2025年6月、innovaTopiaでは中国の電池最大手CATLが発表した次世代ナトリウムイオン電池「Naxtra」のニュースをお届けし、エネルギー貯蔵技術の明るい未来に胸を躍らせました。

しかし今日、私たちはその光の裏に存在する厳しい現実にも目を向けなければなりません。米国で同技術の先駆者と目されていたスタートアップ、Natron Energyが突如事業を停止したのです。
かつて14億ドル規模の工場建設計画で業界を沸かせた企業が、なぜ失敗に終わったのでしょうか。これは単なる一企業の倒産劇ではありません。革新的な技術を世に出すことの難しさ、米中間の熾烈な製造業競争、そして「Tech for Human Evolution」を目指す私たちが直面するリアルな課題が、この一件には凝縮されています。Natronが遺した教訓を深く掘り下げ、次世代エネルギーの未来を皆さんと共に考えます。
カリフォルニア州サンタクララを拠点とするナトリウムイオン電池スタートアップNatron Energyは、資金調達の問題により2025年9月3日に事業を停止した。
同社は2024年、ノースカロライナ州に14億ドル規模のナトリウムイオン電池を製造する工場を建設する計画を発表していた。尚、計画されていた工場の生産能力については、報道により14GWhから28GWh(または24GW)まで幅がある。
Natronは塗料や染料に使われる顔料であるプルシアンブルーを使用して、カソードとアノードの両方を製造する世界初の商業化を実現していた。2024年にはミシガン州ホランドに米国初の商業規模製造施設を開設し、米国エネルギー省のARPA-Eプログラムから、リチウムイオンからナトリウムイオンへの製造転換を含む3億ドル規模の施設アップグレード計画の一環として、1,980万ドルの資金提供を受けていた。
しかし世界で販売される電池の大半は中国が生産しており、CATLは2025年4月にEV用途向けのブランドNaxtraを発表するなど第2世代の電池に移行している。
From: Natron’s Failure May Not Spell Doom for Sodium-Ion Batteries
【編集部解説】
Natron Energyの閉鎖は、単なる一企業の失敗ではなく、米国の電池産業が直面する構造的な課題を浮き彫りにしています。同社は2012年の設立以来、プルシアンブルーという絵の具の顔料を電極材料に使うという独創的なアプローチで注目を集めてきました。この技術は大きな孔構造を持つため、イオンの移動が速く、充放電の高速化に適していました。
資金調達と技術開発のタイムラグが、スタートアップの命運を左右する典型例といえるでしょう。ノースイースタン大学のK.M. Abraham氏が指摘するように、投資家からの圧力に対して技術開発が追いつかないという問題は、資本集約的な電池産業において特に顕著です。
エネルギー密度の低さという技術的特性も、事業拡大の障壁となりました。同じ容量を実現するためには、より多くの製造ラインが必要となり、設備投資と運営コストが膨らみます。Natronはデータセンターのバックアップ電源という明確な市場を見出していましたが、スタンフォードのAdrian Yao氏が述べるように、市場の成熟よりも先行しすぎていた可能性があります。
中国との競争環境も見逃せません。中国は世界の電池生産の3/4以上を占め、CATLのような大手企業が既に第2世代のナトリウムイオン電池を市場投入しています。米国の課題は技術革新だけでなく、製造能力の構築と労働力の育成にあるとYao氏は指摘します。歩留まり率の低さや訓練不足といった製造現場の問題が、コスト競争力を削いでいるのです。
注目すべきは、業界関係者がNatronの失敗をナトリウムイオン電池全体の敗北とは捉えていないことです。Acculon EnergyのAndrew Thomas氏が述べるように、プルシアンブルーと層状金属酸化物では化学特性が大きく異なります。Mana BatteryのTyler Evans氏は、既存メーカーとの提携によって製造規模を拡大するという中国型のアプローチを採用しており、異なる戦略が可能性を秘めています。
グリッドストレージ、データセンター、低速EVといった用途では、ナトリウムイオン電池の安全性、温度耐性、コスト優位性が依然として魅力的です。リチウム資源の制約を考えれば、ナトリウムという豊富な資源を活用する技術の重要性は今後も増していくでしょう。Natronの閉鎖は終わりではなく、より持続可能なビジネスモデルを模索する過程の一コマに過ぎないのかもしれません。
