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8月2日【今日は何の日?】「アンダーソン、陽電子の発見」─ディラックの海、場の量子論、反物質の世界

 - innovaTopia - (イノベトピア)

Last Updated on 2025-08-04 11:40 by 荒木 啓介

1932年8月2日、カリフォルニア工科大学のカール・デイヴィッド・アンダーソンが陽電子の存在を実証する決定的な証拠を捉えました。この発見は、通常の物質を構成する粒子に対して、電荷などの性質が正反対の「反粒子」が存在することを初めて実験的に証明した歴史的瞬間でした。

物質と反物質─対称性が生み出す双子

まず、物質と反物質について

私たちの身の回りにあるすべてのもの─机も、椅子も、あなた自身も─は「物質」でできています。物質の最小単位である原子は、プラスの電荷を持つ原子核の周りを、マイナスの電荷を持つ電子が回る構造をしています。

ところが、物理学の法則には深い対称性があり、通常の粒子に対して「反粒子」と呼ばれる粒子が存在します。反粒子は元の粒子と質量は同じですが、電荷や磁気モーメントなどの性質が正反対になっています。電子に対する反粒子が「陽電子」で、プラスの電荷を持ちます。同様に、陽子に対しては「反陽子」(マイナスの電荷)、中性子に対しては「反中性子」が存在します。

もし粒子と反粒子が出会うとどうなるでしょうか。それらは対消滅を起こし、質量エネルギーがガンマ線などの電磁波として放出されます。アインシュタインの有名な方程式E=mc²が示すように、わずかな質量から膨大なエネルギーが生まれるのです。これは「反物質の世界」という特別な場所があるわけではなく、通常の物質と同じ空間に存在しうる粒子同士の相互作用なのです。

アンダーソンの巧妙な実験手法

では、アンダーソンはどのようにして陽電子を発見したのでしょうか。

アンダーソンが用いたのは「霧箱」という装置でした。これは、過飽和水蒸気で満たされた箱の中を荷電粒子が通過すると、その軌跡に沿って水滴が凝結し、粒子の飛跡が白い線として見えるという仕組みです。さらに彼は、この霧箱を強力な磁場の中に置きました。

磁場の中では、荷電粒子は電荷の符号と質量に応じて特定の方向に曲がります。プラスの電荷を持つ粒子は右に、マイナスの電荷を持つ粒子は左に曲がり(磁場の方向によって逆になることもあります)、質量が軽いほど大きく曲がります。

1932年8月2日、アンダーソンの霧箱に宇宙線の一つが飛び込んできました。その粒子は、電子と同じように軽いにも関わらず、電子とは逆方向に曲がっていたのです。つまり、電子と同じ質量を持ちながら、正反対の電荷を持つ粒子─陽電子の存在が確認されたのです。

アンダーソンはこの発見を「Physical Review」誌第43巻に”The Positive Electron”として発表しました。シンプルなタイトルですが、物理学の歴史を変える発見でした。

https://journals.aps.org/pr/pdf/10.1103/PhysRev.43.491

実は無料で読めたりします。(陽電子が好きな人は印刷して飾ったりしてもいいかもしれません。)

こんな奇妙な存在が認められたのか?

しかし、このような「奇妙な粒子」の存在が科学界に受け入れられるまでには、興味深い理論的背景がありました。

実は、アンダーソンの発見より数年前、イギリスの理論物理学者ポール・ディラックが、相対性理論と量子力学を統合した「ディラック方程式」を提唱していました。この方程式は電子の振る舞いを見事に記述したのですが、一つ厄介な問題を抱えていました。方程式が「負のエネルギー」を持つ解を許してしまうのです。

負のエネルギーとは一体何でしょうか。普通に考えれば、エネルギーがマイナスになるなど物理的に意味不明です。しかし数学的には、この解を無視することができませんでした。

もし、電子のエネルギーがマイナスの値をとることを許してしまうと、電子のエネルギーはどこまでも低くとることができてしまい、電子は永久にエネルギーを放出しながらより低い準位に行ってしまうことになります。

https://eman-physics.net/quantum/dirac.html

(ディラック方程式が負のエネルギー解を許してしまうことについてはこちらの「Emanの物理学」にて詳しい導出があります。物理学科と化学科の学生はお世話になったことがあるのではないでしょうか。昔私も理学書を読んでいて「この部分の式変形、どうなってんねん」と思ったときはたまに見てました。

一応ディラックの名誉?のために言っておきますと、ディラック方程式は非常に完成させた理論で彼の理論は「パウリの排他律」「スピンの概念」をうまく説明して、電子のふるまいを善く記述していました。

もっとも、ノーベル賞を辞退しようとしたディラックに名誉に対する欲求はないかもしれませんが…)

