日本政府は、生成AIの急速な発展を背景に、AIの研究開発と社会実装を国家的に推進するための「人工知能基本計画」の策定を進めている。目的は「世界で最もAIを開発・活用しやすい国」を実現することであり、2025年9月に全面施行された「人工知能関連技術の研究開発及び活用の推進に関する法律(AI推進法)」に基づく国家計画として位置づけられている。
日本は、AIの利用と投資の両面で主要国に遅れを取っている。民間AI投資額では世界14位にとどまり、生成AIの利用経験は2024年時点で個人26.7%、企業55.2%と、米国や中国、欧州主要国に比べて低い水準にある。政府はこの現状を「反転攻勢の好機」と捉え、AIを社会全体で積極的に活用・開発する方向へ政策を転換している。
人工知能基本計画は、「人間中心」「アジャイル(迅速)」「内外一体」という三つの基本原則を掲げている。人間中心とは、AIを人の判断や創造性を支える技術として活かすこと。アジャイルは、急速な技術進化に対応する柔軟な政策運用を指し、計画を毎年改訂する方針を含む。内外一体は、国内政策と国際協調を連動させ、G7広島サミットで主導した「広島AIプロセス」を軸に国際的なAIガバナンス形成に関与する姿勢を示す。
この理念を具体化するために、四つの基本方針が設定された。「AIを使う(利活用の加速)」「AIを創る(開発力の強化)」「AIの信頼性を高める(ガバナンスの主導)」「AIと協働する(社会変革)」の四つである。行政や教育、医療、防災など幅広い分野でAIの導入を進めるとともに、日本語データや高性能半導体などの開発基盤を整備し、AIの安全性評価や国際連携を推進する。また、教育・雇用制度の改革やリスキリング支援を通じて、AIと共に働き生きる社会の形成を目指す。
これらの方針は、AIの利活用・開発・信頼・協働を循環的に推進することで、AIが自然に社会に根づく仕組みをつくることを意図している。政府は、イノベーションの促進とリスク対応を両立させながら、AIを通じて日本の経済再生と社会的包摂を実現する戦略を進めている。
この「人工知能基本計画」は現在、骨子(たたき台)であり、2025年内を目途に閣議決定される予定である。
【編集部解説】
目次
- 日本はどれだけ遅れていて、どれだけ不利を負っているのか
- 日本がAIで負けるということは、どういうことを意味するのか
- AI発展のために日本はどのようなことに取り組んでいるのか
- 内閣は、AIをどのようにして社会に貢献させようとしているのか
- 企業ではなく、国民一人ひとりが何ができるのか
日本はどれだけ遅れていて、どれだけ不利を負っているのか
日本のAI分野の遅れは、単なる戦略上の出遅れだけではありません。根本的に、物理的な条件そのものが不利なのです。
日本は、人口1.2億規模の国ですが、アメリカの約3分の1、中国の10分の1以下しかいません。経済規模では世界有数とはいえ、国内に流通する日本円の総量はドルや人民元に比べて圧倒的に小さく、AI分野への民間投資力にも差が出ます。2024年時点での民間AI投資額は約9億ドル(世界14位)にとどまり、アメリカ(約1,091億ドル)や中国(約93億ドル)と比べると桁が違います。資本の絶対量が少ない国が、同じ土俵でモデル開発競争を行うのはそもそも容易ではありません。
さらに、日本語という言語的制約もあります。英語や中国語のように、何億という話者を持つ言語では、膨大なテキストデータを容易に収集できますが、日本語話者は世界人口のわずか1.5%前後にすぎません。つまり、日本語でAIを訓練しようとすれば、データ量そのものが桁違いに少なく、開発コストは必然的に高くなります。日本語に最適化されたAIも少なく、利用のハードルが高いということにもつながります。
AI開発の基盤であるGPU(高性能半導体)も不足しており、データセンターを建設する土地も狭い。AIの計算資源を大規模に回すには限界があります。
こうした現実を踏まえると、日本がAI競争で不利なのは当然の帰結に見えます。しかし問題は、それでもなお、同じように人口規模が小さいドイツ(約8000万人)や韓国(約5000万人)にも後れを取っているという事実です。個人の生成AI利用率を見ても、日本は2024年で26.7%にとどまる一方、ドイツは59.2%に達しています。企業での業務利用率も、日本が55.2%に対してドイツは90.3%。人口で大きく下回るドイツが、より積極的にAIを使いこなしているのです。韓国も民間投資額は約13億ドルと、日本の1.5倍近い金額となっています。つまり、日本の遅れは単に規模の問題ではなく、社会の学習速度の問題でもあります。
