インターネットの誕生日はいつでしょうか。
ふとそう問われたとき、どう答えるのが正解なのか、少し迷ってしまいます。 10月29日だと言う人もいれば、今日、11月21日だと言うもいます。あるいは、Webが公開された8月6日を思い浮かべる人もいるかもしれません。
実は、どれも間違いではないようです。
1969年の11月21日。カリフォルニア大学ロサンゼルス校とスタンフォード研究所の間に、ARPANETの恒久的なリンクが確立されました。日本ではこの日を「インターネット記念日」と呼んでいます。世界的には10月29日が「世界インターネットの日」とされているようですが、日本があえて今日を選んだのには、何か理由があるのかもしれません。
なぜ、誕生日はいくつもあるのでしょうか。今日は少し、この巨大なネットワークが生まれた日のことを考えてみたいと思います。
1969年秋、4つの点をつなぐ
時計の針を少し戻します。1969年10月29日の午後10時30分。 UCLAの学生プログラマ、チャーリー・クライン氏は、歴史的な瞬間に立ち会っていました。
彼は遠く離れたコンピュータに「LOGIN」と入力しようとしていました。 一文字送るたびに、電話で確認しあうような、そんな手探りの通信だったそうです。 「Lを送りました。届きましたか?」「はい、届きました」。 次にOを送信。「Oを送りました。届きましたか?」「はい」。 そしてGを送った瞬間、システムはクラッシュしてしまいました。
ARPANETが最初に伝えたメッセージは、たった二文字。「LO」でした。
それから約1時間後、システムは復旧し、送信自体は成功しました。ただ、この日はまだ「通信ができる可能性」が見えたに過ぎなかったのかもしれません。 本当の意味で安定した接続が生まれたのは、その3週間後。今日、11月21日のことでした。その後、さらに二つの大学が加わり、12月5日には4つの拠点を結ぶネットワークが完成したのです。
秋から初冬にかけての、わずか5週間。 地図上の4つの点が線で結ばれ、やがてそれが網の目(ネット)になっていく。そのささやかな始まりが、この季節にあったのですね。

この4つの点を結んだ背景には、「パケット交換」という技術思想がありました。 それまでの電話のような「回線交換」は、話し終わるまで回線を独占してしまいます。一方、パケット交換はデータを小分けにして送ることで、みんなで回線を共有できます。 まるで、一つの郵便ポストにいろいろな宛先の手紙を投函するように。
中央に集めるのではなく、分散させる。 この網の目の思想が、今のインターネットの自由な空気を生んだのだとしたら、それはとても素敵なことだと思います。
ちなみに、この仕組みを考えたきっかけは、とても人間味あふれるものでした。 発案者のロバート・テイラー氏は、オフィスに3台もの端末を置いていたそうです。それぞれ別のコンピュータに繋ぐためです。あっちと話して、こっちと話すたびに、席を立って移動しなければならない。
「もっと楽をしたい。一つの端末で全部できればいいのに」 そんな、日常の「めんどくさい」という感情が、世界を変える技術につながったそうです。偉大な発明も、案外、私たちの身近な感情から生まれているのかもしれません。
パソコン通信という選択
日本が10月29日の「最初の通信」ではなく、11月21日の「安定した接続」を記念日に選んだ理由。それはもしかすると、実用性を重んじる日本らしい選択だったのかもしれません。
インターネットが普及する前、1980年代後半から90年代にかけて、日本には「パソコン通信」という独自の文化がありました。
それは、今のインターネットとは少し違う、ホスト局を中心とした「星型」のつながりでした。 NIFTY-ServeやPC-VANといったサービスの中で、会員同士が交流する。外の世界とはつながらない、閉じた空間です。 でも、閉じていたからこそ、そこには濃密な空気がありました。フォーラムでの熱い議論や、顔の見える信頼関係。そんな温かいコミュニティが、確かに存在していたのです。
1996年には、利用者が573万人に達していたそうです。 その頃、外からやってきたインターネットは、既存の事業者にとって少し怖い存在に見えていたようです。「不安定だ」「セキュリティが心配だ」「ビジネスにならない」と。
確かに、時間で課金するパソコン通信と、つなぎ放題が前提のインターネットでは、考え方が根本的に違います。
それでも、日本の先人たちは未来を見据えていました。 「インターネットは必ずインフラになる。パソコン通信で培った文化と連携させるべきだ」と。 やがて、星型のネットワークは、分散型の網の目に合流していきました。
パソコン通信が終わってしまったことを、単に「負けた」とか「古かった」と捉えるのは、少し違う気がします。 あの閉じた空間で育まれたコミュニティの作法や、文字でつながる喜び。そういった土壌があったからこそ、日本でこれほどスムーズにインターネットが花開いたのではないか。私にはそう思えるのです。
誕生から普及まで
技術が生まれる日と、それが私たちの生活を変える日の間には、長い時間が流れています。
1969年、4つの点をつなぐARPANETが生まれました。 1989年3月12日、ティム・バーナーズ=リー氏がWebの仕組みを構想しました。 1991年8月6日、世界で初めてのWebサイトが公開されました。 そして1995年、日本で「インターネット」が流行語になるほど普及し始めました。
発明から日常になるまで、四半世紀。 その間、インターネットは何度も「誕生」を繰り返してきたように見えます。
通信が生まれた日。接続が安定した日。Webが構想された日。 どれを誕生日と呼ぶかは、私たちがこの技術のどこに光を当てるかによって変わるのでしょう。
50年以上前の秋、遠いカリフォルニアの研究室で始まった小さな試み。 それを知らずに育った世代も、それと共に歩んできた世代も、今は同じ網の目の中でつながっています。
