Masimo勝訴、Apple Watchに634億円の賠償判決 – 「患者モニター」定義が法廷闘争の焦点に

[更新]2025年11月16日

 - innovaTopia - (イノベトピア)

11月15日、カリフォルニア州の連邦陪審は、AppleがMasimoの血中酸素モニタリング特許を侵害したとして、6億3400万ドルの賠償金支払いを命じた

陪審は、Apple Watchの心拍数通知機能とワークアウトモードがMasimoの特許を侵害していると判断した。賠償額はカリフォルニア州中部地区における消費者技術分野で最大級のものの一つで、Masimoが要求した6億3400万ドルから7億4900万ドルの範囲の下限となった。

Appleは損害賠償を300万ドルから600万ドルに制限すべきだと主張していた。判決は4300万台のデバイスを対象としている。Appleは判決に同意せず控訴する意向を示し、問題の特許は2022年に期限切れとなっており数十年前の患者モニタリング技術に特化したものだと述べた。

両社の法廷闘争は長年続いており、2023年には10億ドル規模の訴訟が裁判不成立に終わった。

From: 文献リンクMasimo awarded $634M in Apple Watch patent infringement verdict

【編集部解説】

今回の判決は、単なる特許訴訟の枠を超えて、テクノロジー業界における知的財産権保護のあり方を問う重要な事例となっています。6億3400万ドルという賠償額は、カリフォルニア州中部地区における消費者技術分野で最大級のものの一つです。

この訴訟の核心は「patient monitor(患者モニター)」という用語の解釈にありました。Masimoの特許番号10,433,776は低消費電力パルスオキシメーター技術に関するもので、2022年に既に期限切れとなっています。しかし陪審は、2020年から2022年に販売された約4300万台のApple Watchがこの特許を侵害していたと判断しました。

Appleは、Apple Watchはユーザーが10分間静止している時のみ心拍数異常を通知する設計であり、重要な医療イベントを見逃さないよう設計された臨床モニタリング機器とは異なると主張しました。一方Masimoは、Apple Watchが安静時の高心拍数を95パーセントの精度で検出できることから、特許が定義する「患者モニター」の要件を満たしていると論じました。

さらに注目すべきは、Masimoが法廷でApple自身の内部文書を証拠として提示したことです。その文書にはApple Watchを「世界で最も使用されている心拍数モニター」と記述されており、これが陪審の判断に影響を与えたと見られています。

この法廷闘争の背景には、2013年に遡る複雑な経緯があります。当時AppleはApple Watch開発のためMasimoとの提携を模索していました。しかし最終的にAppleは買収を見送り、代わりにMasimoの最高医療責任者や関連会社Cercacorの最高技術責任者を含む、少なくとも20名の従業員を引き抜いたとされています。

特に問題視されたのが、Cercacorの最高技術責任者だったMarcelo Lamego氏のケースです。同氏は2014年初頭にAppleに入社し、わずか2週間で12件の特許を申請、その後6ヶ月間の在籍期間中に多数の特許発明者として名を連ねました。Masimoは、これらの特許の多くが同社が20年前から開発していた技術に基づくものだと主張しています。

2023年10月、米国国際貿易委員会(ITC)はAppleがMasimoの特許を侵害していると判断し、Apple Watch Series 6、7、8、9、Ultra 2の輸入を禁止しました。Appleはこれに対応して血中酸素測定機能をソフトウェアで無効化することで輸入禁止を回避しました。

2025年8月、Appleは新たな回避策を導入しました。血中酸素の測定と計算をApple Watch本体ではなく、ペアリングされたiPhoneで行う方式です。しかしMasimoは、この新方式の承認を行った米国税関・国境警備局を訴えており、ITCも11月14日に再調査を開始する命令を出しました。

皮肉なことに、2024年10月にはMasimo自身がAppleのデザイン特許を侵害したとして、わずか250ドルの支払いを命じられています。Masimoは独自のスマートウォッチを発売しており、Appleはデザイン特許侵害で反訴していました。

今回の判決がテクノロジー業界に与える影響は小さくありません。Appleは過去6年間で25以上の特許を巡ってMasimoから訴えられ、その大半が無効と判断されたと主張していますが、今回は陪審がMasimo側の主張を認めた形となりました。

Appleは控訴する意向を表明しており、この法廷闘争はまだ終わりそうにありません。しかし今回の判決は、大企業であっても中小企業の知的財産権を尊重しなければならないという明確なメッセージを発信したと言えるでしょう。

医療技術と消費者向けウェアラブルデバイスの境界線は曖昧になりつつあります。Apple Watchのような製品が健康モニタリング機能を強化するにつれ、医療機器メーカーが長年培ってきた技術との区別がますます困難になっています。今回の判決は、この新しい市場環境における知的財産権の扱いについて、重要な先例となる可能性があります。

