欧州宇宙機関(ESA)は2025年7月7日、スウェーデン北部キルナのエスレンジ宇宙センターでExoMars火星着陸ミッション用パラシュートの高高度落下試験を成功させた。
試験では約29km上空からダミー降下モジュールを投下し、15mと35mの二段階パラシュートシステムを正常に展開した。35mパラシュートは火星で使用される史上最大のパラシュートである。
ExoMarsミッションはロザリンド・フランクリンローバーを火星表面に着陸させる目標で、2028年の打ち上げを予定している。ミッションは2019年のパラシュート試験失敗、ロシアのウクライナ侵攻による中断、トランプ政権によるNASA予算削減提案などの困難を経て継続されている。パラシュート設計は英国のVorticity社が担当し、ESAのシステムエンジニアであるルカ・フェラチーナ氏が長期保管後の性能確認を目的とした今回の試験キャンペーンを説明している。
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Humongous parachute for European Mars landing mission tested successfully
【編集部解説】
今回のExoMarsパラシュートテスト成功は、欧州の火星探査における重要な技術的マイルストーンです。この成果を深く理解するために、技術的側面と戦略的意義を解説いたします。
火星着陸の技術的困難さ
火星着陸は「恐怖の7分間」と呼ばれるほど技術的に困難な作業です。ExoMarsの降下モジュールは、火星大気圏突入時の秒速5.8km(時速21,000km)から6分間で安全着陸速度まで減速する必要があります。地球の大気密度の約1%しかない火星大気では、地球と同じ減速手法は使えません。
この物理的制約を解決するため、ESAは高度29kmからの投下テストで火星大気条件を再現しました。パラシュートを段階的に展開する手法は、火星の薄い大気環境での減速メカニズムを地球上で検証する巧妙な方法といえます。
二段階パラシュートシステムの革新性
従来の火星着陸機と異なり、ExoMarsは15mと35mの二段階パラシュートを採用しています。第一段階の15mパラシュートは、土星の衛星タイタンへの着陸に成功したカッシーニ・ホイヘンス・ミッションの技術を応用したものです。これは地球外で最も遠距離での着陸記録を持つ実績ある技術の活用を意味します。
第二段階の35mパラシュートは、火星で使用される史上最大のパラシュートとなります。この巨大パラシュートにより、ロザリンド・フランクリン・ローバーの安全着陸が可能になります。
長期保管後の性能検証の意義
2021年に認定されたパラシュートシステムは、ロシアのウクライナ侵攻により長期保管されていました。宇宙用機器の長期保管は、材料劣化や機械的性能変化のリスクを伴います。今回のテストは単なる性能確認ではなく、長期保管技術の検証という側面も持ちます。
このような長期保管技術は、将来の長期宇宙ミッションにおける重要な知見となるでしょう。
地政学的リスクと技術自立の重要性
ExoMarsミッションは、国際協力の脆弱性を如実に示した事例です。当初ロシアとの協力で進められていたプロジェクトは、地政学的変化により大幅な軌道修正を余儀なくされました。この教訓から、ESAは技術自立の重要性を認識し、欧州企業による完全自立型システムの構築を進めています。
現在、米国のNASA予算削減提案により再び不確実性が生じていますが、米国上院歳出委員会による予算復活提案は希望的材料といえます。この状況は、宇宙開発における多国間協力の重要性と同時に、自立的技術開発の必要性を浮き彫りにしています。
火星探査における長期的インパクト
成功すれば、ExoMarsは火星での生命探査に新たな次元をもたらします。ロザリンド・フランクリン・ローバーは地下2mまでの掘削能力を持ち、火星表面の紫外線や放射線から保護された地下環境での生命痕跡探査が可能です。
このミッションの技術的成果は、将来の有人火星探査にも活用される可能性が高く、欧州の宇宙技術力向上に大きく貢献するでしょう。特に大型パラシュート技術は、より重い貨物や将来の有人カプセルの火星着陸にも応用できる基盤技術となります。
技術リスクと課題
一方で、パラシュート展開後の着陸20秒前に点火される逆噴射ロケットシステムとの連携は、依然として高いリスクを伴います。2016年のスキアパレリ着陸失敗の教訓を活かし、システム全体の信頼性向上が継続的な課題となっています。
2028年の打ち上げ予定まで、残された技術検証項目の完遂と、国際的な資金調達の安定化が、このミッション成功の鍵を握っています。
【用語解説】
ExoMars(エクソマーズ)
