11月17日【今日は何の日?】「将棋の日」——それでも人間は、指し続けた

 - innovaTopia - (イノベトピア)

11月17日は「将棋の日」です。由来は江戸時代に将軍の御前で将棋の対局が披露されたことにあります。
この将棋の伝統を祝う日に、将棋AIの登場という大きな転換点に焦点を当てます。

2017年5月20日、午後7時30分。兵庫県姫路市、姫路城。94手目、Ponanzaの勝利が確定した瞬間、佐藤天彦名人は静かに天を仰ぎました。将棋界の頂点に立つ名人が、AIに敗れたのです。それは単なる一局の結果ではありませんでした。人類の知の最前線で起きた、静かな転換点でした。

現役名人がAIに敗れた初めての日。電王戦は、この日をもって6年の歴史に幕を下ろしました。「人間 vs コンピュータ」という構図は、もはや成立しなくなったのです。

その後、将棋界はどう変わったのでしょうか。

人間とAIの、6年間の対話

電王戦は2012年に始まりました。引退棋士の米長邦雄永世棋聖がボンクラーズに敗れたのが最初の衝撃でしたが、当時はまだ「現役プロには勝てない」という空気がありました。しかし2013年以降、5対5の団体戦でAIは次々とプロ棋士を破っていきます。棋士たちは事前にソフトを研究し、対策を練りましたが、AIの成長速度はそれを上回りました。

そして2017年。第2期叡王戦を勝ち上がった佐藤天彦名人と、第4回電王トーナメント優勝のPonanzaが、二番勝負で対決しました。10年ぶりの、現役タイトルホルダー対AIの対局です。Ponanza開発者の山本一成さんは「前回の電王戦バージョンに対し、今回は約9割勝てる」と語っていました。

第1局は4月1日、日光東照宮で行われ、Ponanzaが勝利。そして5月20日の第2局、姫路城での対局を迎えました。

名人が背負ったもの

対局は序盤、佐藤名人がやや優勢に進めました。しかし43手目、▲6八金右と指した瞬間、評価値がほぼ0に。Ponanzaは70手前後から大きくリードし、終盤は一方的な展開となりました。中継を見ていたプロ棋士たちも、沈黙しました。

終局後の記者会見。佐藤名人は淡々と語りました。「どこが決定的に悪かったかは分からないが、形勢を損ねていったのかもしれない」。そして静かに続けました。「名人として指すということで、ファンの応援に応えられなかったのは残念」。

将棋界の最高峰である名人位。その重みを、佐藤天彦は誰よりも理解していました。羽生善治、森内俊之らを破って叡王戦を勝ち上がり、人間の代表として盤に向かったのです。敗北は、個人の敗北ではありませんでした。それは人類の知が、自らが生み出したものに追い抜かれた瞬間でもありました。

電王戦の最終成績は、AI側の14勝5敗1引き分け。主催のドワンゴ会長・川上量生は「将棋の世界において単純に将棋プログラムと人間の優劣を競うという、そういう電王戦は佐藤名人対ponanzaの対局を以て終了したい」と述べました。開発者の山本一成さんは後に「2年前からプロ棋士はもう勝てないとわかっていた」と振り返っています。強化学習によってAIは人間の棋譜を超え、独自の境地に達していました。

名人は敗れました。しかし物語は、ここから始まったのです。

その後の将棋界——共に進化する

2017年、将棋人口は前年の530万人から700万人へと急増しました。藤井聡太の29連勝、羽生善治の永世七冠。話題に事欠きませんでしたが、もう一つの静かな革命が起きていました。プロ棋士たちが、こぞってAIを研究ツールとして使い始めたのです。

佐藤名人自身も、対局後にAI研究を深めました。豊島将之、渡辺明、永瀬拓矢——トップ棋士でAIを使っていない者はいなくなりました。かつては棋士同士の研究会で腕を磨きましたが、今や24時間対局可能なAIが最高の師となったのです。

その象徴が、藤井聡太でした。

AI世代の台頭

2002年生まれの藤井は、2016年頃、中学生の時からAI将棋ソフトを研究に取り入れていました。「局面の評価値を参考に、自分自身の局面判断の力を伸ばせた」と後に語っています。50万円の自作PCを組み、最新のAIソフト「dlshogi」を走らせ、膨大な棋譜を解析しました。

2020年6月、藤井聡太二冠(当時)は対局中、AIすら想定していなかった一手を指しました。解説の藤森哲也五段は「まず何をしているかわからない」「人類に思い浮かびますかねこの手」と驚愕しました。藤井はAIが最善手と示した「銀を捨てる手」を、長考の末に実行したのです。AIで学び、AIを超える。2025年現在、藤井聡太は八冠を独占し、将棋界の頂点に君臨しています。

AIが発見した新手は、実戦で次々と採用されました。将棋の戦術そのものが進化しました。「観る将」と呼ばれる、将棋を指さずに観戦を楽しむファン層も急増しました。AbemaTVの将棋チャンネルは、評価値をリアルタイムで表示し、AIの読み筋を解説します。プロ棋士の対局を、AIという「透視図」を通して楽しむ——新しい鑑賞の形が生まれたのです。

盤上に残り続ける問い

2017年から8年。将棋は終わりませんでした。むしろ、新しい時代が始まりました。

AIが最善手を教えてくれる時代に、なぜ人間は指し続けるのでしょうか。

【Information】

第2期電王戦 公式サイト

日本将棋連盟 公式サイト

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Satsuki
テクノロジーと民主主義、自由、人権の交差点で記事を執筆しています。 データドリブンな分析が信条。具体的な数字と事実で、技術の影響を可視化します。 しかし、データだけでは語りません。技術開発者の倫理的ジレンマ、被害者の痛み、政策決定者の責任——それぞれの立場への想像力を持ちながら、常に「人間の尊厳」を軸に据えて執筆しています。 日々勉強中です。謙虚に学び続けながら、皆さんと一緒に、テクノロジーと人間の共進化の道を探っていきたいと思います。

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