量子コンピュータって結局何なの?:アニーリング型とゲート型の違いと比較ー最新動向まで

[更新]2025年9月10日14:15

 - innovaTopia - (イノベトピア)

はじめに:二つの道筋

皆さんは「量子コンピュータ」という言葉を聞いたことがありますか?最近ニュースでもよく取り上げられていますが、実はこの量子コンピュータには、大きく分けて二つの異なるタイプがあることを知っていますか。

一つは「ゲート型量子コンピュータ」と呼ばれるもので、今私たちが使っているパソコンやスマートフォンの「すごい版」として、どんな計算でもできることを目指しています。もう一つは「量子アニーリング型コンピュータ」と呼ばれるもので、「最適化問題」という特定の種類の問題を解くことに特化しています。

この二つは、どちらも「量子力学」という物理学の法則を使って計算をするのですが、その使い方や目指している目標が全く違うのです。今日は、この二つの違いを分かりやすく説明し、それぞれがどのように私たちの生活を変える可能性があるのかを見ていきましょう。

アニーリング型量子コンピュータ:日本発の最適化革命

「焼きなまし」から生まれたアイデア

量子アニーリング型コンピュータのアイデアは、実は日本人の研究者によって考え出されました。その元となったのは、「焼きなまし法」という着想です。

「焼きなまし」とは何でしょうか?鉄の塊があったとします。この鉄を一度高温で熱々に加熱して、その後ゆっくりと冷やしていくのです。すると、鉄の中の原子たちが、最も安定で丈夫な配列に並び直します。急に冷やしてしまうと原子がバラバラの配置のままになってしまいますが、ゆっくり冷やすことで原子たちが「一番居心地の良い場所」を見つけて並ぶことができるのです。

1998年に、門脇正史さんや西森秀稔さんという日本の研究者たちが、「この焼きなましの考え方を、コンピュータの計算にも使えるのではないか?」と考えました。特に西森さんは、東京工業大学で「断熱量子計算」という理論を研究していて、量子の世界でも同じような「ゆっくりと最適な状態に導く」ことができることを理論的に証明したのです。

ここで重要なのは、「量子トンネル効果」という量子力学の不思議な現象です。普通の世界では、山を越えるためには山の頂上まで登る必要がありますが、量子の世界では「山をすり抜ける」ことができるのです。この効果を使うことで、従来の方法では見つけられなかった「本当に一番良い答え」にたどり着ける可能性が高くなりました。

トンネル効果を実際に導出しています。是非ご覧ください。

イジングモデル:いろいろな問題を磁石の問題に変換する

量子アニーリングが力を発揮するためには、解きたい問題を「イジングモデル」という形に変換する必要があります。イジングモデルとは、磁石の研究のために1920年代に考え出されたモデルです。

このモデルでは、たくさんの小さな磁石(これを「スピン」と呼びます)が格子状に並んでいて、それぞれが「上向き(↑)」か「下向き(↓)」のどちらかの方向を向いています。隣同士の磁石は、同じ方向を向いている方がエネルギーが低く(安定)、逆向きだとエネルギーが高く(不安定)なります。全体のエネルギーが最も低くなるような磁石の配置を見つけるのが、イジングモデルの問題です。

「でも、磁石の問題なんて日常生活と関係ないでしょう?」と思うかもしれませんが、実はそうではありません。驚くことに、私たちの身の回りのたくさんの問題を、この磁石の問題として表現できるのです。

例えば、「巡回セールスマン問題」を考えてみましょう。これは、セールスマンがいくつかの都市を全て回って元の場所に戻る時に、移動距離が最も短くなるルートを見つける問題です。各都市を磁石に対応させ、訪問する順番を磁石の向きで表現することで、この問題をイジングモデルとして解くことができます。

https://ancar.app/contents/problems/traveling_salesman
(巡回セールスマン問題について詳細にまとめられています)

他にも、「どの商品をどれくらい作れば利益が最大になるか」という製造業の問題や、「どの株式をどれくらい買えば利益とリスクのバランスが最適になるか」という投資の問題、さらには「タンパク質がどのような形になるか」という生物学の問題まで、すべてイジングモデルとして表現できるのです。