【用語解説】
ナトリウムイオン電池
ナトリウムイオンを電荷担体として利用する二次電池。リチウムの代わりに地球上に豊富に存在するナトリウムを使用するため、原材料コストの削減が期待される。リチウムイオン電池と比較してエネルギー密度は低いが、安全性や温度耐性に優れる。
プルシアンブルー
化学式Fe₄[Fe(CN)₆]₃で表される青色顔料。絵の具や染料として古くから使用されてきた。結晶構造に大きな孔があり、ナトリウムイオンが容易に出入りできるため、電池の電極材料として注目されている。
カソードとアノード
カソードは正極、アノードは負極を指す。電池が放電する際、アノードから電子が放出され、カソードで電子が受け取られる。充電時はこの逆の反応が起こる。
グリッドストレージ
電力網(グリッド)に接続された大規模なエネルギー貯蔵システム。再生可能エネルギーの出力変動を吸収し、電力供給の安定化に寄与する。
歩留まり率
製造工程において、投入した原材料や部品に対して、良品として完成する製品の割合。歩留まり率が低いほど製造コストが上昇する。
【参考リンク】
Natron Energy(外部)
プルシアンブルーを使用したナトリウムイオン電池を世界で初めて商業化した米国のスタートアップ企業の公式サイト
CATL(Contemporary Amperex Technology Co. Limited)(外部)
中国の世界最大級電池メーカー。2025年4月にEV向け第2世代ナトリウムイオン電池ブランド「Naxtra」を発表
ARPA-E(Advanced Research Projects Agency-Energy)(外部)
米国エネルギー省の先進研究プロジェクト庁。革新的なエネルギー技術の研究開発に資金を提供する機関
Stanford STEER Initiative(外部)
スタンフォード大学のエネルギー貯蔵技術研究プログラム。ナトリウムイオン電池の技術・コスト比較研究を実施
Mana Battery(外部)
2023年設立のコロラド州を拠点とするナトリウムイオン電池スタートアップ。既存メーカーとの提携で規模拡大を目指す
Acculon Energy(外部)
2022年設立のオハイオ州を拠点とするスタートアップ。層状金属酸化物を使用した電池モジュールを産業用途向けに販売
【参考記事】
Natron’s liquidation shows why the US isn’t ready to make its own batteries(外部)
Natron Energyの清算を通じて米国の電池製造能力の欠如を分析し、構造的課題を詳述した記事
If Natron Couldn’t Make Batteries in the U.S., Can Anyone?(外部)
Natronの失敗が米国電池製造産業全体に投げかける疑問を検証し、中国の製造優位性について解説
‘The bar is going up & up’: Sodium-ion firm Natron Energy’s closure highlights alternative chemistry challenges(外部)
ナトリウムイオン電池業界が直面する技術的・商業的ハードルを業界専門家の見解とともに分析した記事
Sodium-ion battery maker Natron Energy shuts down, halts NC factory plans(外部)
ミシガン州とカリフォルニア本社の同時閉鎖と14ギガワット時工場計画中止の経緯を詳細に報告
US sodium ion specialist Natron Energy ceases operations(外部)
Natron Energyの事業停止速報。プルシアンブルー技術の先駆性と投資家について言及している記事
【編集部後記】
Natronの閉鎖は一つの企業の終わりですが、ナトリウムイオン電池という技術そのものの可能性までは閉ざされていません。むしろ、どのようなビジネスモデルが持続可能なのか、どんな用途で本当に競争力を発揮できるのか、業界全体が学びを深めている段階といえるでしょう。
中国が製造で圧倒的な優位性を持つ中、米国や日本はどのような戦略で対抗していくべきなのか。皆さんはこの技術競争の行方をどう見ていますか?データセンターや再生可能エネルギーの普及が加速する中で、エネルギー貯蔵の未来について一緒に考えていければと思います。