AIは「使うこと」からしか始まりません。使えば使うほどデータが蓄積し、改善のサイクルが生まれ、技術が磨かれていく。日本ではその初期段階、つまり「まず使ってみる」という行動自体が少ないため、社会全体の経験値が上がらない。これは、単なる統計上の差ではなく、AI時代の社会設計における時間の差とも言えます。ドイツはその時間をすでに先に使い始めており、日本はまだ準備の段階にとどまっているのです。
とはいえ、こうした状況をもって「もう追いつけない」と結論づけるのは早計です。むしろ、政府が「反転攻勢の好機」と表現するように、日本の課題は明確で、打ち手も整理されつつあります。物理的条件で勝てないなら、社会全体の運用力と信頼性で勝負する。そのための国家戦略が、今まさに動き始めています。
日本がAIで負けるということは、どういうことを意味するのか
AIの主導権を失うことは、経済や産業の競争力だけでなく、言語と文化、知的資産の扱われ方まで他国の設計に委ねることを意味します。海外の高度なモデルやサービスを使うこと自体は悪いことではありませんが、社会の基盤までそれに依存する状態になると、意思決定のスピードと質、データの流通、学習の優先順位、さらには文化の扱い方までが外部の論理で決まっていきます。
日本語という言語の特性も、ここで無視できません。日本語には語と語の間に空白が入らないため、まず「どこで分かち書きするか」という前処理が欠かせず、その設計が下流の性能を大きく左右します。トークナイザや形態素解析の選択が下流タスクの正解率に直結することは、学術研究でも繰り返し指摘されています。
敬語や文脈依存の表現、漢字・ひらがな・カタカナが混在する表記の揺れなども、モデルにとっては追加の難しさになります。これらは、単なる「感覚的に難しい」という話ではなく、自然言語処理の評価でも違いが測定されている技術的事実です。
仮に海外への依存度が高まれば、学習コストが高く、利用者の少ない日本は、英語や中国語よりも最適化が後回しになりやすいのです。
それだけでなく、モデルの仕様変更や料金体系の変更、それだけでなく世界情勢や為替の変動が国内の事業や行政に直撃します。APIの価格改定や利用条件の変更、あるいは学習方針の転換といった判断が国外で行われ、それが日本の教育、医療、メディアの現場にそのまま波及します。
さらに、コンテンツの取り扱い方にも齟齬が生じます。文脈や文化的背景を十分に理解しないまま最適化されたモデルが、表現の細部を誤って学習・生成し、その誤った出力が検索や業務システムに再循環することで、日本語の意味づけ自体が少しずつ変質していきます。
著作権の面でも、国内で生まれた文化資産や研究成果が学習素材として取り込まれても、開発主体が日本でなければ、対価や信用の還流は限定的になりやすいという構造が残ります。
だからといって海外の学習や流通から完全に距離を置けば、今度は世界の標準や発展速度から外れてしまいます。AIはすでに国際的なインフラに近づいており、独力で全てを賄うのは現実的ではありません。人口、資金、データ、計算資源の絶対量を考えれば、孤立は品質と速度の両面で不利を拡大させます。
結局のところ、日本に求められるのは、世界とつながり続けながら、日本語と日本の文化を正しく扱える学習・評価・運用の能力を国内側にも確保することです。すなわち、開発と利用の両面での不可欠性を一定割合持ち、国際連携と国内最適を行き来できる状態をつくることが、主権と実利を両立させる現実解になります。
AI発展のために日本はどのようなことに取り組んでいるのか
日本は、AI分野での遅れを取り戻すために、ようやく自国の足場を固め始めています。「人工知能基本計画」では、AIの社会実装と同時に、国内での開発力強化が重視されています。官民が連携し、研究・学習データ・法整備・ガバナンスのそれぞれを組み合わせて、一つのエコシステムを築こうとしています。
