MIT研究チーム、ボトルブラシ型粒子による大容量化学療法薬送達システムを開発

[更新]2025年9月15日09:31

MIT研究チーム、ボトルブラシ型粒子による大容量化学療法薬送達システムを開発 - innovaTopia - (イノベトピア)

MIT の化学者らがボトルブラシ形状の微小粒子を用いて、化学療法薬を腫瘍細胞に直接送達する新技術を開発した。この研究は Nature Biotechnology 誌に2025年9月9日に掲載された。研究の上級著者は MIT 化学教授 Jeremiah Johnson 氏、筆頭著者は同大学ポスドク研究員の Bin Liu 氏である。

抗体-ボトルブラシ複合体(ABC)と呼ばれるこの技術は、1つの抗体に数百のプロドラッグ分子を結合させることができる。既承認の抗体-薬物複合体(ADC)が最大8個の薬物分子しか運べないのに対し、ABC は従来の100倍の薬物搭載が可能である。

乳がんと卵巣がんのマウスモデル実験では、ABC による治療がほとんどの腫瘍を除去した。ABC は FDA 承認済みの2つの ADC である T-DXdTDM-1 よりも優れた性能を示した。使用薬物にはドキソルビシンパクリタキセルMMAESN-38 などが含まれ、標的タンパク質として HER2MUC1 を用いた。

From: 文献リンク‘Bottlebrush’ particles deliver big chemotherapy payloads directly to cancer cells

【編集部解説】

この MIT の研究は、がん治療における根本的な制約を突破する可能性を秘めた技術的ブレークスルーです。従来の抗体-薬物複合体(ADC)が直面してきた「ペイロード限界」の問題を、まったく新しいアプローチで解決しています。

現行の ADC 技術では、1つの抗体に結合できる薬物分子数が8個程度に制限されていました。この制約により、極めて強力な毒性を持つ薬剤(DNA損傷剤など)のみが使用可能で、薬剤選択肢が大幅に限定されていたのです。

ABC 技術の革新性は、ボトルブラシ構造により薬物搭載量を数百個まで拡大できる点にあります。これにより、従来では効果が不十分とされていた中程度の毒性の薬剤(ドキソルビシンパクリタキセルなど)でも、十分な治療効果を発揮できるようになりました。

特に注目すべきは、この技術が複数薬剤の同時送達を可能にすることです。がん細胞の薬剤耐性は治療の大きな障壁となっていますが、異なる作用機序を持つ薬剤を組み合わせることで、耐性の発現を抑制し、治療効果を向上させる可能性があります。

HER2MUC1 を標的とした選択も戦略的です。HER2 は乳がんの約20%で過剰発現し、既に複数の治療薬が承認されています。一方、MUC1 は多様ながん種で発現し、特に薬剤耐性がんにおいて重要な役割を果たすことが近年の研究で明らかになっています。

ただし、臨床応用には慎重な検討が必要です。大容量の薬物搭載により、正常細胞への影響や想定外の副作用のリスクが高まる可能性があります。また、ボトルブラシポリマー自体の長期的な安全性についても、更なる検証が求められるでしょう。

この技術が実用化されれば、現在治療困難とされるがん種や薬剤耐性がんに対する新たな治療選択肢を提供し、個別化医療の推進にも大きく貢献することが期待されます。

【用語解説】

抗体-薬物複合体(ADC): がん細胞表面の特定タンパク質を認識する抗体に化学療法薬を結合させた治療薬である。正常細胞への影響を最小限に抑えながら、がん細胞に直接薬物を送達できる。

ボトルブラシポリマー: 分子構造が瓶を洗うブラシに似た形状のポリマーである。中心となる骨格ポリマーに多数の側鎖が密に結合した構造を持つ。

プロドラッグ: 体内で代謝されることで薬理活性を示す化合物である。投与時は不活性で、標的部位で活性化されるため副作用を軽減できる。

クリック化学: 高い選択性と効率性を持つ化学反応の総称である。特にアジド-アルキン環化付加反応が有名で、生体分子の修飾に広く使用される。

HER2: ヒト上皮成長因子受容体2の略称である。乳がんの約20%で過剰発現し、がん細胞の増殖を促進する。複数の分子標的薬の標的となっている。

MUC1: ムチン1と呼ばれる糖タンパク質である。多くのがん種で異常発現し、がん細胞の接着や転移に関与する。新しい治療標的として注目されている。

PROTAC: プロテオライシス標的キメラの略称である。細胞内の特定タンパク質を選択的に分解する新しいタイプの治療薬である。

【参考リンク】

MIT Koch Institute for Integrative Cancer Research(外部)
MIT に所属するNCI指定基礎がん研究センター。生物学者と工学者が協力してがん研究に取り組む機関

Nature Biotechnology(外部)
バイオテクノロジー分野の権威ある学術誌。インパクトファクター33.1を誇る同分野第2位

MIT Chemistry Department – Jeremiah Johnson(外部)
MIT化学科のA・トーマス・ゲルティン教授。ポリマー化学と医学の境界領域で革新的な研究を実施

【参考動画】

【参考記事】

“Bottlebrush” particles deliver big chemotherapy payloads directly to cancer cells(外部)
MIT公式の研究発表記事。ABC技術が従来のADCの100倍の薬物搭載が可能でマウス実験で既承認薬を上回る効果を報告

Advances and Limitations of Antibody Drug Conjugates for Cancer Therapy(外部)
従来のADC技術の制約について詳述。ペイロード制限が8個程度で極めて強力な毒性薬剤しか使用できない現状の課題を解説

Addressing Antibody-Drug Conjugate Development Challenges(外部)
ADC開発における技術的課題を分析した専門記事。薬物搭載量の制限や標的選択の重要性について詳細に説明

Homogeneous antibody-drug conjugates with dual payloads(外部)
複数薬剤を同時搭載するADC技術に関する最新研究。薬剤耐性克服のための併用療法アプローチの重要性を報告

【編集部後記】

このボトルブラシ技術が実現する「薬剤大容量搭載」の世界は、本当に革新的だと感じます。もしも皆さんのご家族や身近な方ががんと向き合う状況になった時、100倍の薬剤を安全に運べる治療選択肢があると知ったら、どのような気持ちになるでしょうか。

現在は強力すぎる毒性薬剤しか使えなかったADC治療が、より穏やかで多様な薬剤に門戸を開く可能性があります。皆さんは、がん治療における「個別化」と「安全性」のバランスについて、どのようにお考えになりますか。また、このような先端技術が日本の医療現場に届くまでのプロセスや時間軸について、私たちはどのような準備をしておくべきでしょうか。

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TaTsu
『デジタルの窓口』代表。名前の通り、テクノロジーに関するあらゆる相談の”最初の窓口”になることが私の役割です。未来技術がもたらす「期待」と、情報セキュリティという「不安」の両方に寄り添い、誰もが安心して新しい一歩を踏み出せるような道しるべを発信します。 ブロックチェーンやスペーステクノロジーといったワクワクする未来の話から、サイバー攻撃から身を守る実践的な知識まで、幅広くカバー。ハイブリッド異業種交流会『クロストーク』のファウンダーとしての顔も持つ。未来を語り合う場を創っていきたいです。

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