【用語解説】

パルスオキシメトリー(Pulse Oximetry)
血中酸素飽和度(SpO2)と脈拍数を非侵襲的に測定する技術である。赤色光と赤外光の2つのLEDを使用し、ヘモグロビンの酸素結合状態を測定する。従来のパルスオキシメーターは体動時や低灌流状態では正確な測定が困難だったが、Masimoの信号抽出技術(SET)はこれらの課題を克服した。

患者モニター(Patient Monitor)
患者の生理学的パラメータを継続的に監視する医療機器である。本訴訟では、Apple Watchがこの定義に該当するかが争点となった。臨床現場では重要な医療イベントを見逃さないことが求められる。

信号抽出技術(Signal Extraction Technology, SET)
Masimoが開発した特許技術で、体動やノイズの影響下でも正確な血中酸素飽和度測定を可能にする。複数の並列処理エンジンを使用し、動脈血と静脈血の信号を分離して抽出する。

国際貿易委員会(ITC)
米国の独立連邦機関で、不公正な貿易慣行や特許侵害製品の輸入を調査・規制する権限を持つ。大統領または通商代表が60日以内に拒否権を行使できるが、拒否権の発動は稀である。

特許番号10,433,776
今回の訴訟で問題となったMasimoの低消費電力パルスオキシメーター技術に関する特許。2022年に期限切れとなったが、2020年から2022年に販売された製品に対する侵害が認められた。

【参考リンク】

Masimo Corporation(外部)
医療技術企業Masimoの公式サイト。パルスオキシメトリー技術や患者モニタリングソリューションの情報を提供。

Masimo SET® Pulse Oximetry(外部)
信号抽出技術(SET)の詳細ページ。体動や低灌流時でも正確な測定を実現する技術について解説。

Apple Watch(外部)
Appleのスマートウォッチ製品ページ。健康モニタリング機能を含む製品情報を掲載している。

U.S. International Trade Commission(外部)
米国国際貿易委員会の公式サイト。特許侵害製品の輸入規制などに関する情報を提供している。

Daily Journal(外部)
カリフォルニア州の法律専門紙。今回の判決を詳細に報じた信頼性の高い情報源である。

【参考記事】

Masimo wins $634 million verdict against Apple in high-stakes patent fight over Apple Watch(外部)
Daily Journalによる詳細な裁判報道。「患者モニター」の定義を巡る法廷での議論や、約4300万台が対象となった経緯を報じている。

Apple hit with $634 million verdict in Apple Watch patent fight with Masimo(外部)
特許番号10,433,776の詳細と、Masimoが高心拍数通知機能を証拠として使用した戦略について解説。

Jury says Apple owes Masimo $634M for patent infringement(外部)
パルスオキシメトリー技術の仕組みと、2025年8月にAppleが導入したiPhoneでの測定方式について報じている。

Masimo Seeks $634M+ from Apple(外部)
2013年からの両社の関係と、Appleが約25名のMasimo従業員を採用した経緯を詳述している。

An Orange County entrepreneur’s $60-million legal battle to stop Apple from steamrolling startups(外部)
Masimo創業者Joe Kianiのインタビューを含む詳細な背景記事。Appleが提携を模索し従業員を引き抜いた過程を報じている。

Apple Watch health monitoring patent dispute – Wikipedia(外部)
2020年から続く特許紛争の全体像と、ITCによる輸入禁止措置の経緯を時系列で整理している。

【編集部後記】

私たちが日常的に身につけているスマートウォッチが、実は医療技術の最前線で繰り広げられる知的財産権の激しい攻防の産物だということを、今回の事案は改めて教えてくれます。

Apple Watchのような製品は、もはや単なる時計ではなく、病院の患者モニターに匹敵する精度を持つ健康管理デバイスへと進化しています。その進化の裏側で、医療技術企業が数十年かけて培ってきた技術との境界線が曖昧になっているのです。

みなさんは、手首につけているデバイスが「患者モニター」だと感じたことはあるでしょうか。今後、ヘルステック領域がさらに発展する中で、医療と消費者向け製品の境界はますます曖昧になっていくはずです。この変化を、私たちはどう捉えていくべきなのでしょうか。

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Satsuki
テクノロジーと民主主義、自由、人権の交差点で記事を執筆しています。 データドリブンな分析が信条。具体的な数字と事実で、技術の影響を可視化します。 しかし、データだけでは語りません。技術開発者の倫理的ジレンマ、被害者の痛み、政策決定者の責任——それぞれの立場への想像力を持ちながら、常に「人間の尊厳」を軸に据えて執筆しています。 日々勉強中です。謙虚に学び続けながら、皆さんと一緒に、テクノロジーと人間の共進化の道を探っていきたいと思います。

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