なぜ今日が世界識字デーなのか
1965年9月8日、テヘランで開催された世界文相会議において、各国が識字教育の重要性を確認し合ったことを記念して、ユネスコが1966年に制定したのが「国際識字デー(International Literacy Day)」です。この日は、全世界で約7億7000万人の成人が読み書きできない現実と向き合い、識字教育の普及を通じて人々の尊厳と権利を守ることを目的としています。
世界識字デーは単なる教育キャンペーンではありません。それは人類の知的進化における根本的な問題提起の日でもあります。文字を読み書きする能力──識字──は、人間社会の発展において決定的な役割を果たしてきました。しかし、デジタル化が進む現代において、従来の識字概念だけで十分なのでしょうか。
文字がもたらした変革の歴史
文字の発明は人類の外部記憶装置を生み出し、農耕技術の蓄積を可能にしました。16世紀の宗教改革では、識字率向上が既存権威への挑戦を促しました。一方、文字を持たない遊牧民の声は定住民の記録を通じてしか後世に伝わりません──「文字を持つ者が歴史を書く」のです。
聖書と『資本論』は、活字化された思想の力を象徴しています。これらの書籍は単なる読み物ではなく、文字通り国家を創造し、再構築する力を持っていました。書籍は思想を標準化し、遠隔地の人々を同じビジョンのもとに結集させる機能を果たすのです。
現代における「識字」の再定義
リテラシーの多層化
「識字」を意味する英語「Literacy」は、今や単純な読み書き能力を指す言葉ではありません。情報リテラシー、メディアリテラシー、デジタルリテラシー、金融リテラシー──現代社会では、文字が読めるだけでは到底対応できない複雑な「読解」が求められています。
SNSの投稿を「読める」ことと、そこに隠された政治的意図や商業的目的を「理解する」ことは全く別の能力です。契約書の文字を追うことと、その法的な効力や落とし穴を把握すること、ニュース記事を音読することと、その背景にある利害関係や偏向を読み取ることも、それぞれ異なる次元の技能なのです。
このような「○○リテラシー」という複合語の急増は、1980年代以降に顕著になりました。現代の「識字能力」とは、文字の向こう側にある文脈、意図、構造を解読する力へと拡張されています。
ハーバマスのコミュニケーション論理と識字
ドイツの哲学者ユルゲン・ハーバマスは、現代社会において理論と実践を「コミュニケーション行為」の観点から統合的に理解する道を拓きました。ハーバマスの公共圏論は、民主的な議論が可能になるためには、単に文字が読めるだけではなく、理性的な対話ができる市民が必要であることを示しています。
これこそが現代的な識字能力の核心ではないでしょうか。文字という記号を解読できることと、その文字によって構築される議論の構造や権力関係を読み解くことは、まったく異なる能力なのです。
機能的識字率という隠れた課題
ここで重要な概念が「機能的識字率」です。機能的非識字とは、日常生活において、読み書き計算を機能的に満足に使いこなせない、文字自体を読むことは出来ても、文章の意味や内容が理解出来ない状態を指します。
日本の現状は深刻です。2022年5月に発表された「2020年国勢調査」によって、最終学歴が小学校の人は約80万4,000人、小学校を卒業していない「未就学」は約9万4,000人と、「義務教育未終了者」が合計で約90万人も存在することが発覚しました。さらに、2017年の調査によれば、日本の中学生の約15%は平仮名と片仮名は読めるが、新聞や教科書の理解に支障を来しているそうです。
この問題は単なる統計ではありません。接客業の現場では、「iPhone Xか8かなんてわかんないじゃん(パッケージに書いてある)」や「説明書はいらない。今使い方教えて」といった状況が日常的に起きています。薬局では患者「説明書読むから、説明とかいいからとにかく早く渡して」数日後電話にて、 患者「この間もらった薬って、どうやって飲むの?」という事例が頻繁に報告されています。
興味深いことに、日本における識字率は現在調査されていません。最後に調査が行われたのは1955年で、識字率そのものは高かったが、機能的識字率は低い結果でした。つまり、我々は半世紀以上にわたって自国の実際の読解能力を把握していないのです。
