オハイオ大学はVirtualwareと提携し、Digital Enterprise Collaboratory(DEC)を立ち上げた。これは教育、応用研究、労働力トレーニングを統合するイマーシブエコシステムで、VirtualwareのVIROO Enterprise XRプラットフォームとHTC VIVEハードウェアを中核とする。アテネとデイトンに設置された2つのイマーシブラボは1週間未満で構築された。Amazon Web Servicesでホストされるこのプラットフォームは、マルチユーザーXRセッションをサポートし、CADやBIMモデルをデジタルツインに変換可能だ。オハイオ大学は、DECが従来の方法と比較してエンジニアリング開発時間を3~10分の1に短縮できると見積もっている。オハイオ州では Intel、Honda-LG等が新施設に数十億ドルを投資しており、今後5年間で約20,000人の熟練労働者需要が見込まれる中、DECは次世代デジタル産業人材育成の礎石となる。
From: Ohio University and Virtualware Launch Immersive Digital Enterprise Collaboratory
【編集部解説】
このプロジェクトの特筆すべき点は、XRインフラの展開速度にあります。従来、大学や企業が本格的なXR環境を構築する場合、システム設計、ハードウェア調達、ソフトウェア統合、ネットワーク構成に数ヶ月を要するのが一般的でした。既存のPCラボを転用したとはいえ、VIROOが1週間未満で2拠点のイマーシブラボを稼働させたことは、XR技術が「実験的な取り組み」から「即座に展開可能な実用インフラ」へと成熟したことを示しています。
産業界への影響として重要なのは、virtual commissioning(仮想試運転)の実用化です。製造業では新しい生産ラインや設備を導入する際、従来は実機を使った試運転が必要でしたが、仮想試運転により物理的な設備を稼働させる前にデジタル空間で検証できるようになります。これは設備投資リスクの低減だけでなく、生産開始までのリードタイムを大幅に短縮する効果があります。特にIntelの半導体工場のような数十億ドル規模のプロジェクトでは、この技術の価値は計り知れません。
デジタルツイン技術とXRの組み合わせも注目に値します。CADやBIM(Building Information Modeling:ビルディング インフォメーション モデリング)で作成された3Dモデルを、単なる視覚化ツールではなく、複数の関係者が同時にインタラクションできる協働空間に変換できる点が重要です。エンジニア、デザイナー、経営層、現場作業者が物理的に異なる場所にいても、同じデジタルオブジェクトを囲んで議論し、リアルタイムで設計変更を検討できる環境は、意思決定の質とスピードを向上させます。
一方で、この種の技術導入には課題も存在します。最も大きいのは人材育成の問題です。XRツールを効果的に活用するには、従来のCADスキルに加えて空間認識能力や3D環境でのコラボレーションスキルが求められます。オハイオ大学が教育機関としてこの取り組みを主導している背景には、産業界だけでは対応できない体系的な人材育成の必要性があります。
オハイオ州が今後5年間で20,000人の熟練労働者を必要とする背景には、米国の製造業回帰政策があります。CHIPSおよび科学法により半導体製造の国内回帰が進む中、単なる工場作業員ではなく、デジタルツールを駆使できる高度人材の育成が急務となっています。DECのような施設は、この政策的要請に応える具体的な解決策として機能しています。
VIROOが既にカナダ、米国、スペインの複数教育機関に展開されている事実は、このソリューションの汎用性を示しています。特にスペイン教育省が66校に拡大する計画は、国家レベルでのXR教育インフラ整備が始まっていることを意味します。各国が先進製造業での競争力確保のため、教育段階からXR技術への習熟を重視する傾向が強まっていると言えるでしょう。
【用語解説】
Virtualware
スペインに本拠を置くXRソリューション企業。教育機関や産業向けにエンタープライズグレードのXRプラットフォームVIROOを提供し、欧米を中心にグローバル展開している。
VIROO Enterprise XR
Virtualwareが開発したクラウドベースのXRプラットフォーム。マルチユーザー対応で、VRヘッドセットやデスクトップから同一の仮想空間にアクセスでき、教育と産業用途に最適化されている。
Digital Enterprise Collaboratory(DEC)
オハイオ大学が立ち上げた産学官連携のイマーシブ技術研究施設。教育、応用研究、労働力開発を統合し、先進製造業の課題解決を目指す共同研究拠点である。
デジタルツイン
物理的な製品や設備、システムをデジタル空間に再現した仮想モデル。リアルタイムデータと連携させることで、シミュレーション、分析、予測保全などが可能になる。
virtual commissioning(仮想試運転)
製造設備や生産ラインを実際に稼働させる前に、デジタル環境で動作検証を行う手法。物理的なプロトタイプ製作コストと時間を削減できる。
BIM(Building Information Modeling)
建築物の設計、施工、管理に関する情報を3Dモデルに統合する手法。建物のライフサイクル全体で情報を共有し、効率的なプロジェクト管理を実現する。
CHIPSおよび科学法
米国が2022年に成立させた半導体製造支援法。国内半導体産業強化のため520億ドルの補助金を提供し、製造拠点の国内回帰を促進している。
【参考リンク】
Ohio University 公式サイト(外部)
1804年創立の米国オハイオ州立大学。Russ College of Engineering and Technologyは産学連携プログラムで知られる。
HTC VIVE 公式サイト(外部)
HTCが展開するVR/XRプラットフォーム。教育、医療、製造業など産業用途での導入実績が豊富なエンタープライズ向けVRソリューション。
【編集部後記】
1週間未満でXRラボを2拠点に展開できる時代が到来したことに驚きを感じます。従来は数ヶ月かかっていたインフラ構築が、ここまで高速化されると企業の意思決定も変わるのではないでしょうか。特に興味深いのは、デジタルツインと仮想試運転の組み合わせです。数十億ドル規模の半導体工場で、実機を動かす前にデジタル空間で検証できる価値は計り知れません。一方で、デジタル環境への過度な依存リスクも気になります。シミュレーションで完璧でも実機で問題が起きる可能性はゼロではありません。日本の製造業は「現場主義」を重視してきましたが、この潮流にどう対応していくのでしょうか。