Last Updated on 2025-06-17 16:50 by 清水巧
ペンシルベニア州立大学のサプタルシ・ダス教授らの研究チームが2025年6月11日、Nature誌に世界初の2D材料のみで構成されたCMOSコンピューターの開発を発表した。このコンピューターは従来のシリコンを一切使用せず、原子1個分の厚さの二硫化モリブデンと二セレン化タングステンという2種類の2D材料を使用している。
研究チームは金属有機化学気相成長法(MOCVD)により各材料のトランジスタを1,000個以上製造し、合計で2,000個以上のトランジスタを搭載した。このコンピューターは低供給電圧で動作し、最大25キロヘルツの周波数で論理演算を実行する。筆頭著者のスビル・ゴーシュ博士課程学生は、従来のシリコンCMOS回路と比較して動作周波数は低いものの、ワンインストラクションセットコンピューターとして機能すると述べた。この研究は米国国立科学財団(NSF)、陸軍研究室(Army Research Office)、海軍研究室(Office of Naval Research)の支援を受けて実施された。
From:
Atom-thin tech replaces silicon in the world’s first 2D computer
【編集部解説】
今回のペンシルベニア州立大学による世界初の2D材料コンピューターの開発は、半導体業界にとって歴史的な転換点となる可能性があります。この技術の核心は、従来のシリコンが抱える根本的な物理的限界を克服することにあります。
シリコンは数十年にわたってムーアの法則に従い微細化を続けてきましたが、原子レベルまで小さくなると量子効果や電子の散乱により性能が劣化する問題に直面しています。一方、二硫化モリブデンや二セレン化タングステンなどの2D材料は、原子1個分の厚さでも優れた電子特性を維持できるという画期的な特徴を持っています。
技術的な観点から見ると、今回の成果で特に注目すべきは、n型とp型の両方のトランジスタを2D材料で実現し、完全なCMOS回路を構築したことです。これまでの研究では小規模な回路の実証に留まっていましたが、2,000個以上のトランジスタを集積した実用的なコンピューターの構築は世界初の快挙といえるでしょう。
ただし、現段階では動作周波数が25キロヘルツと現代のプロセッサと比較して極めて低く、実用化には大幅な性能向上が必要です。しかし研究チームが指摘するように、2D材料の研究が本格化したのは2010年頃からで、80年の歴史を持つシリコン技術と比較すれば、まだ発展の初期段階にあります。
この技術が実用化されれば、スマートフォンやノートPCがさらに薄型化し、バッテリー寿命の大幅な延長が期待できます。特に低電圧動作による省電力性は、IoTデバイスやウェアラブル機器の分野で革新をもたらす可能性があります。
一方で、製造プロセスの確立や量産技術の開発、既存のシリコン製造インフラとの互換性など、実用化に向けた課題も山積しています。また、新材料の長期信頼性や環境への影響についても、今後詳細な検証が必要でしょう。
半導体産業全体への影響を考えると、この技術は既存のシリコン製造企業にとって脅威となる一方で、新たな市場機会を創出する可能性も秘めています。規制面では、新材料の安全性評価や標準化が今後の重要な課題となるでしょう。
【用語解説】
2D材料(二次元材料)
原子1個分の厚さしかない結晶材料。グラフェンが代表例で、従来の3次元材料とは異なる電子特性を示す。
CMOS(相補型金属酸化膜半導体)
現代のほぼ全ての電子機器の中核技術。n型とp型の半導体を組み合わせて高性能・低消費電力を実現する。
二硫化モリブデン(MoS₂)
モリブデンと硫黄からなる層状化合物。2D材料として優れた半導体特性を持ち、n型トランジスタに使用される。
二セレン化タングステン(WSe₂)
タングステンとセレンからなる層状化合物。p型トランジスタの材料として使用され、六角結晶構造を持つ。
MOCVD(金属有機化学気相成長法)
原料を気化させて化学反応を起こし、基板上に薄膜を成長させる製造プロセス。大面積の2D材料製造に使用される。
ワンインストラクションセットコンピューター
単一の命令セットで動作する最もシンプルなコンピューター。基本的な論理演算が可能で、概念実証に適している。
【参考リンク】
Nature誌(外部)世界最高峰の科学学術誌。1869年創刊で、重要な科学的発見や研究成果を掲載する権威ある国際学術誌
2D Crystal Consortium Materials Innovation Platform(外部)ペンシルベニア州立大学を拠点とする2D材料研究コンソーシアム。産学連携による研究を推進
【参考動画】
【参考記事】
World’s first 2D, non-silicon computer developed(外部)
ペンシルベニア州立大学による公式発表。研究の背景、手法、将来展望について詳しく説明
脱シリコンへ!原子レベルの薄さで動く、世界初の2次元コンピューターがついに誕生(外部)
日本語での詳細な解説記事。2D材料コンピューターの技術的背景と将来への影響を分析
【編集部後記】
今回の2D材料コンピューターの登場は、私たちが当たり前に使っているスマートフォンやPCの未来を大きく変える可能性を秘めています。シリコンの限界を超える新技術が実用化されれば、デバイスはどこまで薄く、軽く、省電力になるのでしょうか。皆さんは、原子1個分の厚さで動作するコンピューターが実現する世界をどのように想像されますか?また、この技術が最初に実用化されるとしたら、どのような分野や製品になると思われますか?