イジングモデルは統計物理のモデルです。まさか量子アニーリングに使われるとはイジング大先生も夢にも思わなかったと思います。

ゲート型量子コンピュータ:汎用計算への挑戦

今のコンピュータの「量子版」

ゲート型量子コンピュータは、皆さんが普段使っているコンピュータの「量子版」として考えることができます。普通のコンピュータは、「0」と「1」だけを使って情報を表現し、「AND」「OR」「NOT」などの論理演算を組み合わせてすべての計算を行います。

ゲート型量子コンピュータも同じような考え方で、「量子ビット(qubit)」という量子版の情報単位と、「量子ゲート」という量子版の論理演算を使って計算を行います。しかし、ここに量子力学の「不思議さ」が入ってきます。

普通のコンピュータのビットは、「0」か「1」のどちらか一つの状態しか取れません。しかし、量子ビットは「0と1の重ね合わせ状態」を取ることができるのです。しかし、観測するまでは、量子ビットは0でもあり1でもある状態にあるのです。

この「重ね合わせ」の威力は計算量で見ると驚異的です。普通のコンピュータでは、3つのビットがあると、「000」「001」「010」「011」「100」「101」「110」「111」の8通りの状態のうち、一度に一つしか表現できません。しかし、3つの量子ビットがあると、これら8通りの状態すべてを同時に重ね合わせた状態を作ることができるのです。つまり、量子ビットの数が増えると、同時に処理できる情報量が指数関数的に増加します。

ショアのアルゴリズム:社会を変える可能性

1994年に、アメリカのベル研究所にいたピーター・ショアという研究者が、量子コンピュータの世界を一変させる発見をしました。それが「ショアのアルゴリズム」です。

現在、インターネットでお買い物をしたり、銀行のサイトにアクセスしたりする時、私たちの情報は「RSA暗号」という方法で守られています。この暗号の安全性は、「大きな数の素因数分解は非常に難しい」という数学の性質に基づいています。

少し話は変わりますが、サマーウォーズという映画で主人公が解いている計算。あれがRSA暗号です。

例えば、15という数は3×5に分解できますが、これが309桁(1024ビット)の巨大な数になると、現在の最高性能のスーパーコンピュータでも素因数分解には何万年もかかってしまいます。だからこそ、RSA暗号は安全だったのです。

しかし、ショアのアルゴリズムを使った量子コンピュータなら、同じ問題を数時間で解けてしまう可能性があります。これは、量子コンピュータが「量子フーリエ変換」という特別な計算方法を使って、素因数分解を「周期を見つける問題」に変換し、すべての可能性を同時に調べることができるからです。

もしこのような量子コンピュータが実現されれば、現在のインターネットセキュリティは根本から見直す必要があります。しかし、同時に「量子暗号」という新しい暗号技術も開発されており、これは量子力学の法則によって理論的に絶対に破られない通信を実現できます。

グローバーのアルゴリズムと検索の革命

1996年に提案された「グローバーのアルゴリズム」も、量子コンピュータの可能性を示す重要な例です。これは、データベースから特定の情報を探し出す「検索」を大幅に高速化するアルゴリズムです。

例えば、1万人の電話帳から特定の人の電話番号を探すとしましょう。普通の方法では、運が悪いと1万人全員を調べる必要があり、平均では5000人を調べることになります。しかし、グローバーのアルゴリズムを使った量子コンピュータなら、約100回の操作で見つけることができるのです。

この技術は、単純な検索だけでなく、「最適解を見つける」様々な問題に応用できます。例えば、新しい薬の候補となる分子を大量の可能性の中から見つけ出したり、投資の最適な組み合わせを発見したりすることに使えるかもしれません。

量子機械学習:AIの進化

最近では、量子コンピュータを人工知能(AI)に応用する「量子機械学習」の研究も盛んになっています。現在のAIは大量のデータから パターンを学習しますが、量子機械学習では量子ビットの重ね合わせ状態を使うことで、従来では処理できないほど複雑で高次元なデータも扱えるようになる可能性があります。