その象徴のひとつが、NTTと富士フイルムによる純国産の日本語特化LLM「tsuzumi 2」です。日本語を中心に設計され、日本の企業や行政での利用を想定して構築されています。日本語の文脈理解や敬語表現、語彙の多様性といった独自の特性に最適化されており、日本語で考えるAIとしての方向性を示しています。言語的主権を守るという点でも、これは重要な試みです。

一方、国立情報学研究所(NII)と国立国会図書館が進める共同プロジェクトでは、官公庁出版物や公共情報を中心に、著作権的に明確で安心して利用できる学習データの整備が進んでいます。これは、無断収集や著作権侵害のリスクをはらむ海外の無差別学習に対して、日本が選んだもう一つの道です。透明性と信頼性を担保したAI開発によって、社会的に安心して使えるモデルを育てようというものです。

こうした流れの背景には、「より安全で、より高品質なAIで競う」という構図があります。現行の海外のAIモデルが大量のデータを無差別に学習することで成長してきたとすれば、日本はその逆を行こうとしているのです。品質、信頼、そして文化的精度を前提とするAI、それを社会の中で当たり前のように使える環境を整えることが、日本が選んだ競争軸です。
これは防御ではなく、むしろ攻めの戦略です。今の世界には、データや知的財産を「正しく売る店」が存在しません。だから、多くのAI企業は欲しいものを先に取った者勝ちの状態で開発を進めています。ルールが整う前に市場が拡大し、誰が何を使ったのかも曖昧なまま、知的財産や文化的資産が世界中で消費されているのが現状です。言い換えれば、まだ秩序ができていない知のフロンティアで、誰もが旗を立てようとしている段階なのです。
日本の動きは、その混乱の中で正規の市場を作る方向を目指しているように見えます。つまり、法整備を進め、リテラシーを高め、財産をきちんと管理し、安心して取引できる仕組みを整えること。これによって、無断利用を減らすだけでなく、もしトラブルが起きても交渉や修正が可能な状態を作る。最初の取引が完璧でなくても、正しいルールのもとで交渉が続けられれば、市場は成熟します。今求められているのは、「知を守る」から「知を扱える」社会への転換なのです。
また、海外が日本語や日本文化に本格的に参入しようとする際、「日本産データを正式に購入せざるを得ない構図」をつくるという目的も考えられます。つまり、認可されたデータを用いたAIが正規品であり、無断利用されたものは非認可モデルとして扱われる仕組みを整えることです。そうなれば、日本は文化的・言語的な主権を維持しつつ、自らの知的財産を利益に変えることができます。データや文化を単なる守る対象ではなく、価値として流通させる資源に転換する、そして、それを利用するユーザーが多くいる。それこそが、日本が描く新しいAI戦略の姿です。
内閣は、AIをどのようにして社会に貢献させようとしているのか
日本政府が描くAI社会の理想は、「人とAIが協働する社会」を実現することです。その指針として、「使う」「創る」「信頼」「協働」という四つの方針と、「人間中心」「アジャイル」「内外一体」という三つの原則が掲げられています。
AI推進法が示す通り、日本が採用した極めて実践的な姿勢です。2025年9月に全面施行されたこの法律では、AIをめぐる不安や課題があっても、社会全体で、まず「使う」ことが奨励されています。課題が見つかれば都度、最適な方向に転換していくという考え方です。

これは、従来の日本的な慎重さとは対照的な発想です。新しい制度や技術に対して失敗しないことを最優先してきた社会から、失敗しても学ぶことを優先する社会に向けて、その価値観の転換を促す方針です。行政や企業がAI導入を進めても、国民一人ひとりが使ってみなければ、社会は変わりません。AIを他人の技術ではなく、自分の生活や仕事を支える道具として扱うこと。その体験が広がることで、初めて課題も可視化され、制度も進化していく。政府はこのサイクルを「反転攻勢の起点」として位置づけています。
また、AIとは言語や画像に限りません。その一つが、世界的に高く評価されている日本のロボティクス技術と生成AIを組み合わせる「フィジカルAI」の開発です。これまでのAIがテキストや画像といったデジタル情報を生成してきたように、フィジカルAIは動作を生成するのです。工場の生産ラインの自律化、災害現場での探索、介護や医療の支援など、現実世界の課題解決に直結する応用が期待されています。