欧州宇宙機関(ESA)が主導する火星探査プログラム。火星での生命探査を目的とし、2016年にトレースガス・オービターを打ち上げ済み。2028年にロザリンド・フランクリン・ローバーの打ち上げを予定している。
ロザリンド・フランクリン・ローバー
ExoMarsミッションの中核となる火星探査車。地下2mまでの掘削能力を持ち、火星の地下環境での生命痕跡探査を目的とする。英国の女性科学者ロザリンド・フランクリンにちなんで命名された。
スキアパレリ事故
2016年にESAのExoMarsミッション第1弾で発生した着陸失敗事故。スキアパレリ着陸実証機が火星表面への着陸時に墜落し、着陸技術の難しさを浮き彫りにした事例として知られる。
カッシーニ・ホイヘンス・ミッション
ESAとNASAの共同プロジェクトで、土星とその衛星を探査した宇宙ミッション(1997-2017年)。特にホイヘンス探査機による土星の衛星タイタンへの着陸成功は、地球外天体での着陸技術の重要な実績となった。
エスレンジ宇宙センター
スウェーデン北部キルナにある宇宙センター。スウェーデン宇宙公社が運営し、1970年代から成層圏バルーン実験の実績を持つ。高高度でのパラシュート試験に適した施設として知られる。
逆噴射ロケット
宇宙機の着陸時に使用される推進システム。パラシュートによる減速後、着陸直前に下向きに噴射して最終的な着陸速度を制御する。火星の薄い大気では特に重要な技術である。
【参考リンク】
欧州宇宙機関(ESA)(外部)
ヨーロッパの宇宙開発を統括する国際機関。23カ国が参加し、本部はパリ。ExoMarsをはじめとする火星探査を展開している。
ESA ExoMarsミッション公式ページ(外部)
ExoMarsプログラムの詳細情報を提供する公式ページ。ミッションの目的、技術仕様、最新の進捗状況などを包括的に掲載。
Vorticity Ltd(ボルティシティ)(外部)
イギリスのオックスフォードシャー州に本社を置く航空宇宙エンジニアリング企業。ExoMarsパラシュートシステムの設計と試験解析を担当。
【参考動画】
ExoMars parachute high-altitude drop test
ESA公式YouTubeチャンネル(2025年7月21日公開)
2025年7月7日に実施された実際のパラシュート高高度落下試験の映像。成層圏バルーンからの投下から二段階パラシュート展開まで、試験の全工程を記録した貴重な映像資料。
【参考記事】
ExoMars parachutes ready for martian deployment – ESA(外部)
ESA公式発表による今回のパラシュート試験の詳細レポート。試験の技術的背景、実施方法、結果について公式見解を示した一次情報源。
ExoMars completes successful Earth test of record breaking parachutes – SpaceDaily(外部)
宇宙専門メディアによる今回の試験成功の詳細分析。パラシュートの技術仕様、製造過程、ヨーロッパ各国の分担体制について包括的に報じている。
ESA Recertifies ExoMars Parachutes After Years in Storage – European Spaceflight(外部)
欧州宇宙関連専門メディアによる分析記事。長期保管後の性能検証という今回の試験の特殊性と、その技術的意義について詳しく解説している。
Europe tests largest-ever Mars parachute in the stratosphere above the Arctic – Space.com(外部)
宇宙専門メディアSpace.comによる詳細記事。35mパラシュートの史上最大規模と、ロザリンド・フランクリン・ローバーの重量310kgなど具体的な数値を含む。
【編集部後記】
火星着陸という人類の大きな挑戦に向けて、今回のパラシュートテスト成功は小さくとも確実な一歩でした。皆さんは、この技術がいずれ私たちの生活にどのような形で還元されると思われますか?
宇宙開発で培われる極限環境での材料技術や精密制御システムは、しばしば予想外の分野でブレークスルーを生み出します。また、国際協力の複雑さと技術自立の重要性というテーマは、日本の産業界にとっても他人事ではありません。
もし皆さんが宇宙開発プロジェクトに関わる機会があったとしたら、どの分野で貢献してみたいでしょうか?エンジニアリング、材料科学、データ解析、プロジェクトマネジメント…選択肢は無限にあります。ぜひコメント欄で、皆さんの宇宙への思いをお聞かせください。
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