以前、私たちの世界を拡張するVR(仮想現実)とAR(拡張現実)についてご紹介しました。

「どこでもドア」のように全く別の世界へ旅立つVR、「魔法のメガネ」のように現実を便利にするAR。これらは私たちの未来を大きく変える技術です。
しかし、実はもう一つ、この二つの技術の境界線を溶かし、融合させることで生まれる新たなリアリティが存在します。それが今回ご紹介するMR(Mixed Reality:複合現実)です。
この記事では、前回の記事で触れることのできなかったMRの核心に迫り、その驚くべき可能性と、私たちの未来をどう変えていくのかを深掘りしていきます。
【MRとはなにか】
MR(複合現実)とは、一言で言えば「現実世界と仮想世界が互いに影響しあう空間を創り出す技術」です。
ARのように現実世界にデジタル情報を表示するだけではありません。MRの最大の特徴は、デバイスに搭載されたセンサーやカメラが、今いる部屋の壁や床、机といった現実の物体の形や位置をリアルタイムで正確に認識(空間認識)することにあります。
デバイスが「そこに机がある」と理解しているため、仮想のキャラクターを走らせれば机の上を走り、仮想のボールを投げれば壁に当たって跳ね返るといった、まるでCGが本当にその場に存在するかのようなインタラクション(相互作用)が可能になるのです。
【VR,ARとの違い、MRが映す世界とは】
では、MRはVRやARと具体的に何が違うのでしょうか。以下の表にまとめてみました。
特徴 | VR (仮想現実) | AR (拡張現実) | MR (複合現実) |
主役 | 仮想世界 | 現実世界 | 現実世界 + 仮想オブジェクト |
世界 | 現実から完全に隔離 | 現実の上に情報を表示 | 現実と仮想が相互に作用 |
体験 | 没入 | 情報の付加、拡張 | 現実空間でのインタラクション |
特にARとの大きな違いは、「オクルージョン(遮蔽)」が表現できる点です。
例えば、ARで現実のテーブルにキャラクターを表示させた場合、あなたがテーブルの前に回り込んでもキャラクターは常に手前に表示され続けます。しかしMRでは、デバイスがテーブルの位置を認識しているため、キャラクターがテーブルの奥に隠れるといった、より現実に近い表現が可能になります。
このように、仮想の情報が現実の物体と前後関係を持ち、互いに影響しあう世界こそが、MRが映し出す世界なのです。
MRが映し出す世界は、それを実現するための「目」となるデバイスがあって初めて体験できます。そして、そのデバイスは「何を見せるか」「何に使ってもらうか」という目的によって、すでに様々な形で進化を遂げています。ここでは、現在のMRを牽引する代表的なデバイスを見ていきましょう。
【MR機材紹介】
Microsoft HoloLens 2
※注:Microsoft HoloLens 2は2024年に生産を終了しており、現在は新規での入手が困難となっています。

Microsoft(外部)
【業務利用の最高峰。産業界の「働き方」を革新するMRデバイス】
- ターゲットユーザー: 製造業、建設業、医療、教育機関などの法人(エンタープライズ)や開発者。現場の業務効率化や高度なトレーニングを目的とするプロフェッショナル向けに設計されています。
- 核となる技術: 「シースルー(透過型)方式」を採用。デバイスの透明なレンズ(ホログラフィックレンズ/導波路)に直接CG映像を投影します。これにより、ユーザーは裸眼で見る現実世界に、くっきりと浮かび上がる高精細なホログラムを重ねて見ることができます。現実の視界を一切遮らないため、作業の安全性が高く、長時間の利用にも適しています。
- 際立った特徴:
- 高精度なハンドトラッキング: 10本の指すべてを認識し、ユーザーはコントローラーを持つことなく、自分の「手」で直感的にホログラムを掴む、動かす、拡大・縮小するといった操作が可能です。この操作性の高さが、現場作業との親和性を高めています。
- 視線追跡(アイトラッキング): ユーザーがどこを見ているかをデバイスがリアルタイムに把握。これにより、視線でホログラムを選択したり、ユーザーの意図を先読みして情報を提示したりすることが可能です。
- 虹彩認証(Windows Hello): 虹彩(眼の模様)でユーザーを認識する高度なセキュリティ機能を備え、機密情報を扱う企業でも安心して利用できます。
- 主な用途:
- 遠隔作業支援: 現場作業員が見ている映像を、遠隔地にいる熟練技術者がリアルタイムで共有。視界に直接、指示やマニュアルをホログラムで表示し、正確な作業をサポートします。
- トレーニングとシミュレーション: 実物の機械や高価な設備がなくても、原寸大の3Dモデルを現実空間に表示し、分解・組立などのトレーニングを行うことができます。
- 設計・デザインレビュー: 自動車や建物の3Dデータを実寸で表示し、複数人で完成イメージを確認しながら議論を進めることができます。
Meta Quest 3

