10月13日【今日は何の日?】時間を統一した日――1884年10月13日、人類は自らを”時計”に閉じ込めた

[更新]2025年11月22日

 - innovaTopia - (イノベトピア)

25カ国が投票した「世界時間」

1884年10月13日、午後。ワシントンD.C.の国務省外交ホールで、25カ国から集まった41名の代表たちが投票に臨んでいました。議題は「グリニッジ子午線を本初子午線として採択するか」。結果は賛成22カ国、反対1カ国(ドミニカ共和国)、棄権2カ国(フランス、ブラジル)。この瞬間、地球上のすべての場所の「時間」が、ロンドン郊外の小さな天文台を基準に決められることになりました。

なぜ人類は、太陽が真上に来る時刻が場所ごとに違うという「自然な事実」を捨て去る必要があったのか?

その背景には、鉄道事故という切実な必要性、大英帝国の覇権、そして産業資本主義による人間の「規律化」という、複雑な力学がありました。

14人の死が告げた「時間統一」の必要性

1853年8月12日、アメリカ・ニューイングランドのバレーフォールズ。同じ線路上を反対方向から走ってきた2つの列車が正面衝突し、14名が死亡しました。原因は、車掌たちの時計がずれていたこと。

1870年代のアメリカには、100以上の異なる地方時が存在していました。ニューヨーク時刻、シカゴ時刻、サンフランシスコ時刻…。それぞれの都市が太陽が真上に来る瞬間を「正午」としていたため、数キロメートル離れるだけで時刻がずれました。鉄道が大陸を横断するようになると、混乱は事故を生み、商業を阻害しました。

1883年11月18日、北米の鉄道会社は独自に4つのタイムゾーンを制定しました。この日は「2つの正午の日」と呼ばれています。多くの都市で、正午が2回訪れました。最初は地方時の正午、次に新しい標準時の正午。

イギリスでは、すでに1840年代から鉄道会社がグリニッジ平均時を採用していました。グレート・ウェスタン鉄道の時刻表には、こんな注意書きがありました。「ロンドン時刻は、レディング時刻より約4分早く、スティーブントン時刻より5分半早く、バース時刻より11分早く、ブリッジウォーター時刻より14分早い」。この混乱を解消するため、電信技術を使ってグリニッジから時刻信号が全国に配信されるようになりました。1880年には、イギリス全土でGMTが法制化されました。

誰が世界の時間を決めるのか?

1884年10月1日から22日まで開かれた国際子午線会議は、表面上は「科学的・技術的」な会議でした。しかし、その本質は権力闘争でした。

公式な理由は「世界の船舶の3分の2がすでにグリニッジ子午線を使用している」というものでした。しかし、その背後には大英帝国の圧倒的な海軍力と経済力がありました。19世紀後半、イギリスは「太陽の沈まぬ帝国」として世界の海を支配していました。航海図の大半はイギリス製で、グリニッジを基準にしていました。

フランスは激しく抵抗しました。代表のジャンセンは「子午線は絶対的に中立でなければならない」と主張し、大西洋上の中立的な子午線を提案しました。「メートル法が中立的な尺度であるように、時間の基準も中立であるべきだ」。しかし、21カ国がこの提案を否決しました。実用性が理想を上回ったのです。

フランスは最終的に棄権し、1914年まで航海文書でグリニッジ子午線を採用しませんでした。会議の議事録には、フランス代表の苦々しい発言が残されています。「新世界と旧世界、どちらも子午線を引かれるべきではない」。

ドミニカ共和国は唯一、グリニッジ子午線の採択に反対票を投じました。歴史的記録は明確な理由を残していませんが、大国の決定に対する小国の抵抗として解釈されています。

時間測定技術の進化

紀元前3500年頃、エジプト人は日時計を発明しました。太陽の影が時間を告げ、時間は自然のリズムそのものでした。古代ギリシャの劇作家プラウトゥスは、紀元前263年にローマで最初の公共日時計が設置されたとき、登場人物にこう嘆かせています。「時間を最初に発見した男を神々が呪いますように!この哀れな私のために、一日を細切れにしてしまった!」

13世紀後半、ヨーロッパで機械式時計が発明されました。脱進機という装置が、時間を「刻む」ことを可能にしました。時間は、連続的な流れから、離散的な「単位」へと変わりました。

1656年、オランダの科学者クリスティアーン・ホイヘンスが振り子時計を発明し、時間測定の精度は飛躍的に向上しました。時計は1日あたり数秒の誤差にまで正確になり、天文観測や航海術が大きく進歩しました。

1840年代、イギリスの鉄道がグリニッジ平均時を採用すると、電信技術が時刻信号を全国に配信しました。時間は、もはや各地で「測る」ものではなく、中央から「配信」されるものになりました。

そして20世紀、原子時計の登場により、時間は自然から完全に切り離されました。1967年、国際単位系は1秒を「セシウム133原子の基底状態の2つの超微細準位間の遷移に対応する放射の9,192,631,770周期の継続時間」と定義しました。

現在、私たちが使っている協定世界時(UTC)は、世界中の原子時計のデータを平均して決定されています。GPSシステムは、この極めて正確な時刻を利用して、地球上のどこにいても数メートルの精度で位置を特定できます。

工場が変えた人間と時間の関係

1934年、アメリカの歴史家ルイス・マンフォードは、その著書『技術と文明』の中でこう書きました。「蒸気機関ではなく、時計こそが近代産業時代の鍵となる機械である」。

