英国の科学技術大臣Liz Kendallは、AI企業が無償で著作権保護作品をスクレイピングすることに対し、アーティスト側に同情的な姿勢を示した。前任者Peter Kyleがアーティストに能動的なオプトアウトを求める方針だったのに対し、Kendallは「人々は自分の仕事に対して報酬を得たいと正当に望んでいる」と述べ、方針転換を示唆した。
今月、Paul McCartneyは抗議の意思表示として2分45秒の無音トラックをリリースした。Kate Bush、Sam Fender、Pet Shop Boys、Hans Zimmerもこのキャンペーンを支持している。Elton Johnは英国政府を「absolute losers」と呼び、Kyleを「a bit of a moron」と批判した。Kendallは文化大臣Lisa Nandyと共に、クリエイティブセクターとAIセクターの双方と議論を「リセット」している。
AnthropicはAI企業として15億ドルの法的和解を行い、訓練に使用した約50万冊の書籍の検索可能なデータベースを先月公開し、著者は約$3,000の支払いを請求できる。政府の初期報告書は年末まで、実質的報告書は2026年3月までに公表予定である。
From:
Minister indicates sympathy for artists in debate over AI and copyright
【編集部解説】
英国政府のAI著作権政策が重要な転換点を迎えています。2025年9月にPeter Kyleに代わって科学技術大臣に就任したLiz Kendallが、前任者とは異なるアプローチを示したことは、この問題の政治的な複雑さを物語っています。
Kyleが推進していたのは、いわゆる「オプトアウト方式」でした。これはAI企業が著作権保護作品を自由に学習データとして使用でき、クリエイターは自ら能動的にオプトアウトしなければならないという仕組みです。しかしこの方針は、英国のクリエイティブ産業から激しい反発を招きました。
特筆すべきは、世界最大級のAI企業Anthropicが2025年9月に15億ドルという巨額の和解金を支払った事例です。著作権侵害訴訟Bartz v. Anthropicにおいて、Anthropicは海賊版サイトLibrary GenesisやPirate Library Mirrorから約50万冊の書籍を無断でダウンロードしてAIモデルClaudeの訓練に使用していたことが発覚しました。和解により、著者1人あたり約$3,000が支払われることとなり、これは米国史上最大の著作権和解となりました。
この和解は、AI企業が著作権を無視したコストが決して軽くないことを示しました。判事は、Anthropicが海賊版サイトから700万冊以上の書籍を違法にダウンロードしたと認定しており、もし裁判が続いていれば、法定損害賠償は1作品あたり最大$150,000に達する可能性がありました。和解の一環として、2025年10月2日には約50万冊の書籍の検索可能なデータベースが公開され、著者は自分の作品が使用されたかを確認し、2026年3月23日までに請求を提出できるようになりました。
英国では、貴族院議員で映画監督のBeeban Kidronが、AI企業に対して使用した著作物の透明性開示を義務付ける修正案を提出しました。2025年5月12日、この修正案は貴族院で272対125という大差で可決されました。しかし、Kyle率いる政府は下院でこの修正案を4度にわたって削除。最終的に2025年6月、Kidronらは修正案を撤回し、Data (Use and Access) Billは政府案のまま成立しました。
ここで注目すべきは、英国のクリエイティブ産業の規模です。この産業は年間£126bnの経済価値を生み出しており、240万人の雇用を支えています。政府が期待するAIによる経済効果は£47bnと試算されていますが、これはクリエイティブ産業の価値の半分以下です。しかも、このAI効果の大部分は米国や中国に本社を置くテック企業に吸収される可能性が高いのです。
アーティストたちの抗議は続いています。Paul McCartneyは今月(2025年11月)、抗議の意思表示として2分45秒の無音トラックをアルバム「Is This What We Want?」に提供しました。このアルバムは2025年2月にデジタルリリースされ、英国アルバムチャートで38位を記録しました。今回McCartneyの新曲「Bonus Track」が追加され、12月8日にビニール盤として1,000枚限定でリリースされます。Kate Bush、Hans Zimmer、Damon Albarn、Annie Lennoxなど1,000人以上のアーティストが参加し、空のスタジオや演奏会場の録音で構成されています。これは、AI企業が著作権を無視し続ければ、音楽の未来は「沈黙」になるという象徴的なメッセージです。
