日本のコンピュータビジョン企業HMSが開発するエンタープライズ向けARヘッドセット「SiNGRAY G2」が、7月の東京XR & Metaverse Fairで公開デモンストレーションを実施した。同製品は6月に初公開されていた。
SiNGRAY G2はバードバス光学系を採用し、1920×1080の90HzマイクロOLEDディスプレイと47度の対角視野角を提供する。プロセッサにはQualcomm QCS8550、トラッキング処理用にIntel Movidius Myriad Xを搭載する。4,800mAhのホットスワップ対応バッテリーを装備し、セカンダリバッテリーで3分間の猶予期間を確保する。
ソフトウェアはAndroidフォークを使用し、OpenXRコンテンツに対応する。frontline.ioの産業用ARアプリケーションがプリインストールされる。プリオーダーは2025年後半開始予定、量産は2026年を計画している。価格は未発表で、エンタープライズ向けのみの販売となる。
From: SiNGRAY G2 Puts Birdbath Optics In A Standalone Headset For Enterprise
【編集部解説】
SiNGRAY G2の登場は、エンタープライズAR市場における重要な転換点を示しています。MicrosoftのHoloLens 2製造中止、Magic Leap 1の事実上の撤退により、産業用AR分野は大きな空白が生まれていました。この状況で、日本のHMSが新たな選択肢を提示したことは、グローバルな産業界にとって意味深い動きです。
技術的な革新として注目すべきは、birdbath光学系の採用です。この光学方式は製造コストを大幅に削減できる一方で、現実世界の映像が薄暗く見えるというトレードオフがあります。しかし、エンタープライズ用途では精密性よりもコスト効率が重視されることが多く、この選択は市場ニーズに合致していると考えられます。
処理性能の面では、Qualcomm QCS8550チップセットの採用により、HoloLens 2を上回る処理能力を実現しています。さらに専用VPU(Intel Movidius Myriad X)を搭載することで、トラッキング処理をオフロードし、メインプロセッサの負荷を軽減する設計となっています。これにより、理論的にはQuest 3よりも優れたパフォーマンスが期待できます。
frontline.ioとの戦略的パートナーシップも重要な要素です。ハードウェアとソフトウェアを統合したソリューションを提供することで、企業は複雑な導入プロセスを回避できます。特に製造業、航空宇宙産業、医療機器分野では、専門知識の伝達やリモートサポートにARが不可欠となっており、即戦力となるソリューションが求められています。
一方で、潜在的なリスクも存在します。HMSは日本のコンピュータビジョン企業として実績を積んでいますが、エンタープライズAR分野では新参入であり、長期的なサポート体制の実証が今後の課題となります。また、バードバス光学系の制約により、明るい環境での作業や精細な視覚作業には限界があるかもしれません。
企業への導入影響を考えると、ホットスワップ対応の4,800mAhバッテリーシステムは、長時間の作業シフトに対応できる実用的な設計です。3分間の猶予期間を提供するセカンダリバッテリーは、産業現場での連続稼働を重視した配慮といえるでしょう。
長期的な視点では、この製品が成功すれば、エンタープライズAR市場の再活性化につながる可能性があります。特に日本企業が主導することで、アジア太平洋地域の製造業における AR採用が加速される可能性があります。2026年の量産開始予定ということから、企業は今後1年間で導入計画を検討する時間的余裕があります。
価格情報が未公開である点は気になりますが、birdbath光学系の採用により、HoloLens 2よりも大幅に安価になることが予想されます。これが実現すれば、これまでコスト面でAR導入を見送っていた中小企業にも普及の道筋が見えてくるでしょう。
【用語解説】
バードバス光学系(Birdbath Optics)
小さな凹面鏡を使用してマイクロディスプレイの映像を拡大表示する光学方式。コストが安価だが、現実世界の映像が薄暗く見えるトレードオフがある。
導波路(Waveguide)
光を特定の経路に沿って伝送する光学技術。HoloLens 2などで使用されていたが、製造コストが高い。
VPU(Visual Processing Unit)
画像処理専用プロセッサー。AIによる画像認識やトラッキング処理を高効率で実行する。
SLAM(Simultaneous Localization and Mapping)
同時自己位置推定とマッピング技術。デバイスが周囲の環境をマッピングしながら自己位置を推定する技術。
OpenXR
VR/ARプラットフォーム間の標準API。異なるハードウェア間でのソフトウェア互換性を提供する。
マイクロOLED
超小型の有機ELディスプレイ。高解像度で低消費電力を実現し、VR/ARヘッドセットに適している。
視野角(Field of View)
ディスプレイで見える範囲を角度で表した値。対角47度は比較的狭めの視野角。
ホットスワップ
デバイスの電源を切ることなく、バッテリーや部品を交換できる機能。
【参考リンク】
【参考記事】
【編集部後記】
SiNGRAY G2のようなエンタープライズ特化のARデバイスが普及すれば、製造現場や医療分野での働き方は大きく変わりそうです。一方で、新興企業の長期サポートへの懸念も気になるところです。コストと実用性のバランスが取れたデバイスが登場することで、これまでAR導入を見送ってきた企業にも新たな選択肢が生まれるかもしれません。