ミシガン大学の研究者らは、視床下部の腹内側核に存在するVMH Cckbrニューロンが日常的な血糖値維持に重要な役割を果たすことを発見し、研究結果を『Molecular Metabolism』誌に発表した。
VMH Cckbrニューロンはコレシストキニンb受容体を含む神経細胞である。研究チームはこれらのニューロンを不活性化したマウスモデルを使用し、血糖値をモニタリングした。その結果、VMH Cckbrニューロンは就寝後最初の4時間において脂肪分解プロセスを通じて脂肪を燃焼させ、グリセロールを産生して糖を生成することで、夜間の低血糖を防ぐことが判明した。
研究を主導したアリソン・アッフィナティ助教授は、カスウェル糖尿病研究所のメンバーである。前糖尿病患者では夜間の脂肪分解が増加することが知られており、VMH Cckbrニューロンの過活性が高血糖に寄与している可能性があると研究者らは考えている。
この研究は過去50年間の神経系と血糖値変動に関する研究の延長線上にある。
From: Your brain works overtime at night to burn fat and prevent sugar crashes
【編集部解説】
今回のミシガン大学の研究は、脳科学と代謝医学が交差する重要な発見として注目に値します。これまで視床下部の腹内側核(VMH)については、主に緊急時の血糖値上昇に関する研究が中心でしたが、今回の研究では日常的な血糖値維持メカニズムに焦点を当てている点が画期的です。
この研究で特に興味深いのは、VMH Cckbrニューロンが就寝後最初の4時間という限定的な時間帯に機能することです。このタイミングは、人間の代謝サイクルにおいて極めて重要な期間といえます。なぜなら、夕食後の血糖値が安定し始め、夜間の空腹状態に移行する過程で、体内では糖新生と脂肪分解のバランス調整が必要になるためです。
従来の糖尿病研究では、膵臓のインスリン分泌や肝臓での糖新生に注目が集まってきましたが、この発見は脳神経系による精密な代謝制御の重要性を示しています。特に、脂肪分解を通じてグリセロールを産生し、それを糖に変換するという代謝経路の神経制御が明らかになったことで、糖尿病治療の新たなアプローチが期待できます。
この研究が示唆する最も重要な点は、前糖尿病患者における夜間脂肪分解の増加との関連性です。VMH Cckbrニューロンの過活性が高血糖を引き起こす可能性があるという発見は、糖尿病の発症メカニズムを神経科学的観点から理解する新たな視点を提供しています。
ただし、この研究にはいくつかの制限もあります。マウスモデルでの結果であること、また研究者自身が述べているように、VMH Cckbrニューロンは脂肪分解のみを制御しており、他の神経細胞群が異なるメカニズムで血糖制御に関与している可能性があることです。
将来的な応用としては、特定のニューロン群を標的とした新しい糖尿病治療薬の開発や、概日リズムと代謝制御の関係を活用した治療法の確立が考えられます。また、睡眠の質と血糖制御の関係についても、より深い理解が得られる可能性があります。
この発見は、現在の糖尿病治療が主に末梢器官(膵臓、肝臓、筋肉)に焦点を当てている中で、中枢神経系からのアプローチという新たな治療戦略の可能性を示しており、今後の研究展開が注目されます。
【用語解説】
VMH Cckbrニューロン
視床下部腹内側核に存在し、コレシストキニンb受容体(Cckbr)を持つ特殊な神経細胞群。血糖値の調節において重要な役割を果たし、特に夜間の脂肪分解を通じた糖新生を制御する。
視床下部腹内側核(VMH)
脳の視床下部にある核の一つで、摂食行動、体重調節、血糖値制御など、生体の代謝機能を司る重要な領域。飢餓、恐怖、体温調節、性的活動の制御も行う。
脂肪分解(リポリシス)
体内に蓄えられた脂肪(中性脂肪)を分解してエネルギーを取り出す代謝プロセス。グリセロールと脂肪酸に分解され、グリセロールは糖新生の材料となる。
コレシストキニンb受容体(Cckbr)
消化管ホルモンであるコレシストキニンと結合する受容体タンパク質。主に満腹感の調節や消化機能に関わるが、今回の研究では血糖制御にも関与することが判明した。
前糖尿病
正常な血糖値と糖尿病の間の状態で、将来糖尿病を発症するリスクが高い段階。空腹時血糖値やヘモグロビンA1cが正常範囲を超えているが、まだ糖尿病の診断基準には達していない状態。
【参考リンク】
Elizabeth Weiser Caswell Diabetes Institute(外部)
ミシガン大学医学部の糖尿病研究機関。250名以上の世界的な研究者が糖尿病、肥満、代謝に関する研究を行い、治療法開発を推進している。
University of Michigan Health(外部)
ミシガン大学医学部の医療システム。年間240万件以上の外来・救急受診、48,000件の入院、54,000件の手術を行う大規模医療機関。
【参考記事】
The hypothalamus as a key regulator of glucose homeostasis(外部)
視床下部が血糖恒常性の重要な調節部位であることを解説した2023年の論文。グルコース、インスリン、レプチンが視床下部ニューロンを調節し血糖制御に影響する機構を詳述。
Ventromedial hypothalamus glucose-inhibited neurones(外部)
視床下部腹内側核のグルコース抑制ニューロンの機能を解説した研究レビュー。VMHニューロンがグルコース・エネルギー恒常性の複数の側面を調節する仕組みを解明。
Neurons that track, regulate blood-sugar levels are found(外部)
ワシントン大学による血糖値を追跡・制御するニューロンの発見に関する研究発表。視床下部の特定ニューロンが血流中の糖分変化を検出・応答する機序を解明した画期的な研究。
【編集部後記】
この研究を知って、みなさんは普段の睡眠時間や質について改めて考えるきっかけを得られたでしょうか。私たちが眠っている間、脳は決して休んでいるわけではなく、血糖値を精密に制御する「夜勤ニューロン」が働き続けているという事実は驚きですね。
もしかすると、睡眠不足や不規則な生活が続く現代において、このVMH Cckbrニューロンの機能にも何らかの影響があるかもしれません。今後、脳神経科学と代謝医学の融合がどのような新しい治療法や予防法をもたらすのか、一緒に注目していきませんか。
みなさんの日常生活の中で、睡眠と血糖値の関係について気になることはありますか。この分野の研究進展が、私たち一人ひとりの健康管理にどう活かされていくのか、引き続きinnovaTopiaでお伝えしていきたいと思います。