling tunneling nanotube biology and their roles in brain disorders(外部)
2025年3月に発表されたTNTの生物学と脳疾患における役割に関する最新レビュー。TNTの発見から現在までの研究進展を総括し、アルツハイマー病、パーキンソン病、脳腫瘍などにおけるTNTの関与を詳細に論じている。
Tunneling Nanotube–like Connections in the Developing Cerebellum(外部)
2025年8月に発表された発達中の小脳におけるTNT様構造に関する研究。生後7日のマウスの外顆粒層でTNT様構造を観察し、細胞分裂とは独立して形成されることを確認。脳発達におけるナノチューブの役割を示唆している。
【編集部後記】
脳内に隠されていたナノチューブという新しい通信経路の発見は、私たちが「脳を理解した」と思っていたことが、まだほんの入り口に過ぎないことを示しているように感じます。シナプス以外の伝達経路があるということは、神経疾患の治療戦略も根本から見直す必要があるかもしれません。
日米の国際共同研究によって明らかになった今回の成果は、アルツハイマー病をはじめとする神経変性疾患の研究に新たな視点をもたらします。この発見が将来どのような治療法につながっていくのか、皆さんはどう考えますか。一緒に未来の医療の可能性を見守っていきたいと思います。