Elton Johnは2025年5月、BBCのインタビューで英国政府を「absolute losers(完全な敗者)」と呼び、Peter Kyleを「a bit of a moron(ちょっとした馬鹿)」と表現しました。400人以上のアーティストが署名した公開書簡では、若いアーティストたちが自分の作品をコントロールする権利を失い、報酬を得られなくなることへの懸念が表明されました。
Kendallの方針転換は、単なる政治的なジェスチャーではありません。彼女は文化大臣Lisa Nandyと共に、クリエイティブセクターとAIセクターの「リセット」を約束しました。Kendallが9月に任命した特別顧問は、以前「大手AI企業がコンテンツクリエイターに補償すべきかどうかを哲学的に信じているかどうかにかかわらず、実際には法的に補償する必要はない」と述べていましたが、Kendallは「政府のために働く前の見解は、政府の見解ではない」と明言しました。
政府の初期報告書は2025年末まで、より実質的な報告書は2026年3月までに公表される予定です。しかし、Kidronは政府に対し、AI企業との公共セクター契約をただちに停止すること、AI企業に訓練データの透明性を要求すること、著作権を尊重するコミットメントを求めることを提案しています。
この問題は、技術革新と知的財産権保護のバランスという普遍的な課題を浮き彫りにしています。Anthropicの和解は、AI開発が著作権を無視して進められるべきではないという重要な前例を作りました。一方で、15億ドルという金額は、Anthropicの$183bn(約18.3兆円)という評価額の0.8%に過ぎません。この程度のコストであれば、大手AI企業にとっては十分に支払い可能な範囲です。
しかし、小規模なAIスタートアップにとっては、このような和解金や訴訟リスクは参入障壁となり、AI産業が資本力のある大企業に集中する可能性があります。これは、規制が既存の大企業を保護し、新規参入を阻害するという皮肉な結果を生むかもしれません。
英国の決断は、他国のAI著作権政策にも影響を与える可能性があります。Kendallのアプローチが実際にクリエイターとAI企業の両方を満足させる解決策を生み出せるかどうか、世界中が注目しています。
【用語解説】
LLM(Large Language Model / 大規模言語モデル)
膨大なテキストデータを学習することで、人間のような自然な文章生成や対話を可能にするAIモデル。ChatGPTやClaudeなどが代表例。効果的に機能するためには、数百万から数十億のパラメータと大量の学習データが必要となる。
オプトアウト方式
AI企業が著作権保護作品を自由に学習データとして使用でき、著作権者は自ら能動的に「使用を拒否する」意思表示をしなければならない仕組み。これに対し、オプトイン方式は事前に許諾を得る必要がある仕組みを指す。
Library Genesis(LibGen)
世界最大級の海賊版電子書籍サイトの一つ。学術書や小説など数百万冊の書籍を無料で違法にダウンロード可能にしており、出版業界から長年問題視されている。AI企業の学習データ取得源として使用されたことが訴訟で明らかになった。
Pirate Library Mirror(PiLiMi)
Anna’s Archiveのミラーサイトで、Library Genesisと同様に大量の海賊版書籍を提供するプラットフォーム。AI企業が学習データを大量に取得するために利用していたことが、Anthropic訴訟で判明した。
Data (Use and Access) Bill
英国政府が2024年に導入したデータ利用とアクセスに関する法案。AI開発のためのデータ利用を促進する内容が含まれているが、著作権保護を求めるクリエイティブ産業からの強い反対に直面した。2025年6月に成立。
貴族院(House of Lords)
英国議会の上院。世襲貴族、一代貴族、聖職貴族などで構成される。下院(House of Commons)で可決された法案を審議・修正する権限を持つが、最終的な決定権は下院にある。
クロスベンチ貴族(Crossbench peer)
英国貴族院において、労働党・保守党などの政党に所属せず独立した立場で活動する議員。Beeban Kidronはクロスベンチ貴族として著作権保護の修正案を提出した。
Is This What We Want?