こうした分野では、日本が長年培ってきた精密制御やセンサー技術をはじめ、世界有数のロボティクス技術を生かすことで、AIの「創る」領域でも独自の強みを発揮しています。言語・文化に加え、実体を持つ技術との掛け合わせによって、日本は知的にも物理的にも世界市場における影響力を保とうとしているのです。
そして、内閣府の骨子には、「積極的な国際連携で、我が国を多様なAIイノベーションの結節点とする」と明記されています。日本は独立や孤立を望んでいません。むしろ、AIという国際的な技術潮流の中で、信頼できる協調の中心地になることを目指しています。これは単なる外交的表現ではなく、日本の立場に即した現実的な選択でもあります。
日本は人口も資本も限られた小さな国です。世界的なAI開発競争の中で、規模では勝てない。だからこそ、他国とつながる場所を持つことが重要になります。AIの開発・活用をめぐるネットワークの中で、日本が価値ある存在となるための鍵は、すでに手元にあるのです。これを生かせる社会的基盤、つまり、AI市場の成熟したにぎわいも必要です。店(データの質)と客(AIを使う社会)その両方がそろって初めて、日本は国際的な結節点になり得ます。
特に、この「内外一体」の方針は、単なる国際協調のスローガンではなく、小さな国だからこそ取れる差別化された席の確保を目指す戦略だと考えられます。世界がAIの言語や文化をめぐって拡大するなか、日本はつながる技術国家として、信頼・品質・文化を売りにできる唯一のポジションを狙っています。
企業ではなく、国民一人ひとりが何ができるのか
AIの時代をどう生きるか。それは、もはや政府や企業だけの課題ではありません。AIを社会に根づかせるということは、私たち一人ひとりがその共創者になるということです。政策や技術がどれほど進んでも、最終的にそれを使いこなすのは人間です。AIを「使う」という行為は、単なるツールの利用ではなく、自らの判断と想像力を通じて社会を更新していく営みでもあります。
まず、AIを日常の中で使ってみることが大切です。文章の下書き、翻訳、学習の補助、情報整理など、小さな用途からで構いません。実際に使うことで初めて、便利さと違和感の両方が見えてきます。その経験が社会の中で共有されることで、改善の方向が明らかになり、政策も現場に根づいていきます。日本が「AIを開発・活用しやすい国」になるためには、この使って考える市民が増えることが前提です。AIは専門家のものではなく、誰もが向き合う生活技術になりつつあります。
同時に、私たちはAIの「正しさ」や「安全性」をただ受け取るのではなく、考える立場にもあります。どのようなデータが使われているのか、どんな判断基準で結果が導かれているのかを問いを持ち続けることが、AI社会の健全性を支える力になります。使うことと考えること。その両輪があって初めて、AIとの共生は現実のものになります。
そしてもう一つ、意識したいのは「共有する」ということです。AIを使って得た発見や工夫を他者と分かち合うことが、社会全体の学習を早めます。AIの可能性を広げるのは、特別な専門知識ではなく、多様な視点からの試行錯誤です。失敗も含めて経験を共有することが、日本のAIリテラシーを底上げしていく力になります。AIを使うことが、批判や恐れではなく、探究と創意の文化につながるような社会を目指す。その意識の広がりが、日本のAI戦略の真価を決めていくでしょう。
AIは、遠い未来の象徴ではなく、いま目の前にある社会の鏡です。どのように使い、どのように向き合うかによって、私たち自身のあり方が問われます。日本が「世界で最もAIを開発・活用しやすい国」になるという目標は、政府のスローガンであると同時に、私たち一人ひとりへの問いでもあります。AIと共に考え、学び、創る。その積み重ねが、これからの日本社会を形づくるのです。
【参考リンク】
内閣府「人工知能基本計画(骨子・たたき台)」(外部)
人工知能基本計画の原案として公表された文書で、AI推進法に基づく国家戦略の方向性を示す。AI利活用の促進、開発力の強化、ガバナンスの確立、人材育成など、政府が掲げる四つの基本方針と三原則の概要を記載している。
内閣府「人工知能関連技術の研究開発及び活用の推進に関する法律(AI推進法)」(外部)
