EU資金提供によるHEROESプロジェクト(2021年12月-2024年11月)は17カ国24パートナーの国際コンソーシアムで児童虐待と人身売買対策に取り組んだ。
2024年、米国行方不明・搾取児童センター(NCMEC)は児童虐待に対する2,050万件のサイバーチップライン報告を記録し、生成AI関連の通報が前年比1,325%増加した。INHOPEネットワークは250万件の児童虐待疑いレコードを処理し、前年比218%増となった。
ユーロポールは2025年2月にAI生成児童虐待コンテンツに対する初のグローバル摘発を実施し、19カ国で25人を逮捕した。HEROESは反グルーミングアプリ(AGApp)、偽求人検出器(INDOOR)、市民報告アプリなどのツールを開発し、Microsoft PhotoDNAやCSAI Matchによるハッシュマッチング技術、機械学習分類器を活用した検出システムを提案した。
プロジェクトはバルナフスモデルに基づく被害者中心の対応プロトコルと、学校・保護者・青少年サービス向けの防止策を提供している。
From: A Global AI Alliance to Stop Child Abuse and Trafficking
【編集部解説】
HEROESプロジェクトは、児童虐待と人身売買対策におけるAI技術の活用で重要な転換点を示しています。2021年12月から2024年11月にわたる約3年間で、17カ国の研究者と実務者が実用的なツールセットを開発し、理論と現場のギャップを埋めることに成功しました。
最も注目すべきは、プロジェクトが「研究のための研究」ではなく、現場の声を起点にした開発アプローチを採用したことです。法執行機関やNGOから直接ニーズを聞き取り、実際のワークフローに統合可能な形で技術を提供しました。これにより、従来のAI研究が陥りがちな「技術的には優秀だが現場で使えない」という問題を回避しています。
児童虐待の規模拡大は深刻で、NCMECの報告では2023年の3,620万件から2024年は2,050万件に見た目上減少していますが、これは報告の「バンドリング」による集約効果です。実際の調整後インシデントは2,920万件に達し、生成AI関連の報告は前年比1,325%増という驚異的な増加を記録しました。
AI技術の両面性が浮き彫りになっています。Microsoft PhotoDNAやCSAI Matchのようなハッシュマッチング技術は既知コンテンツの迅速な検出を可能にし、機械学習分類器は未知の虐待コンテンツを効率的に特定します。一方で、生成AIは「合成CSAM」の大量生産を可能にし、捜査リソースの分散や被害者特定の困難を生み出しています。
欧州のチャットコントロール議論は、プライバシー保護と児童保護の複雑なバランスを示しています。2025年秋の最終投票では、エンドツーエンド暗号化の維持と効果的な検出システムの両立という技術的・法的課題が争点となります。
教育機関と家庭の役割も重要です。HEROESが提案する「デバイス合意」「ワンタップ計画」「バルナフスモデル」は、技術的対策と人的対応を統合したアプローチを提示しています。特に、学校での60分以内の対応時間設定や、保護者向けの具体的な行動指針は実装可能性の高い防止策といえるでしょう。
長期的には、AI技術の進歩に伴い新たな脅威も出現し続けるため、継続的な技術革新と国際協力の枠組み構築が不可欠です。HEROESの成果は重要な礎石となりますが、これは始まりに過ぎません。
【用語解説】
HEROES(2021年12月-2024年11月)
EU資金提供による国際コンソーシアムプロジェクトで、児童性的虐待・搾取(CSA/CSE)と人身売買(THB)対策のための技術開発と被害者支援システムの構築を目的とする。17カ国24パートナーが参加。
バルナフス(Barnahus)
北欧起源の児童に優しい司法モデルで、一つの施設内で面接・医学検査・被害者支援を行い、児童の再トラウマ化を防ぐアプローチ。「児童の家」の意味。
ハッシュマッチング
デジタル画像や動画を独特の「指紋」に変換し、既知の児童虐待コンテンツと照合する技術。ファイルが変更されても検出可能。
セクストーション
性的な画像や動画を取得した後、それを公開すると脅迫して更なる性的コンテンツや金銭を要求する犯罪行為。
チャットコントロール
欧州委員会が提案するオンライン児童虐待対策で、メッセージを暗号化前に分析する技術。プライバシー保護との両立が議論の焦点。
デュアルレール・トリアージ
既知コンテンツのハッシュマッチングと、未知コンテンツの機械学習分類器を並行運用する検出システム。
T3(Time-to-Triage)
検出から初回対応までの時間指標。HEROESプロジェクトでは学校での60分以内の対応を推奨。
【参考リンク】
NCMEC(米国行方不明・搾取児童センター)(外部)
児童虐待・行方不明事案の報告受理と捜査支援を行う米国の非営利組織。年間数千万件のサイバーチップライン報告を処理する。
INHOPE国際ホットラインネットワーク(外部)
50カ国54のホットラインで構成される国際組織。児童虐待コンテンツの報告受理と削除要請を調整する。
ユーロポール(欧州刑事警察機構)(外部)
EU加盟国の警察協力を支援する機関。EC3(欧州サイバー犯罪センター)を通じて児童虐待対策の国際調整を実施。
INTERPOL ICSE(国際児童性的搾取画像データベース)(外部)
被害者特定のための国際データベースシステム。画像のグローバル比較により迅速な児童保護を実現。
ICMEC(国際行方不明・搾取児童センター)(外部)
児童保護の国際的な政策提言とトレーニングプログラムの提供を行う非営利組織。HEROESプロジェクトのパートナー。
【参考記事】
Technology helps halt human trafficking | HEROES Project(外部)
CORDIS(欧州委員会研究開発情報サービス)によるHEROESプロジェクトの詳細な成果報告。
Generative AI and child safety: A convergence of innovation and exploitation(外部)
オーストラリア政府のeSafety委員会による生成AIと児童安全に関する分析記事。
HEROES Project: from data to real action(外部)
国際移住政策開発センター(ICMPD)によるHEROESプロジェクトの最終成果報告。
【編集部後記】
みなさんの身近に、小さなお子さんやお孫さんがいらっしゃる方も多いのではないでしょうか。今回ご紹介したHEROESプロジェクトの成果は、技術的な側面もありますが、本質的には私たちの大切な存在を守るための取り組みです。
特に2025年秋に予定されている欧州のチャットコントロール議論は、プライバシー保護と児童保護のバランスという、私たち全員が考えるべき重要な問題を提起しています。
この問題について、みなさんはどのような立場をお持ちでしょうか。完全な監視システムと完全なプライバシー保護の間で、適切なバランス点はどこにあると思われますか。みなさんのご意見やご感想をぜひお聞かせください。