Meta(外部)
【MRを全ての家庭に。エンタメ体験を塗り替えるコンシューマー向けデバイス】
- ターゲットユーザー: 一般消費者。特に、最新のゲームやエンターテインメントコンテンツに興味を持つ層が中心です。
- 核となる技術: 「ビデオパススルー方式」を採用。デバイス前面に搭載された高性能なRGBカメラで撮影した現実世界の映像を、内部の高精細ディスプレイに映し出し、その上にCGを重ね合わせます。HoloLens 2とは異なり、見ているのは「ディスプレイに映った現実」ですが、技術の進化により遅延や違和感が大幅に低減され、高い没入感を実現しています。
- 際立った特徴:
- 高解像度フルカラーパススルー: Quest 2のモノクロパススルーから劇的に進化し、現実世界を鮮明なカラーで表示可能に。これにより、MR体験のリアリティが飛躍的に向上しました。
- 深度センサー搭載: デバイスが部屋の壁や家具を自動でマッピングし、仮想オブジェクトが現実の物理法則に従って動く、よりインタラクティブなMR体験を可能にしました。
- 豊富なコンテンツライブラリ: VRで培われた膨大なゲームやアプリの資産をそのまま活用でき、購入してすぐに楽しめるコンテンツが揃っています。
- 手頃な価格: 専門的なMRデバイスと比較して圧倒的に安価であり、MR体験の普及を大きく加速させています。
- 主な用途:
- MRゲーム: 自分の部屋の壁が壊れてモンスターが出現したり、テーブルの上に仮想のボードゲームを広げて対戦したりと、現実空間を舞台にした新しい遊びを提供します。
- エンターテインメント: 仮想の巨大スクリーンを部屋の好きな場所に設置して映画を楽しんだり、ライブコンサートに参加したりできます。
- フィットネス: 現実の部屋で、飛んでくるオブジェクトを避けたりパンチしたりする、ゲーム感覚のフィットネスが楽しめます。
Magic Leap 2

Magic Leap(外部)
【HoloLensの対抗馬。より軽く、広い視界を追求したエンタープライズ向けデバイス】
- ターゲットユーザー: HoloLens 2と同様、法人や開発者がメインターゲットですが、特に長時間の装着や、より広い視野が求められる現場での利用を想定しています。
- 核となる技術: HoloLens 2と同じ「シースルー(透過型)方式」ですが、独自の光学技術により、より広い視野角を実現しています。また、演算部分を「コンピュートパック」として腰などに装着する分離型設計を採用し、ヘッドセット本体の軽量化を追求しています。
- 際立った特徴:
- クラス最高の視野角: 競合デバイスと比較して、特に縦方向の視野が広く、足元から頭上まで、より広範囲のホログラムを一度に視認できます。これにより、首を大きく動かさなくても情報を把握しやすくなっています。
- 独自の調光(ディミング)機能: 周囲の明るさに合わせてレンズの透過度を調整し、明るい屋外などでもホログラムをくっきりと表示させることが可能です。特定のホログラムの背景だけを暗くする「セグメンテッドディミング」は、コンテンツへの集中度を高めます。
- 軽量なヘッドセット: 演算部を分離したことで、ヘッドセット本体の重量は260gと非常に軽量。これにより、長時間の作業でもユーザーの負担を軽減します。
- 主な用途: HoloLens 2と重なる部分が多いですが、その特徴から特に以下のような用途で強みを発揮します。
- 医療・手術支援: 広い視野と軽量さにより、長時間にわたる手術中でも執刀医の負担を軽減します。
- 複雑な機器のトレーニング: 視野が広いため、大型の機械や設備全体のホログラムを扱いやすくなります。
- デザインやアート分野: コンテンツの視認性が高いため、クリエイティブな用途にも適しています。
最先端のMRデバイスは、もはや単なるコンセプトモデルではありません。すでに社会の様々な現場に導入され、かつて私たちが「未来の光景」として思い描いていたような変革を現実のものとしています。その中でも、特に大きな話題となった活用事例を見ていきましょう。
JALが導入した「HoloLens 2」による整備士・操縦士訓練
日本航空(JAL)は、整備士や運航乗務員(パイロット)の訓練にHoloLens 2を活用し、大きな注目を集めました。
これまで巨大で高価な訓練施設や実物のエンジンが必要だった訓練を、MR技術で代替。現実の空間に実物大のジェットエンジンやコックピットの3Dモデルを投影し、部品の構造をあらゆる角度から確認したり、操作手順を実践的に学んだりすることを可能にしました。
これにより、訓練場所の制約がなくなり、コストを大幅に削減しながら、訓練生の理解度を飛躍的に向上させることに成功。MRが単なる未来技術ではなく、すでに「安全運航」という社会の根幹を支える重要なツールとなっていることを示す象徴的な事例です。
【MRが映し出す未来の展望】
ここまで見てきたように、MRはゲームやエンタメの世界だけでなく、医療、製造、教育といったあらゆる産業の形を根本から変える力を持っています。
現在はまだゴーグル型のデバイスが主流ですが、技術がさらに進化すれば、いずれはメガネ型、さらにはコンタクトレンズ型へと小型化していくでしょう。
そんな未来では、現実とデジタルの境界は完全になくなります。目の前にいる友人が海外の言葉を話せばリアルタイムで字幕が表示され、初めて訪れる街を歩けば、建物や史跡の歴史が目の前に浮かび上がる。デザインのアイデアが浮かべば、その場で空中に立体的な設計図を描き出す。
MRが映し出すのは、「世界そのものがディスプレイになる未来」です。それは、人類が物理的な制約から解放され、創造性を最大限に発揮できる新しい時代の幕開けなのかもしれません。