さらに深刻なのは、この問題が経済損失に直結していることです。NGO World Literacy Foundationが2015年に公開したレポート、”The Economic & Social Cost of Illiteracy”では、日本における非識字の経済・社会的損失は年間約951億($84.21billion)に上ると推計しています。これはアメリカ($362.49billion)、中国($134.54billion)に次いで3番目の大きさです。
一方で、国際的な学力調査PISAでは、日本の読解力は全参加国・地域中で2018年15位から、2022年3位と過去最高の水準となりました。しかし、これは15歳の生徒を対象とした調査であり、成人の機能的識字能力とは別の指標です。むしろ、多くの中高生が教科書レベルの文章を正確に読解できていない実態が明らかになり、社会に大きな衝撃を与えたという、現実との乖離が問題を複雑化させています。
歴史の文脈を読む力─真の識字とは何か
抽象化された概念への対応
現代社会が要求する最も重要な能力は、抽象化された概念を受容し、操作する力です。「民主主義」「人権」「持続可能性」「グローバル化」──これらの概念は具体的な物体として存在しません。しかし、これらを理解し、議論し、実践することが現代人には不可欠です。
文字は確かにこれらの抽象概念を表現する手段です。しかし、真に重要なのは、文字の背後にある概念体系、論理構造、歴史的文脈を読み解く能力なのです。この能力こそが、21世紀の「識字」の核心といえるでしょう。
結論─文字を超えた識字へ
世界識字デーが私たちに問いかけるのは、単純に「文字が読めるか」ではありません。複雑化した現代社会において、私たちは歴史の文脈を読み、未来の可能性を解釈し、抽象的概念を操作する能力を身につけているでしょうか。
文字は確かに人類進化の重要な道具です。しかし、それは手段であって目的ではありません。真の識字とは、文字という記号系を通じて、人間社会の深層にある構造と意味を読み解く力なのです。テクノロジーが急速に発展する現代において、この「深い読解力」こそが人類の次なる進化の鍵を握っているのかもしれません。
【編集部後記】
本当に必要なのは文字を読む力ではなく、文字を通して世界を読む力
私は7年間、塾講師として多くの生徒たちと向き合ってきました。その中で最もよく受けた質問の一つが「何のために勉強をするのか」というものでした。
この問いに対して、私はいつもこんなふうに答えていました。
「世界がどのような形をしているのか、私たちは言葉で説明せざるを得ないんです。思想なら文章として、科学なら数式として、芸術なら作品として──人類はずっと、この複雑な世界を理解するためのさまざまな『言語』を作り上げてきました。君たちが今学んでいる文字や数字、そして概念は、人類が何千年もかけて蓄積してきた知的資産へのアクセス・キーなんです」
「それらを読むことができれば、先人たちが築き上げてきた膨大な知識と経験を自分のものとして活用できます。さらに大切なのは、それによって君たち自身が世界の実像を正しく捉えることができるようになることです。文字を読むのは、文字を通してこの世界を読むためなのです」
このことを別の例で説明すると、抽象画を見たことがない人にとって、ピカソやカンディンスキーの作品はただの油汚れや色の塊にしか見えないかもしれません。しかし、美術史や表現技法についてのリテラシーを身につけることで、その「油汚れ」は突然、作家の思想や時代の精神を表現した深遠な芸術作品として立ち現れるのです。同じ物理的な対象でも、それを解釈するための知識と文脈があるかどうかで、まったく違ったものに見えてきます。
今回の記事を執筆しながら、改めてこのことの重要性を感じています。識字率の向上は確かに大切ですが、それ以上に必要なのは「文字を通して世界を読む力」なのではないでしょうか。
文字は世界への扉です。しかし、扉を開けることと、その向こうにある豊かな世界を探索することは別の話です。現代を生きる私たちには、後者の力こそが求められているのかもしれません。