11月16日【今日は何の日?】「交通事故の犠牲者を追悼する世界デー」— 許容できる死者数は、ゼロである

 - innovaTopia - (イノベトピア)

1990年10月、イギリスに住むBrigitte Chaudhryは、26歳の一人息子Mansoorを失いました。赤信号を無視したバンの運転手が、交差点で彼を轢いたのです。Brigitteが直面したのは、息子の死そのものだけではありませんでした。「shabby treatment(粗末な扱い)」— 彼女が後に語ったこの言葉が、交通事故の犠牲者が置かれた状況を物語っています。戦争や災害、犯罪の犠牲者には追悼の日があり、支援制度があり、社会的な関心が向けられます。しかし、交通事故の犠牲者は「third-class victims(三級の犠牲者)」として扱われ、その死は「仕方のないこと」として片付けられていました。

Brigitteは1992年、RoadPeaceという慈善団体を設立しました。そして1993年11月、彼女は初めての追悼式を開きます。この日が後に、国連が認める「交通事故の犠牲者を追悼する世界デー」となりました。毎年11月第3日曜日、世界中で追悼式が開かれ、遺族が集まり、キャンドルに火を灯します。2025年11月16日の今日も、その日です。

なぜ道路での死は、こうも軽視されてきたのでしょうか?

「ゼロ」という哲学的転換

1997年、スウェーデン議会は一つの宣言を可決しました。「Vision Zero(ビジョン・ゼロ)」— 交通事故による死者・重傷者をゼロにする、という交通政策です。

従来の交通政策には、暗黙のうちに「最適な死者数」という概念が含まれていました。交通の利便性を維持するためには、ある程度の犠牲は「コスト」として受け入れるべきだ、という功利主義的な発想です。しかしVision Zeroが問うたのは、そもそもその前提が間違っているのではないか、ということでした。

Vision Zeroの根底には、「人が道路交通システムで移動する際に死亡したり重傷を負ったりすることは倫理的に決して許容できない」という哲学があります。そして、もう一つの転換がありました。従来の交通安全策は人に行動を変えさせることに力を注いでいましたが、Vision Zeroは人が間違いを犯すことを所与の条件とした上で、システムを人に合わせて作り変えることを提唱したのです。

人間は完璧ではありません。その前提で、システム全体を再設計する。

技術と法制度と道路設計の三位一体

この哲学的転換は、具体的な施策として結実していきました。技術、法制度、道路設計の三つが組み合わさって、初めて機能するシステムです。

技術の起点は、1959年に遡ります。ボルボのエンジニア、ニルス・ボーリンが開発した3点式シートベルトです。彼は特許を取得しましたが、ボルボは「安全は独占されるべきではない」という考えから、この特許を無償で公開しました。ボルボは、この技術によって「これまでに100万人以上の命を救った」としています。一つの技術が、世界中の自動車メーカーに採用され、法律で義務化され、数十年かけて標準となりました。技術単独ではなく、社会システム全体の変化として。

道路設計も変わりました。スウェーデンでは、歩行者・自転車と車が衝突する可能性のある道路では30km/h以上の車速を認めない、側面衝突事故のリスクのある道路では50km/h以上を認めない、といった原則が定められました。交差点をできる限り少なくし、ラウンドアバウト(環状交差点)の導入を進め、住宅街への進入路にはポールを立て、通りの幅を狭くし、段差舗装で走行速度の抑制を図っています。ドライバーが「注意する」ことに頼るのではなく、物理的にスピードを出せないようにするのです。

車載技術も進化しています。ISA(Intelligent Speed Adaptation、知的速度適合)と呼ばれる車載器は、GPSで計測された車両速度とその地点での規制速度の差を瞬時に感知し、ディスプレイに表示したり、アラーム音を鳴らしたり、アクセルペダルが重くなったりします。日本でも、2021年11月から乗用車の新型車に歩行者検知機能を備えた自動ブレーキシステムの装備が義務付けられ、2025年9月以降は大型トラックやバスにも拡大されます。

法律、道路、車。三つが噛み合って、初めてシステムとして機能します。

数字が語る変化

日本では、1970年に交通事故死者数が16,765人に達し、「交通戦争」と呼ばれました。2022年には2,610人となり、7年連続で減少し、警察庁が統計を保有する1948年以降の最少を更新しました。約84%の減少です。

この減少には、シートベルト着用率の上昇、交通安全施設の整備、運転者教育の充実、速度超過に起因する事故の減少など、複数の要因が組み合わさっています。一つの対策が劇的に状況を変えたわけではありません。長い時間をかけて、システム全体が少しずつ変わっていった結果です。

しかし、世界を見れば、まだ年間約119万人が交通事故で死亡しており、毎日約3,200人が命を落としています。その92%は低・中所得国で起きています。

日本にも課題はあります。日本の「交通安全基本計画」では、交通死者数2,000人以下、重傷者数22,000人以下という数値目標が定められており、この数値を達成すれば「目標達成」とされます。しかし、Vision Zeroの視点から見れば、これは「許容できる死者数」を前提とした目標設定です。ゼロでない限り、システムに問題が存在します。

誰のためのシステムか

2005年、国連は11月第3日曜日を「交通事故の犠牲者を追悼する世界デー」として正式に採択しました。Brigitteが息子を失ってから15年。彼女が初めて追悼式を開いてから12年後のことです。

技術は進化し、法律は整備され、道路は再設計されています。それでも、世界では今日も約3,200人が道路で命を落とします。

システムは、誰のために設計されるべきなのでしょうか?


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Satsuki
テクノロジーと民主主義、自由、人権の交差点で記事を執筆しています。 データドリブンな分析が信条。具体的な数字と事実で、技術の影響を可視化します。 しかし、データだけでは語りません。技術開発者の倫理的ジレンマ、被害者の痛み、政策決定者の責任——それぞれの立場への想像力を持ちながら、常に「人間の尊厳」を軸に据えて執筆しています。 日々勉強中です。謙虚に学び続けながら、皆さんと一緒に、テクノロジーと人間の共進化の道を探っていきたいと思います。

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