複雑な科学現象のシミュレーション(例えば、新薬の効果予測や新材料の性質予測)でも、従来のコンピュータでは不可能だった精密な計算が可能になると期待されています。

アニーリング型の最新動向:実用化への着実な歩み

D-Wave社とNASAの先進的取り組み

量子アニーリング型コンピュータの実用化で世界をリードしているのは、カナダのD-Wave Systems社です。同社は2011年に世界初の商用量子コンピュータを発売しました。

今年、日本でD-waveのカンファレンスがあります。

特に注目すべきは、アメリカ航空宇宙局(NASA)との共同研究です。NASAは宇宙探査において、ロケットの軌道計算、ミッション スケジューリング、衛星からの大量画像データの解析など、非常に複雑な最適化問題を抱えています。従来の計算方法では何日もかかっていた問題が、D-Waveの量子コンピュータを使うことで数分で解けるようになったケースも報告されています。

https://xtech.nikkei.com/dm/atcl/column/15/425482/100500024

(2015年の記事です。10年前からD-waveはアニーリングのトップランナーです)

量子アニーリングが得意とする組み合わせ最適化問題なのです。

また、NASAは機械学習にも量子アニーリングを活用しています。地球観測衛星から送られてくる大量の画像から雲や嵐のパターンを自動的に検出する研究では、従来の方法よりも高い精度で気象現象を識別できることが確認されています。

日本における最適化ソリューションの展開

日本では、量子アニーリングの理論を生み出した国として、独自の最適化技術の開発と実用化が活発に進められています。各社がそれぞれ異なるアプローチで技術開発を行っているのが特徴です。

富士通が開発した「デジタルアニーラ」は、実際の量子現象は使わずに、量子アニーリングのアルゴリズムを専用のハードウェアで高速実行するシステムです。

https://www.fujitsu.com/jp/digitalannealer

(富士通HPより)

極低温環境が不要で運用しやすく、10万変数規模の大規模な問題にも対応できます。すでに薬局チェーンの薬剤師配置最適化、物流企業の配送ルート最適化、金融機関の投資ポートフォリオ最適化などで実用化されており、効率を大幅に改善する成果を上げています。

先月、日本でもこのようなニュースがありました。

NTTが開発した「LASOLV」は、光の技術を使った物理的なイジングマシンです。光パルスの位相を利用してスピンを表現し、光の速度での並列計算により高速な最適化を実現します。光通信技術の蓄積を活用した高性能システムとして注目されており、将来的には量子光学効果の活用も期待されています。

https://www.rd.ntt/research/CT99-334.html
(NTTホームページより)

これらの技術は、日本の社会が抱える課題の解決にも貢献しています。例えば、少子高齢化による労働力不足に対しては、業務スケジューリングの最適化により効率を向上させることができます。また、複雑化する都市交通に対しては、信号制御や配送ルートの最適化により渋滞を大幅に軽減することが可能です。

NVIDIAのシミュレーテッドアニーリング参入

GPU(グラフィック処理装置)分野で世界をリードするNVIDIA社も、量子コンピューティング分野への関与を強めています。同社のアプローチは直接的な量子現象の利用ではなく、量子アルゴリズムの「古典シミュレーション」を大幅に高速化することです。

NVIDIAが開発した「cuQuantum」というライブラリは、GPUの強力な並列計算能力を使って、量子回路のシミュレーションや量子アルゴリズムの実行を高速化します。これにより、実際の量子コンピュータが本格的に普及するまでの「つなぎ」の技術として、量子アルゴリズムの利点を提供しています。

https://developer.nvidia.com/cuquantum-sdk
(エヌビディアHPより)

ゲート型の現状:期待と困難の狭間

多様なハードウェア方式の競合

ゲート型量子コンピュータを実現するためには、安定して制御できる量子ビットが必要ですが、その実現方法は一つではありません。現在、世界中の研究機関や企業が、それぞれ異なる物理現象を利用した量子ビットの開発を競っています。

IBMやGoogleが採用している「超電導方式」は、極低温で電気抵抗がゼロになる超電導現象を利用します。マイクロ波で制御できるため高速な操作が可能で、既存の半導体製造技術も活用できるという利点があります。一方で、絶対零度近くまで冷却する必要があり、外部ノイズの影響を受けやすいという課題もあります。