2025年9月に全面施行された日本初のAI総合推進法。AIを規制対象ではなく推進対象として位置づけ、研究開発から社会実装、国際連携までを包括的に支援する法的枠組みを定めている。
内閣府「人工知能戦略本部」第1回会合資料(外部)
AI推進法の施行を受けて開催された初会合の資料で、人工知能基本計画の骨子や今後の検討体制がまとめられている。政府のAI政策の具体化に向けた初期段階の議論内容を確認できる。
首相官邸「第1回人工知能戦略本部」開催ページ(外部)
首相官邸公式サイトによる会議記録で、石破首相(当時)をはじめ関係閣僚による発言や議題が掲載されている。AI推進法の施行を受けた政府全体の方針決定プロセスを把握できる。
総務省「広島AIプロセス」(外部)
2023年のG7広島サミットで日本が主導した国際的AIガバナンス構築の枠組み。生成AIを含む先端技術の利活用とリスク対応の両立を目的とし、信頼性・透明性・人間中心の原則を共有する国際合意として位置づけられている。
NTT研究開発「tsuzumi 2」(外部)
NTTが開発する日本語特化型大規模言語モデルの第2世代。高精度な文脈理解と軽量化を両立させ、企業・行政向けに安全かつ高品質な日本語生成を目指している。国産LLMの代表例とされる。
国立情報学研究所大規模言語モデル研究開発センター(外部)
国立情報学研究所(NII)が設立した研究拠点で、日本語を中心としたオープンな大規模言語モデルの研究開発を推進している。官公庁資料や公共データを活用した学習基盤の整備を進める。
【参考記事】
LLM‑jp: A Cross‑organizational Project for the Research and Development of Fully Open Japanese LLMs(外部)
日本語特化の大規模言語モデル開発を目的としたプロジェクト“LLM-jp”の論文。日本語話者向けLLMの必要性・トークナイザ設計・語彙拡張など技術課題を整理している。
DOI:https://doi.org/10.48550/arXiv.2407.03963
Building a Large Japanese Web Corpus for Large Language Models(外部)
日本語対応LLM向けの大規模Webコーパス構築に関する論文。既存のコーパスが日本語に最適化されていない問題を指摘し、「312億文字/約1.73億ページ」という規模を提示している。
DOI:https://doi.org/10.48550/arXiv.2404.17733
【編集部後記】
AIの利用にはリスクが付きまとう。そう感じる人は少なくないでしょう。
著作権や個人情報の問題、精神的依存、ハルシネーション、ディープフェイク、透明性、失業不安、環境負荷、責任。AIがもたらす課題を伝えるニュースは、今や日常的です。
誰かの著作物を学習したモデルを使うことに抵抗を覚える人もいるでしょう。自分が被害にあうのでは?あるいは会社に不利益をもたらすのでは?それも確かに、正しい慎重さです。
しかし、政府はすでに「AIを使わないこと自体が最大のリスク」と明言しているように、AIが社会のインフラとなる時代はすでに始まっています。いま手を止めることは、学ぶ機会を放棄することに等しいのです。もしも日本がこの流れに取り残されれば、経済的損失だけでなく、文化や言語の多様性までも失いかねません。
日本語という言語が今日まで残ったのは、戦後の政策や教育の中で、「言葉は文化そのもの」という共通の理解が守られたからです。AIの時代も同じです。日本語を、そして日本の文化をAIの中に生かせるかどうかは、私たちがどれだけAIを使い、考え、教えるかにかかっています。AIが文化を侵すか、文化を受け継ぐか。その分かれ道に、今まさに私たちは立っています。
アニメやゲーム、小説といった知的財産が無断で使われている現状に、私たちはどう向き合うべきでしょうか。残酷なことに、嘆いているばかりでは奪われる一方なのです。
その答えを出すには、使う側がまずAIを理解しなければなりません。研究者や開発者だけに任せるのではなく、市民一人ひとりがAIを使う当事者になること。それが、身を守るための武器であり、社会全体でAIを正しく扱うための第一歩です。