産業革命以前、人々は「タスク志向」で働いていました。農民は日の出とともに起き、日没とともに休みました。仕事は季節や天候に従って変化し、労働と社会生活は混ざり合っていました。

工場の登場が、すべてを変えました。機械は24時間稼働できます。工場主は、労働者を機械のリズムに合わせることを求めました。**時間は「過ぎるもの」から「使うもの」「売るもの」**になりました。Time is money――この標語は、19世紀の工場に掲げられ、労働者たちの意識に刻み込まれました。

イギリスの歴史家E.P.トンプソンは、その画期的な論文「時間、労働規律、産業資本主義」(1967年)の中で、工場主たちがどのように労働者から時間の知識を奪ったかを記録しています。1850年、スコットランドのダンディーで工場労働者だったジェームズ・マイルズは、自伝の中でこう証言しています。

「私たちの主人や管理者は、私たちを好きなようにしました。工場の時計は、しばしば朝には進められ、夜には遅らされました。時間を測定する道具であるはずの時計が、詐欺と抑圧の隠れ蓑として使われていたのです」

タイムカードの発明は、この支配を完成させました。機械式の「タイムレコーダー」は、労働者が出勤・退勤時に打刻することを強制しました。遅刻には罰金、欠勤には解雇。時間の規律は、身体に刻み込まれました。

2025年、私たちと時間

時間の統一は、確かに私たちに多くのものをもたらしました。グローバルな商業、国際的な協力、正確な科学実験、GPS、インターネット――これらすべては、世界が同じ時間を共有することで初めて可能になりました。

金融市場では、1マイクロ秒(100万分の1秒)の差が莫大な利益を生みます。ニューヨーク証券取引所とシカゴ商品取引所の間の光ファイバーケーブルは、わずか数ミリ秒の時間短縮のために何百万ドルもが投資されています。

同時に、私たちは何かを失いました。地方時が消えたとき、各地域の固有のリズムも消えました。太陽が真上に来る時刻が「正午」ではなくなりました。例えば、スペインの西端では、公式の正午と太陽の正午が1時間以上ずれています。

フレックスタイム制、リモートワーク、週4日勤務――すでに、工場時代の時間規律からの解放を目指す動きは始まっています。デンマークやオランダでは、「時間銀行」という制度が試験的に導入され、労働時間を柔軟に調整できるようになっています。

1884年10月13日、私たちの祖先は投票によって、地球全体の時間をグリニッジに合わせることを決めました。それは合理的で、必要な決定でした。しかし、その決定は同時に、人類と時間の関係を根本から変えました。

時間は「発見」されたのではなく「発明」された。ならば、時間を作り直すこともできるかもしれません。


【Information】

参考リンク・資料

歴史的文献

研究機関・博物館

学術的リソース

【用語解説】

GMT(Greenwich Mean Time / グリニッジ平均時) イギリス・ロンドンのグリニッジ天文台を基準とした時刻システム。1884年の国際子午線会議で世界標準として採択されました。現在は協定世界時(UTC)に置き換えられていますが、一般的には同義語として使われています。

本初子午線(Prime Meridian) 経度0度の基準線。グリニッジ天文台を通る子午線が1884年に国際的に採択され、これを基準に東経・西経が測定されます。

脱進機(Escapement) 機械式時計で、動力源(ゼンマイや錘)のエネルギーを規則的に解放し、時間を刻む装置。13世紀後半の発明で、機械式時計を可能にした革命的技術です。

タスク志向 vs 時間志向 E.P.トンプソンが提唱した概念。タスク志向は、仕事の完了を基準とする前近代的な労働観(例:日の出から日没まで働く)。時間志向は、時計の時刻を基準とする近代的な労働観(例:9時から5時まで働く)。産業革命により、前者から後者への移行が起こりました。

科学的管理法(Taylorism / テイラー主義) アメリカの技師フレデリック・ウィンスロー・テイラー(1856-1915)が提唱した労働管理手法。労働を細かく分析し、最も効率的な動作と時間を算出して労働者に強制します。「時間と動作の研究」が特徴で、20世紀初頭の工場生産に大きな影響を与えました。

協定世界時(UTC / Coordinated Universal Time) 世界中の原子時計の平均に基づく国際的な時刻標準。GMTを実質的に置き換えましたが、閏秒によって地球の自転と調整されています。

時間の植民地化(Colonization of Time) 社会学の概念で、資本主義が人々の時間を支配下に置き、商品化するプロセスを指します。労働時間だけでなく、余暇の時間までが効率性や生産性の論理で評価されるようになることを批判的に分析します。

高頻度取引(HFT / High-Frequency Trading) コンピュータアルゴリズムを使って、マイクロ秒単位で金融商品を売買する取引手法。時間の精度が直接利益に結びつく、現代の極端な例です。

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Satsuki
テクノロジーと民主主義、自由、人権の交差点で記事を執筆しています。 データドリブンな分析が信条。具体的な数字と事実で、技術の影響を可視化します。 しかし、データだけでは語りません。技術開発者の倫理的ジレンマ、被害者の痛み、政策決定者の責任——それぞれの立場への想像力を持ちながら、常に「人間の尊厳」を軸に据えて執筆しています。 日々勉強中です。謙虚に学び続けながら、皆さんと一緒に、テクノロジーと人間の共進化の道を探っていきたいと思います。

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