誕生日がいくつもあるということは、それだけ多くの人々の選択と、試行錯誤の積み重ねがあったという証なのかもしれません。 どこからが始まりで、どこまで続くのか。 その答えは、まだ定まっていないのかもしれませんね。
【用語解説】
ARPANET(アーパネット)
Advanced Research Projects Agency Networkの略。アメリカ国防総省の高等研究計画局(ARPA、後のDARPA)が資金提供し、1969年に運用が開始された世界初のパケット通信ネットワーク。インターネットの原型とされる。当初は4つの研究機関を結ぶ小規模なネットワークだったが、1973年には40ノードを超える規模に成長した。
パケット交換
データを小さな単位(パケット)に分割して送信し、受信側で元のデータに復元する通信方式。各パケットには送信先の情報が付加されており、途中の回線や中継機が故障しても、別の経路を選択して宛先まで届けることができる。これにより、専用回線を占有する「回線交換」と比べて、効率的で頑健な通信が可能になった。現代のインターネットの基盤技術。
パソコン通信
1980年代後半から1990年代にかけて日本で普及した、会員制のクローズドネットワークサービス。パソコンを電話回線でホスト局(サーバ)に接続し、電子掲示板や電子メール、ファイル共有などを利用した。代表的なサービスにNIFTY-Serve(富士通)、PC-VAN(NEC)がある。インターネットの普及に伴い2000年代前半にほぼ終了したが、日本のネット文化形成に大きな影響を与えた。
World Wide Web(WWW)
インターネット上で提供されるハイパーテキストシステム。1989年にティム・バーナーズ=リーがCERNで構想し、1991年に一般公開された。URI(URL)、HTTP、HTMLという技術により、文書同士を「リンク」で結び、クリックするだけで世界中の情報にアクセスできる仕組みを実現した。一般的に「Web」「ウェブ」と呼ばれ、現代のインターネット利用の中心的な存在となっている。
TCP/IP
Transmission Control Protocol / Internet Protocolの略。異なるネットワーク同士を相互接続するための通信プロトコル(通信規約)。TCP は信頼性のあるデータ転送を、IPはデータの経路選択とアドレス管理を担当する。1970年代にヴィントン・サーフとロバート・カーンによって開発され、1983年にARPANETの標準プロトコルとなった。現在のインターネットの共通言語として機能している。
【参考リンク】
歴史的資料・組織
CERN(欧州原子核研究機構)
World Wide Webの発祥の地。初期のWebサイトの復元版も公開されている。
SRI International – ARPANET
ARPANETの初期ノードの一つ。インターネット草創期の資料が豊富。
Internet Society
インターネットの発展と普及を推進する国際組織。歴史的な資料やドキュメントを提供。
日本のインターネット史
JPNIC(日本ネットワークインフォメーションセンター)
日本のインターネット歴史資料が充実。
WIDE Project
日本のインターネット研究開発を牽引してきた組織。パソコン通信との相互接続実験を主導。
技術解説
Internet Hall of Fame
インターネットの発展に貢献した人物や組織を紹介。
Computer History Museum
コンピュータとインターネットの歴史に関する包括的な資料を提供。
【編集部後記】
実は、私自身も1969年の生まれです。
今日ご紹介したARPANETとは、ちょうど同級生ということになります。
この記事を制作しながら、インターネットの歴史と自分史を重ねてみました。
幼い頃の記憶にあるのは、ゆっくりと首を振る扇風機や、白黒のテレビ画面。そして、レコードに針を落とした瞬間の、あの「チリチリ」という微かなノイズ。 世界はまだ、手触りのあるアナログの中にありました。 そんな穏やかな時間の裏側で、私の知らない遠い場所では、世界を変えるための技術が産声を上げ、静かに進化を続けていたのだと思うと、不思議な気持ちになります。
1993年から96年ごろまで、私はDTP(デスクトップパブリッシング)の仕事をしていましたが、今では信じられない通信環境でした。 たった1メガバイトのデータを送るために、パソコン通信を使って30分以上待つこともざらでした。当時はまだテレホーダイのような定額制もなく、電話料金を気にしながらの通信です。画面の向こうの進行バーを、祈るような気持ちで見つめていたことを思い出します。
本格的にインターネットの世界に足を踏み入れたのは、1997年のことです。 モデムを通じたダイヤルアップ接続。あの頃の「音」を、皆さんは覚えていらっしゃるでしょうか。 電話回線をつないだ時の、ピー、ヒョロヒョロ……という甲高い電子音。そして、接続が確立した瞬間に響く「ザァー」というノイズ。
私にとってあの音は、新しい世界への扉が開く音でした。
カリフォルニアで「LO」という二文字が送られたあの秋、私はまだ世界のことを何も知らない赤ん坊でしたが、大人になってから、その網の目の広がりを肌で感じることができたのは幸運だったのかもしれません。
innovaTopiaの編集部には、30歳前後の若いスタッフも多く在籍しています。 彼らにこんな昔話をすると、まるで化石を見るような目で見られてしまいます(笑)。 生まれた時からインターネットが空気のように存在する。それはとても幸せなことであり、羨ましくもあります。
技術の形は変わります。でも、記事でも触れたように、誰かの「めんどくさい」や「もっとこうしたい」という人間らしい動機が、新しい扉を開く本質はきっと変わりません。
次の時代の誕生日は、もうすぐそこまで来ているのかもしれませんね。
