2025年2月にデジタルリリースされた、AI著作権問題に抗議する無音アルバム。1,000人以上のアーティストが参加し、空のスタジオや演奏会場の環境音のみで構成される。12月8日にビニール盤1,000枚限定でリリース予定。
【参考リンク】
Anthropic(外部)
ClaudeシリーズのAIモデルを開発する米国のAI企業。2025年9月に著作権侵害訴訟で15億ドルの和解金を支払った。
Bartz v Anthropic Settlement Site(外部)
Anthropic著作権和解の公式サイト。約50万冊の書籍リストが検索可能で、著者は作品使用を確認できる。
Department for Science, Innovation and Technology (DSIT)(外部)
英国の科学・イノベーション・技術省。AI政策や著作権法改正を担当し、Liz Kendallが大臣を務める。
Baroness Beeban Kidron(外部)
映画監督でクロスベンチ貴族。AI企業に著作物使用の透明性開示を義務付ける修正案を提出した。
Paul McCartney – AI抗議活動(外部)
Paul McCartneyの公式サイトより、AI著作権問題への抗議として無音トラックをリリースした経緯。
Copyright Alliance – Bartz v. Anthropic解説(外部)
著作権保護団体による和解の詳細解説。クラスアクション訴訟の仕組みを包括的に説明。
Authors Guild – Anthropic和解情報(外部)
米国作家協会による著者向け和解情報。作品リストの検索方法や請求手続きの詳細を掲載。
【参考記事】
Anthropic pays authors $1.5 billion to settle copyright infringement lawsuit – NPR(外部)
AnthropicがLibrary GenesisやPirate Library Mirrorから700万冊以上の海賊版書籍をダウンロードし、AIモデルClaudeの訓練に使用していた事実と15億ドルの和解に至った経緯を詳細に報じる。
Anthropic’s $1.5 billion copyright settlement with authors – Fieldfisher(外部)
法律事務所による和解の法的分析。約50万作品に対し1作品あたり$3,000の支払い、データセットの破棄義務、今後の訴訟可能性について解説している。
Anthropic reaches $1.5 Billion settlement with authors in landmark copyright case – Fortune(外部)
AI時代最初で最大級の法的支払いとなった和解の意義を分析。Anthropicの$183bn評価額と$5bn以上の年間収益見込みとの対比で和解金の影響を考察している。
Elton John Calls U.K. Government ‘Absolute Losers’ Over A.I. Copyright Plans – Rolling Stone(外部)
Elton Johnが英国政府を「absolute losers」、Peter Kyleを「a bit of a moron」と呼んだBBCインタビューの内容と400人以上のアーティストによる公開書簡について報道している。
Opt out or get scraped: UK’s AI copyright shake-up has Elton John, Dua Lipa fighting back – CNBC(外部)
Beeban Kidron修正案の内容と、AI企業に使用著作物の開示を義務付ける透明性要件について詳述。著名アーティストによる支持の背景を分析している。
Solving AI and copyright issue ‘will not be kicked into long grass’, says Nandy – LBC(外部)
文化大臣Lisa NandyがLiz Kendallとの会話を引用し、AI著作権問題を「長期化させない」と約束。政府が方針転換を認めた重要な発言を報じている。
Paul McCartney Contributes Track to Silent Album Protesting UK AI Copyright Laws – Consequence(外部)
Paul McCartneyが2分45秒の無音トラックを提供した抗議アルバム「Is This What We Want?」について。1,000人以上のアーティストが参加し12月8日にビニール盤リリース予定。
【編集部後記】
AI技術の発展は、私たちにとって疑いなく大きな可能性を秘めています。同時に、この記事が示すように、誰かの創造物を学習データとして使うことの是非という、極めて本質的な問いを突きつけています。Anthropicの15億ドルという和解金額は、この問題が単なる法律論ではなく、クリエイターの生存権に関わる実質的な経済問題であることを物語っています。みなさんは、AIが人間の創造性を学習し、それを基に新たなコンテンツを生み出すことについて、どのように感じられるでしょうか。私たち編集部も、技術革新と倫理のバランスをどう取るべきか、明確な答えを持っているわけではありません。ただ、この議論が世界中で展開される今、一緒に考え続けることが大切だと感じています。
