日本でも目下、研究開発が進んでおり、今年は富士通と理研から大きなニュースがありました。

IonQなどが開発している「イオントラップ方式」は、電磁場で捕獲した個別のイオンを量子ビットとして使います。非常に長時間量子状態を保つことができ、高精度な操作が可能ですが、レーザー制御が複雑で動作速度が比較的遅いという特徴があります。

イオントラップ方式は、トラップしたイオンのエネルギー準位をそのままビットとして使う方法で忠実度も高く注目されています。

最近注目されている「中性原子方式」は、光の力で捕獲した中性原子を量子ビットとして活用します。原子は本質的に同じ性質を持つため均一な量子ビットを作りやすく、二次元・三次元配列により大規模化しやすいという利点があります。

「フォトニック方式」は光子を量子ビットとして利用し、室温で動作できるという大きな利点があります。光通信技術との親和性も高く、将来の量子ネットワークとの統合も期待されています。ただし、光子同士の相互作用が弱いため、効率的な量子ゲート操作の実現が課題となっています。

社会変革への期待と現実のギャップ

ゲート型量子コンピュータに対する期待は非常に高く、暗号解読による情報セキュリティの革新、機械学習の飛躍的発展、新材料・新薬の設計革命など、社会の根幹を変える可能性を秘めています。特に、量子シミュレーションという分野では、量子系を自然に模擬できるため、従来のコンピュータでは不可能だった精密な計算が期待されています。

例えば、新しい材料の設計では、原子レベルでの電子の振る舞いを正確にシミュレーションすることで、室温で働く超電導体や、現在よりもはるかに効率的な太陽電池材料などの発見につながる可能性があります。創薬分野では、薬物分子とターゲットタンパク質の相互作用を量子レベルで計算することで、副作用の少ない効果的な薬の設計が可能になるかもしれません。

しかし、現実には多くの困難が立ちはだかっています。最大の課題は「量子誤り訂正」です。量子ビットは環境からの影響を受けやすく、計算中にエラーが発生してしまいます。有用な量子計算を実行するには、物理的な量子ビット数千個から数万個を使って論理的な量子ビット一個を構成する必要があり、実用的な問題を解くには数百万から数億個の物理量子ビットが必要とされています。

現在の最大規模のシステムでも1000量子ビット程度であり、真に実用的な量子コンピュータの実現にはまだ相当な時間が必要と考えられています。このギャップを埋めるため、現在は「NISQ(Noisy Intermediate-Scale Quantum)時代」と呼ばれる過渡期の戦略が模索されており、エラー訂正なしでも価値のある計算を見つける努力が続けられています。

日本の量子コンピュータ開発

日本の量子技術の特色と強み

日本の量子技術開発の最大の強みは、世界最高水準の材料技術と精密制御技術です。超電導材料、半導体材料、光学材料において日本は伝統的に高い技術力を持っており、これらが量子デバイスの性能向上に直結しています。

例えば、超電導量子ビットでは、材料の純度が量子状態の保持時間に大きく影響しますが、日本の材料技術により世界最高レベルの純度を実現できています。また、量子ビットの制御には極めて精密な電子回路が必要ですが、日本の電子部品産業の技術蓄積がここでも活かされています。

さらに、日本企業の伝統的強みであるシステム統合能力も重要な競争要因となっています。量子コンピュータは、量子チップ、制御システム、冷却システム、ソフトウェアなど多くの要素技術を高度に統合したシステムです。各要素の最適化だけでなく、全体として最高の性能を引き出すシステム設計において、日本の技術力が発揮されています。

日本でも純国産の量子コンピュータが作られ、ハードウェアの精密さにかけてリードしています。

人材育成面でも、大学と企業の連携により、理論と実践の両面に通じた量子技術者の養成が進められています。東京大学、大阪大学などでは量子情報専攻が設置され、世界レベルの教育プログラムが提供されています。また、産学連携により、企業の実際の課題に取り組みながら学習できる環境も整備されています。

投稿者アバター
野村貴之
理学と哲学が好きです。昔は研究とかしてました。

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