東北大学の高橋和貴准教授が、核融合反応炉で使用されるカスプ型磁場を応用した革新的な双方向プラズマ推進器を開発した。
この推進器は宇宙デブリに向けてプラズマビームを照射して減速させる一方、反対方向にも等量のプラズマを噴射することで推進器自体の位置を維持する。従来の直進型磁場システムと比較して20パーセントの性能向上を実現し、同一電力レベルで17.1ミリニュートンの推力を生成した。
電力を5キロワットに上げた場合は約25ミリニュートンの減速力を達成し、これは1トンのデブリを100日間で軌道離脱させるのに必要とされる30ミリニュートンのレベルに近づく。燃料には従来のキセノンより安価なアルゴンを使用できる。実験は真空チャンバー内で推進器を標的から30センチメートル離して実施された。
研究成果は2025年8月20日にScientific Reports誌に掲載され、9月上旬に東北大学が正式発表した。
From: A Fusion-Reactor-Inspired Thruster Could Deorbit Space Junk
【編集部解説】
宇宙デブリ問題は2025年現在、人類にとって極めて現実的な脅威となっています。欧州宇宙機関(ESA)の最新データでは、10センチメートル以上の追跡可能なデブリが約40,000個、1〜10センチメートルのデブリが約100万個、1ミリメートル以下の微細デブリに至っては1億3000万個以上が地球軌道上に存在するとされています。
これらの数字が示すのは、まさにケスラー症候群の現実化が迫っていることです。特に問題となるのが、直径1ミリメートルの微細デブリでさえ71ジュールものエネルギーを持ち、衛星に致命的な損傷を与える可能性があることです。秒速17,000キロメートルで飛行するデブリは、文字通り「宇宙の弾丸」として機能します。
【従来技術の限界を打破する双方向システム】
高橋和貴教授の双方向プラズマ推進技術が注目される理由は、従来の接触型デブリ除去システムの根本的な問題を解決する可能性があることです。接触型システムは制御不能に回転するデブリに物理的に接近する必要があり、逆にデブリを拡散させるリスクを抱えています。一方、レーザーやイオンビームを使った既存の非接触システムは、ニュートンの第三法則により推進器自体が標的から離れてしまう問題がありました。
この技術の画期的な点は、核融合反応炉で使用されるカスプ型磁場を応用したことにあります。カスプ型磁場とは、対向する2つの磁場が交わる点で、この構造によりプラズマをより効率的に制御できる特性があります。これにより従来システムから大幅な性能向上を実現し、1トンのデブリを100日間で軌道離脱させるのに必要な30ミリニュートンの推力に近い25ミリニュートンを達成しました。
【急成長する宇宙デブリ除去市場】
経済的な側面も重要です。宇宙デブリ監視・除去市場は2025年に11.4億ドル、2030年には16.8億ドル規模に成長すると予測されており、年平均成長率は8.09パーセントです。特にアジア太平洋地域では11.90パーセントの高成長が見込まれています。
しかし、この技術にも課題があります。実験は真空チャンバー内で30センチメートルの距離で行われましたが、実際の宇宙環境では数メートルの距離が必要になります。また、双方向噴射により燃料消費が2倍になる問題もあります。
【宇宙活動の持続可能性への貢献】
長期的な視点では、この技術は宇宙の持続可能性に大きく貢献する可能性があります。現在、衛星は運用終了後5年以内の軌道離脱が国際ガイドラインで定められていますが、実際の遵守率は低く、強制的な除去システムの必要性が高まっています。高橋教授の技術が実用化されれば、人類の宇宙活動の継続性を保つ重要な手段となるでしょう。
【用語解説】
ケスラー症候群
1978年にNASAの科学者ドナルド・ケスラーが提唱した理論で、宇宙デブリが連鎖的に衝突し、さらに多くのデブリを生成することで特定の軌道が使用不可能になる現象である。
カスプ型磁場
核融合反応炉で使用される磁場配置の一種で、対向する2つの磁場が交わる点において、プラズマをより効率的に制御できる特性を持つ特殊な磁場配位である。
低地球軌道(LEO)
地上から約160キロメートルから2,000キロメートルの高度にある軌道で、国際宇宙ステーションや多くの人工衛星が運用されている。
プラズマ推進器
電気的にイオン化されたガス(プラズマ)を高速で噴射することで推力を得る推進システムで、従来の化学燃料推進器より効率が高い。
軌道離脱
人工衛星や宇宙デブリが軌道を離れ、地球大気圏に再突入して燃え尽きる過程である。
【参考リンク】
東北大学プラズマ力学推進研究室(外部)
高橋和貴准教授が主宰する研究室の公式サイト。プラズマ力学と宇宙推進装置の研究について詳細な情報を提供している。
欧州宇宙機関(ESA)宇宙環境統計(外部)
ESAが提供する宇宙デブリの最新統計データとレポート。2025年版の宇宙環境レポートも入手可能である。
【参考動画】
【参考記事】
双方向噴射型プラズマ推進機の性能を向上(外部)
東北大学による公式プレスリリース。高橋和貴准教授の研究成果について、従来の8mNから25mNへの性能向上を発表。
プラズマ噴射でスペースデブリを除去(外部)
マイナビニュースによる詳細な技術解説記事。双方向プラズマ噴射型無電極プラズマ推進機の仕組みと課題を分析。
Tohoku plasma propulsion breakthrough tackles space debris(外部)
イノベーション・ニュース・ネットワークによる英語記事。東北大学の研究が宇宙デブリ除去に革命をもたらす可能性を報告。
【編集部後記】
夜空を見上げた時、私たちの頭上を秒速17キロメートルで駆け抜けるデブリが13万個以上も存在していることを、皆さんはどう感じるでしょうか。
実は、innovaTopiaではこれまでも宇宙デブリ除去技術について継続的にお伝えしてきました。今年1月にはアストロスケール社による実用化レベルの除去技術を、7月には英国の「Active Debris Removal」プロジェクトを、そして9月上旬にはTransAstra社の「袋詰め捕獲システム」をご紹介しました。これらはいずれも接触型や従来の非接触型アプローチでした。
しかし今回の高橋教授の技術は、核融合反応炉の原理を応用した全く新しいアプローチです。過去にご紹介した技術が「宇宙でのごみ拾い」だとすれば、今回は「宇宙での風による掃除」とも言える画期的な発想です。特に注目すべきは、日本の大学研究機関発の基礎研究が、将来の実用化技術の礎となる可能性を秘めている点です。
私たち編集部も、この研究が実用化に向けてどのような課題をクリアしていくのか、そして民間企業による実証段階へとどう発展していくのか、皆さんと一緒に見守っていきたいと思います。宇宙デブリ問題の多様な解決策について、皆さんはどれが最も現実的だと考えますか?ぜひSNSで意見を聞かせてください。