VRヘッドセットを装着すると、そこはエベレストの頂上です。 360度、見渡す限りの雪と氷。眼下には雲海が広がり、地平線が丸く湾曲しています。風の音が聞こえる——ような気がします。しかし、頬に冷たさはありません。息は苦しくありません。ヘッドセットを外せば、そこは暖かく安全な、あなたの部屋です。
10月19日は「海外旅行の日」。1979年に制定されたこの記念日は、「遠く(10)へ行く(19)」という語呂合わせに由来しています。 旅行業界が海外旅行の魅力を伝えるために設けたこの日に、私たちは一つの問いを投げかけたいと思います。
そもそも旅とは何なのか。 身体を移動させることなのか、それとも新しい景色を目にすることなのか。
かつて旅は、選ばれし者の特権だった
18世紀のヨーロッパでは、若きイギリス貴族たちが数年をかけて大陸を巡る「グランドツアー」に出ていました。 パリで洗練されたマナーを学び、アルプスを越え、ヴェネツィアで芸術に触れ、ローマで古代文明の遺跡に立つ。これは支配階級としての教養を身につける通過儀礼でした。
1731年、後に第4代ベッドフォード公爵となるジョン・ラッセル卿は、画家カナレットに24点のヴェネツィア風景画を依頼しました。支払った金額は188ポンド——当時の熟練職人の年収の5倍以上に相当する額です。 絵画1点でさえ、庶民には手の届かない贅沢品でした。ましてや数年にわたるヨーロッパ旅行など、想像すらできない世界です。
「世界を見ること」は、生まれと富で決まっていました。19世紀の鉄道普及、20世紀のジェット旅客機の登場により、旅は徐々に民主化されていきました。しかし2025年現在でも、世界人口の大半は生涯で一度も国境を越えることがありません。
2005年6月、世界は手のひらに収まった
そして、2005年6月。GoogleはGoogle Earthをリリースしました。
衛星画像と航空写真を組み合わせ、地球全体を3Dで再現したこのソフトウェアは、公開直後から爆発的な反響を呼びました。初週のダウンロード数は1億回。 誰でも、どこへでも、瞬時に——インターネット接続さえあれば、地球上のあらゆる場所を「訪れる」ことができるようになったのです。
その実用性は、公開からわずか2ヶ月後に証明されました。2005年8月、ハリケーン・カトリーナがアメリカ湾岸地域を襲いました。 洪水で街路標識も家屋番号も水没し、救助隊は被災者を見つけることができませんでした。Google Earthチームは、被災地域のリアルタイム画像をオーバーレイして公開。911通報者が自分の位置を説明すれば、救助隊はGoogle Earth上でその場所を特定できました。
それから20年。2025年現在、グローバルなバーチャル旅行市場の規模は約140億ドルに達しています。 市場予測によれば、2030年から2035年までに290億ドルから1,110億ドル規模へと拡大すると見られており、年平均成長率は20%から33%に及びます。博物館、世界遺産、自然の驚異——かつては富裕層か研究者しかアクセスできなかった場所が、今や誰の手にも届きます。
技術は確かに、「世界を見ること」を民主化しました。
しかし、旅の記憶として最も鮮明に残っているのは
バスに乗り遅れて、仕方なく歩いた道で見つけた小さな教会。予約していたレストランが閉まっていて、仕方なく入った食堂で食べた、人生最高の一皿。突然の雨宿りで入った書店で見つけた、思いがけない本。
これらの「偶然」は、360度のパノラマ映像には存在しません。 バーチャル旅行では、見たい場所だけを、見たいタイミングで、最適なルートで訪れることができます。疲労もリスクもトラブルもありません。すべてがコントロール可能です。
道に迷って、片言の英語で現地の人に助けを求める。言葉が通じず、身振り手振りでコミュニケーションを試みる。タクシー運転手との何気ない会話。市場で果物を買おうとして、値段交渉で笑い合う。
VR映像に映り込んでいる人々は、「風景の一部」です。 彼らと目が合うことも、会話することも、助けを求めることも、助けられることもありません。
高地での息苦しさ。汗。筋肉痛。時差ボケ。匂い、湿度、気温。これらすべてが、バーチャルでは再現されません。 しかし身体を賭けること——文字通り、自分の肉体をある場所に運ぶこと——には、画面越しには決して得られない実感があります。
旅とは、情報を得ることなのか。それとも、予測不可能な状況に身を置くことなのか。
それでも、技術は扉を開いた
誤解してほしくありません。バーチャル旅行を否定しているわけではありません。
車椅子を使用している人にとって、マチュピチュの急な石段を登ることは物理的に不可能です。 しかしVR技術を使えば、失われた都市の頂上に立ち、アンデス山脈の眺望を「体験」できます。経済的な理由で生涯で一度も海外旅行ができない人々にとって、無料でアクセスできるGoogle Earthは世界への唯一の窓かもしれません。
教育的な価値も計り知れません。歴史の授業で実際にローマのコロッセオの内部を歩きながら学ぶ。地理の授業でアマゾンの熱帯雨林を上空から俯瞰する。これらは教科書の写真では決して得られない理解を生みます。
オーバーツーリズムは、世界中の観光地で深刻な問題となっています。 ヴェネツィアは観光客の重みで沈みつつあり、マチュピチュの石畳は磨耗し、富士山は登山者のゴミで覆われています。バーチャル旅行は、これらの場所への物理的な負荷を減らしながら、人々の知的好奇心を満たす可能性を持っています。
バーチャル旅行が提供するのは「情報としての世界」です。 一方、実際の旅が提供するのは「体験としての世界」——予測不可能性、身体性、他者との遭遇を含んだ、総合的な体験です。
両者は対立するのではなく、異なる価値を持っています。
10月19日に選ぶ、本当の旅
技術は、私たちに選択肢を与えてくれました。 かつては富裕層しか見られなかった景色を、今や誰でも見ることができます。これは人類史において画期的な民主化です。
しかし同時に、技術は「奪われることを選ぶ誘惑」も与えています。すべてが最適化され、コントロール可能で、リスクのない体験。それは快適です。
いずれ、触覚も嗅覚も完璧に再現され、「本物と区別がつかない」バーチャル旅行が可能になるかもしれません。それでも、決定的な違いは残ります——身体を賭けていない、ということです。本物の他者に晒されていない、ということです。
10月19日、「海外旅行の日」。遠く(10)へ行く(19)。
あなたにとって旅とは何でしょうか。
【Information】
参考リンク:
用語解説:
- Google Earth: Googleが2005年6月に公開した、衛星画像と航空写真を組み合わせて地球全体を3Dで再現したソフトウェア
- グランドツアー: 17〜19世紀にヨーロッパの貴族が行った、教養を深めるための長期旅行
- オーバーツーリズム: 観光客の過剰な流入により、地域住民の生活や環境に悪影響が及ぶ現象






