ディラックの海とパウリの怒り

この問題を解決するため、ディラックは大胆な仮説を立てました。「ディラックの海」という概念です。

ディラックは、宇宙空間は実は負のエネルギー状態にある電子で満たされていると考えました。普段は見えないこの「電子の海」から一つの電子が正のエネルギー状態に跳び上がると、海には「穴」が残されます。この穴は、電子とは正反対の性質を持つ粒子として振る舞うはずだ、とディラックは予想したのです。

しかし、この理論には致命的な欠陥がありました。当初ディラックは、この「穴」が陽子であると考えていたのです。電子より1800倍も重い陽子が、電子と同じ質量の穴として現れるなど、物理的にあり得ません。

この矛盾を指摘したのが、量子力学の父の一人であるヴォルフガング・パウリでした。パウリはディラックの理論を痛烈に批判し、「このような理論は物理学にとって有害だ」とまで言い切りました。パウリの怒りは相当なもので、学会でディラックと激しい議論を交わしたエピソードが残されています。

興味深いことに、最終的にこの理論的な矛盾を解決したのは、数学者のヘルマン・ワイルでした。ワイルは数学的な観点から、「穴」は電子と同じ質量を持つべきだと示したのです。この洞察により、ディラックの海理論は一応の完成を見ることになりました。

陽電子、ディラックの海と聞くとエヴァンゲリヲンを思い出す人も多いのではないでしょうか。ヤシマ作戦では「ポジトロンライフル」が使徒ラミエルの撃破のために用いられ、TV版エヴァではディラックの海に初号機がとじこめられてしまうシーンがありましたね。

場の量子論という新たな世界観

しかし、ディラックの海理論も根本的な問題を抱えていました。無限個の負エネルギー電子が存在するという設定は、やはり物理的に不自然だったのです。

この問題を根本的に解決したのが「場の量子論」という新しい理論的枠組みでした。場の量子論では、粒子を「場の励起状態」として捉えます。つまり、宇宙空間に満ちている「場」というものが、特定の場所でエネルギーを得て局在化したとき、それを私たちは「粒子」と呼ぶのです。

この描像では、粒子と反粒子の生成・消滅は、場のエネルギー状態の変化として自然に説明されます。真空から粒子と反粒子のペアが生まれ、また消滅して真空に戻る─これは「粒子数が一定である」という古典的な世界観を根本から覆しました。

私たちの宇宙は、絶えず粒子が生まれ、消滅する動的なシステムだったのです。この発見は、物理学の世界観を大きく変えただけでなく、後の素粒子物理学発展の基礎となりました。

https://event.phys.s.u-tokyo.ac.jp/physlab2025/posters/%E7%9B%B8%E5%AF%BE%E8%AB%96%E7%9A%84%E9%87%8F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E5%AD%A6%E3%81%8B%E3%82%89%E5%A0%B4%E3%81%AE%E9%87%8F%E5%AD%90%E8%AB%96%E3%81%B8_%E6%B8%A1%E9%82%89%E6%B9%A7%E4%B9%9F.pdf

なぜ「場の量子論の描像がディラックの海を不要にしたのか」については東京大学の物理学の有志ゼミのポスターにて簡潔にまとめられています。興味のある方は是非

反物質研究の現代への貢献

さて、100年近く前の陽電子発見は、現代の私たちの生活にも大きな影響を与えています。

まず、半導体技術において不可欠な「空孔理論」は、ディラックの海の考え方を直接応用したものです。半導体では、電子が抜けた「穴」(空孔)がプラスの電荷を持つ粒子として振る舞い、これが現代のコンピューターやスマートフォンの動作原理となっています。

また、「陽電子消滅法」という物性評価技術も広く使われています。物質中に陽電子を打ち込み、電子と消滅する際に放出される光を分析することで、材料の内部構造や欠陥を詳しく調べることができます。医療分野で使われるPET(陽電子断層撮影)も、同じ原理を応用した技術です。

科学が変える世界の見方

陽電子の発見が私たちに教えてくれるのは、科学が人間の世界認識を根本から変える力を持っているということです。

場の量子論は、「粒子」という概念そのものを再定義しました。私たちが「粒子」と呼んでいるものは、実は「エネルギーが局在化した空間の性質」にすぎません。固体だと思っていた物質も、ミクロの世界では絶えず生成・消滅を繰り返すエネルギーの織りなすパターンなのです。

そして、一見すると実用性のなさそうな「反物質」のような概念が、100年後の私たちの生活を支える技術の基礎となっています。これは、基礎科学研究に対して「すぐに役に立つのか?」「経済効果はあるのか?」と短絡的に問うことの危険性を教えてくれます。

人類の知的探求の歴史を振り返れば、最も抽象的で実用性の見えない研究こそが、後に文明を根本から変える原動力となってきました。即座に経済的価値を求める発想は、人類史に対する理解の不足から生まれる近視眼的な見方と言えるでしょう。

天才たちの協働

最後に、陽電子発見の物語が教えてくれる重要な教訓があります。

この偉大な発見は、決して一人の天才の力だけで成し遂げられたものではありません。数学者ヴァイル、実験物理学者アンダーソン、理論物理学者ディラック、そして批判者であったパウリ─これらすべての人々の貢献があって初めて、反物質という概念が科学的に確立されたのです。

ワイルが数学的洞察を提供し、アンダーソンが実験的証拠を掴み、ディラックが理論的枠組みを構築し、パウリが鋭い批判で理論を洗練させる。科学の進歩は、このような多様な専門性を持つ人々の協働によって成し遂げられます。

現代の科学研究がますます学際的・国際的になっているのも、この教訓の現れかもしれません。一人の天才に依存するのではなく、異なる視点と専門性を持つ人々が協力し合うことで、人類の知の地平線は広がっていくのです。

陽電子発見から約90年が経った今、私たちは反物質を用いた医療技術や、量子論的効果を利用したコンピューターなど、当時の研究者たちが夢にも思わなかった技術を手にしています。これらの技術の根底には、1932年8月2日にアンダーソンが捉えた一本の軌跡に込められた、人類の知的好奇心と探求心が息づいているのです。


【編集部後記】

科学者は趣味でお金をもらっている?

しかし、ここで一つの疑問が浮かびます。「科学者は趣味でお金をもらっているのではないか?」という声です。そんなわけがありません。

科学研究への資金提供の在り方を歴史的に見ると、かつては貴族や王室が自らの威光を示すため、あるいは錬金術のような直接的利益を期待して学者を庇護していました。現代では、国家や企業が国益や競争力向上を見込んで研究に投資しています。パトロンの性質は変わりましたが、研究者が社会から期待される役割は一貫しています。

科学者たちは確かに、今この瞬間に世界を豊かにしているわけではないかもしれません。しかし、彼らは確実に「何かに役立つ」ことをしているのです。

歴史から学ぶ、基礎研究の重要性

古代文明の歴史を振り返ると、興味深い教訓が見えてきます。古代ローマは確かに優れた技術力を持っていました。道路、水道、建築技術などは現代でも称賛される水準でした。しかし、ローマ文明は実用的な技術には長けていた一方で、ギリシャで花開いた抽象的な学問分野に対しては異なる価値観を示していました。

ローマ人は数学や天文学、哲学といった分野を「実用性に乏しい学問」として重視せず、アルキメデスのような天才的な理論家の業績も、主に軍事技術への応用という観点からのみ評価する傾向がありました。彼らの関心は軍事技術と統治技術に集中しており、既存の技術を改良し応用することには長けていましたが、根本的に新しい知識の創造には重点を置いていませんでした。

この「実用主義的」なアプローチは、短期的には効率的に見えました。しかし、長期的には知的創造力の停滞を招きました。ローマ帝国の政治的混乱期を経て中世ヨーロッパに入ると、ギリシャ時代の数学、天文学、哲学の膨大な知識体系が失われ、これらがルネサンス期にアラビア世界とビザンツ帝国を通じて「再発見」されるまで、ヨーロッパは知的発展の停滞期を経験することになりました。

この歴史的経験は、「すぐに役に立たない研究は無駄だ」という短期的な価値観がいかに危険かを物語っています。基礎研究への軽視は、結果的に人類全体の知的発展を遅らせ、我々が今享受している科学技術の恩恵を何世紀も先延ばしにする可能性があるのです。

異なる意見を受け入れるのは大切?

また、ワイルが数学者だった件についても考えてみる価値があります。物理学の問題を数学者が解決したという事実は、学問分野の境界を越えた知識交流の重要性を示しています。

もしディラックが物理学者の意見のみに耳を傾け、数学者であるワイルの洞察を軽視していたらどうなっていたでしょうか。反粒子の理論的基盤は不完全なままだったかもしれません。さらに、パウリの厳しい批判も、結果的には理論をより堅固なものにする役割を果たしました。

異なる専門分野からの視点、時には辛辣な批判さえも、科学の発展には不可欠なのです。これは現代の学際的研究の重要性を予見していたとも言えるでしょう。

陽電子発見から約90年が経った今、私たちは反物質を用いた医療技術や、量子論的効果を利用したコンピューターなど、当時の研究者たちが夢にも思わなかった技術を手にしています。これらの技術の根底には、1932年8月2日にアンダーソンが捉えた一本の軌跡に込められた、人類の知的好奇心と探求心が息づいているのです。

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野村貴之
理学と哲学が好きです。昔は研究とかしてました。

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